昭和33年フォトニュース“新装の特急あさかぜ”
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- ∇ファジーコレクション - ├鐵道の小筺

トラベルフォトニュース第11巻第9号(通巻第98号)昭和33年8月25日発行
この最後尾車両は、寝台車ではなく座席車であったナハフ22
この後曲面ガラスを用いるようになる展望部分のガラスが平板の合わせガラスであることが、貴重な存在である。

これは、その後に寝台車に改造された同形式の車輌であるが、同様の平面ガラスが用いられている。
昭和49年5月2日吹田附近にて撮影(特急“日本海”)・・・詳細はコチラ
これらは既設の事項なので、さらりと流すが・・・ところでこのポスターを解像力を高めて覗いて見ると
・・・ナナナント!!!
この20系13両を牽引しているのは、青大将仕様のEF58ではないか・・薄緑のボディラインの下には黄色いラインもくっきりと・・・これには今更ながら、仰天ナウ!

いままで全く気づかなかった。おまけに近隣ラインには大型蒸気機関車の姿も見受けられるではないか!
その当時の空気が凝縮されているような貴重なワンショットである。

トラベルフォトニュース第11巻第11号(通巻第100号)昭和33年10月25日発行
特急あさかぜ
東京、博多双方を夕方発って、翌朝には東京、博多に着く、文字どおりの特急「あさかぜ」は、13両の固定編成で、そのうち3等寝台車が5両、2等寝台車が3両といった寝台列車です。この特急は全車両の冷暖房のため自家発電の電源車をつけ、客車の窓は外気を遮断するあかない二重ガラス窓。従って、外は霜夜の寒いときでも車内は暖房で春のよう、寝台に寒さ知らずの一夜を過ごせば、目的地に着くという快適な特急です。

2等寝台車(ナロネ21)のこの写真は、なかなか艶めかしい♪
隣の昼間座席の写真と同じ女性だと思うが、就寝時でもお化粧ばっちりにして、しかも備え置きの“国鉄”柄の浴衣ではなくピンクのパジャマまで着せて・・渾身のワンショットだ。
お堅い国鉄にしてはよく頑張っている。感動した!

トラベルフォトニュース第14巻第9号(通巻第133号)昭和36年9月25日発行
東海道本線に28本の特急
今回のダイヤ大改正で、東海道本線を突っ走る特急は28本。従来の特急「こだま」2往復、「つばめ」2往復、「さくら」「あさかぜ」「はやぶさ」それぞれ1往復に、新たに東京・熊本間に「みずほ」東京・宇野間、東京・神戸間に「富士」それぞれ1往復、東京・大阪間に「はと」1往復、東京・名古屋間に「おおとり」1往復の新特急が登場した。このほか、京都、大阪を始発駅として、松江への「まつかぜ」、宇野への「うずしお」、広島への「平和」、青森への「白鳥」、宮崎への「かもめ」など、大阪駅に発着する特急は1日38本に及ぶ。(下線は筆者)
今をもって考えれば、まさにパラダイスのような大阪駅黄金時代である♪


トラベルフォトニュース第16巻第6号(通巻第154号)昭和38年5月25日発行
日豊線に寝台特急「みずほ」
新しい車両がこのほどできたので6月から東京と鹿児島本線熊本間の特急「みずほ」も「さくら」「あさかぜ」「はやぶさ」と同様の固定編成による“青い冷房つきの寝台”特急に置き換え、同時に列車編成を門司で熊本行きと日豊本線大分行きとに、二手に分ける。新編成の「みずほ」は2等寝台車8両、1等寝台車2両、2等客車2両、食堂車1両の計13両であるが、日豊本線にお目みえする「みずほ」は食堂車をのぞき各種車両を鹿児島本線向けと二分して6両編成である。
今では、“ブルートレイン”と呼称されるこれらの寝台客車であるが、この当時はまだこの言葉は生まれていなかったようで、“青い冷房つきの寝台特急”という表現に思わず噴き出す♪

この手の写真の窓からは、隣の線路に車両が見える。ほかのフォトニュースにも類似した窓外の様子が見受けられることから、車両基地の中でモデルさんにポーズをとってもらっての撮影のようだ。
普通は、お互い対面に座っておしゃべりをするもんだと思いますが・・・皆さんなかなかの役者である。


1日1回 ぽちっとね♪
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Comment
2013.01.14 Mon 13:21 |
20系客車創生期の貴重なパンフですね。青大将が先頭というのがお見事です。今から考えれば、「ハザ」が連結されていたのもなかなかすごいですが、「冷暖房完備」というだけで「ハザ」の利用客もそこそこおられたのでしょうね。
以前にもコメントさせていただきましたが、わずか数年後に新幹線が開業するのですから、「花の命は短くて・・・」という間で一杯です。東海道線の利用客がここまで新幹線に推移するとは予想外だったのかもしれませんね。
2013.01.15 Tue 07:48 | *のりさん おはようございます。
寝台車に食堂車と当時の鉄道のたびは旅情豊かでした。また夜行の普通列車は珍しいものではなかったので、座席仕様の車両も需要があったのでしょう。安価ですし。
新幹線開業により在来線の優等列車の淘汰が進むのは見ていて心痛むものがありますが、北陸新幹線でも同様の状況が展開されるのでしょうね。
2013.01.15 Tue 11:57 |
私の初ブルトレは20系時代の「北陸」でしたのでこの車両には思い入れがあります。
やはりブルトレというと20系です!
A寝台・B寝台という区別はデビュー当時は今とは違った意味で使われていたんですね。
それにしても寝台車でパジャマですか・・・・そんな乗客いたんでしょうかね?
- #-
- サットン
- URL
2013.01.15 Tue 15:57 | *サットンさん こんにちは
私も寝台車といえば20系ですね。10系寝台も楽しいといえば楽しいのですが、結構キツイものがありました。20系くらいゆったりしてあれば満足です。
洗面所には洗面台の横に小さなタンツボが備わっていたのを思い出しました。A寝台にパジャマ・・・国鉄流プロパガンダの一端だと思われます。
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