東武鉄道・鬼怒川温泉駅
- Sun
- 06:30
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - └昭和60年-昭和64年
昭和61年11月3日 会津地方への1泊2日の職場の慰安旅行に出かける。
その際撮影したリバーサルフイルムがあったのでスキャンしてみた。
しかしスリーブではなくマウントしたものだったため、わずかのスキャンにも随分時間を要してしまった。

さてさて、これは昭和57年に開業した東北新幹線に、ようやく初乗車した際のもの。郡山駅でのワンショット。
思えばJR移行直前のものとなった。
ここより会津観光のツアーバスであちこち観光地をめぐり・・・

整備されたばかりで、これから観光地として名乗りを上げようとする大内宿では、こんなことしたり・・・

・・・ということで、今日のお宿は、磐梯熱海のホテル一力
宿での写真は、今のようなデジタルカメラでないのでほとんど撮っていない。撮っていても人物中心なのでここには掲載できないのだ。
とにかく広く立派な庭園に面した1階客室で、そこから下駄履きで紅葉の盛りに彩られた広い庭園に出られた思い出がある。

これは翌朝、ひとりで宿屋を抜け出して近くの磐越西線・磐梯熱海駅を表敬訪問した際のもの。

そこからまた観光バスの旅程となるが、車窓より開業から1ヶ月ほどしか経過していない野岩鉄道の川治温泉駅を撮影する。

その観光旅行も無事に日程を終了し、帰路に着いたのがここ栃木県日光市の東武鉄道「鬼怒川温泉駅」だった。

すると、いきなり古豪5700系のお出まし!
この列車は定時運行のものか否かは分からないが、轟音を響かせての堂々の6両編成は圧巻だった・・・頗る感動!


こんな新しい車両も一応カメラに収めておくとしよう。
(こんな車輌も後年見れば貴重なものになるかもしれない・・・と思って♪)

ここでは、さらにデラックス・ロマンスカー1720系の威容をようやく目前にすることができた!
思えば昭和48年中学校の遊学旅行の際、撮りそこなったロマンスカーのリベンジをやりたくて常々悶々とした思いをいだいていたが、その13年後にようやく念願が叶った。

この「きぬ」と「けごん」の合い並ぶワンショットは、何気ないものに見えるが、ホームを往来する利用客多くその一瞬に随分時間を要したものなのだ。
ところで、なぜ「けごん」が鬼怒川温泉駅に入線しているのか?

昭和53年10月号

昭和62年4月号
「けごん」は浅草と日光との間のを走行する特急だが、昭和53年10月号および昭和62年4月号の時刻表を見ると、この当時は下今市の乗り換えにより鬼怒川温泉駅まで連絡運行してたようだ。
要するに下今市で分離併合する特急ではなく、下今市~鬼怒川温泉を往復する特急「けごん」が存在していたようだ。
しかしこの辺りの確証がとれない・・・詳細をご存知の方はご教示ください。

いざ乗り込んでみると、車内空間はあっさりとして取り立てて撮影すべきものも見出せず、まことに残念な気がした。不遜な物言いで恐縮だが、当時は特急券不要の京阪や阪急の特急車輌のほうが隅々まで手が掛かっているように感じた。
ただ、子供の頃、TV-CMにより人口に膾炙していたた東武特急のデラックス・ロマンスカー(DRC)に初めて乗車することが出来た満足感は、何をもつても代え難し。

1日1回 ぽちっとね♪
その際撮影したリバーサルフイルムがあったのでスキャンしてみた。
しかしスリーブではなくマウントしたものだったため、わずかのスキャンにも随分時間を要してしまった。

さてさて、これは昭和57年に開業した東北新幹線に、ようやく初乗車した際のもの。郡山駅でのワンショット。
思えばJR移行直前のものとなった。
ここより会津観光のツアーバスであちこち観光地をめぐり・・・

整備されたばかりで、これから観光地として名乗りを上げようとする大内宿では、こんなことしたり・・・

・・・ということで、今日のお宿は、磐梯熱海のホテル一力
宿での写真は、今のようなデジタルカメラでないのでほとんど撮っていない。撮っていても人物中心なのでここには掲載できないのだ。
とにかく広く立派な庭園に面した1階客室で、そこから下駄履きで紅葉の盛りに彩られた広い庭園に出られた思い出がある。

これは翌朝、ひとりで宿屋を抜け出して近くの磐越西線・磐梯熱海駅を表敬訪問した際のもの。

そこからまた観光バスの旅程となるが、車窓より開業から1ヶ月ほどしか経過していない野岩鉄道の川治温泉駅を撮影する。

その観光旅行も無事に日程を終了し、帰路に着いたのがここ栃木県日光市の東武鉄道「鬼怒川温泉駅」だった。

すると、いきなり古豪5700系のお出まし!
この列車は定時運行のものか否かは分からないが、轟音を響かせての堂々の6両編成は圧巻だった・・・頗る感動!


こんな新しい車両も一応カメラに収めておくとしよう。
(こんな車輌も後年見れば貴重なものになるかもしれない・・・と思って♪)

ここでは、さらにデラックス・ロマンスカー1720系の威容をようやく目前にすることができた!
思えば昭和48年中学校の遊学旅行の際、撮りそこなったロマンスカーのリベンジをやりたくて常々悶々とした思いをいだいていたが、その13年後にようやく念願が叶った。

この「きぬ」と「けごん」の合い並ぶワンショットは、何気ないものに見えるが、ホームを往来する利用客多くその一瞬に随分時間を要したものなのだ。
ところで、なぜ「けごん」が鬼怒川温泉駅に入線しているのか?

昭和53年10月号

昭和62年4月号
「けごん」は浅草と日光との間のを走行する特急だが、昭和53年10月号および昭和62年4月号の時刻表を見ると、この当時は下今市の乗り換えにより鬼怒川温泉駅まで連絡運行してたようだ。
要するに下今市で分離併合する特急ではなく、下今市~鬼怒川温泉を往復する特急「けごん」が存在していたようだ。
しかしこの辺りの確証がとれない・・・詳細をご存知の方はご教示ください。

いざ乗り込んでみると、車内空間はあっさりとして取り立てて撮影すべきものも見出せず、まことに残念な気がした。不遜な物言いで恐縮だが、当時は特急券不要の京阪や阪急の特急車輌のほうが隅々まで手が掛かっているように感じた。
ただ、子供の頃、TV-CMにより人口に膾炙していたた東武特急のデラックス・ロマンスカー(DRC)に初めて乗車することが出来た満足感は、何をもつても代え難し。


1日1回 ぽちっとね♪
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Comment
2012.08.13 Mon 18:44 |
私は、昭和63年の夏に東武、野岩ルートで会津若松に抜けたことがあります。その際、子供の頃からの憧れ「けごん」に乗ったんですが、当時かなりくたびれていましたねえ。
DRCの時代には関西のテレビでも「東武特急」のCMが流れていましたね。それが今、スカイツリーに絡めた「スペーシア」のCMになって甦ろうとは!
- #-
- サットン
- URL
2012.08.13 Mon 22:03 | *サットンさん ありがとうございます
さすが同世代ですね。DRCに同じような感慨をお持ちとは・・・嬉しいです。
外観は、飛龍が如きスタイルでかっこいいものでしたね♪
最近のスペーシアはまだ乗車したことありませんが、スカイツリー人気もあり東武鉄道は赤丸上昇中なのでしょうか?
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