昭和38年フォトニュース“東海道新幹線今秋開通”
- Sun
- 07:00
- ∇ファジーコレクション - ├鐵道の小筺
フォトニュースの最後は、もう一度新幹線の話題だ。
これが、いかに国鉄の社運を賭けた大事業であったかが、このような広告媒体からもうかがい知ることができる。

トラベルフォトニュース第17巻第1号(通巻第161号)昭和38年12月25日発行
全世界注目のもとに
東海道新幹線 今秋開通
世界の鉄道史に輝かしい1ページを飾る待望の東海道新幹線は、いよいよ今秋開通する。東海道線は東日本と西日本を結ぶ輸送の大動脈であるが、新幹線は現在の東海道線の輸送あい路を打開するものとして、その開通が大きく期待される。
このフォトニュースは12月25日発行のものだが、昭和39年1月に掲示されるべき“新年用フォトニュース”として制作されたものだったようだ。
このB編成は、昭和38年3月30日に速度向上試験において最高速度256km/hをマークし、当時の世界最高速度記録車となった。
その時を記念して下記の高速度記録銘板が先頭車の列車番号表示窓の下部に取り付けられたのだった!


トラベルフォトニュース第15巻第12号(通巻第146号)昭和37年9月25日発行より抜粋
御殿場線のディーゼルカーと交差するモデル線区を時速200㌔で走る“夢の超特急”試作車B編成
このときは、上記の最速レコードを樹立する以前なので、ホマレの名板は見当たらないが、2輌目の六角窓がこのB編成であることを示している。
これが、いかに国鉄の社運を賭けた大事業であったかが、このような広告媒体からもうかがい知ることができる。

トラベルフォトニュース第17巻第1号(通巻第161号)昭和38年12月25日発行
全世界注目のもとに
東海道新幹線 今秋開通
世界の鉄道史に輝かしい1ページを飾る待望の東海道新幹線は、いよいよ今秋開通する。東海道線は東日本と西日本を結ぶ輸送の大動脈であるが、新幹線は現在の東海道線の輸送あい路を打開するものとして、その開通が大きく期待される。
このフォトニュースは12月25日発行のものだが、昭和39年1月に掲示されるべき“新年用フォトニュース”として制作されたものだったようだ。
このB編成は、昭和38年3月30日に速度向上試験において最高速度256km/hをマークし、当時の世界最高速度記録車となった。
その時を記念して下記の高速度記録銘板が先頭車の列車番号表示窓の下部に取り付けられたのだった!


トラベルフォトニュース第15巻第12号(通巻第146号)昭和37年9月25日発行より抜粋
御殿場線のディーゼルカーと交差するモデル線区を時速200㌔で走る“夢の超特急”試作車B編成
このときは、上記の最速レコードを樹立する以前なので、ホマレの名板は見当たらないが、2輌目の六角窓がこのB編成であることを示している。
つづいてフォトニュースを見ていこう・・・

トラベルフォトニュース第16巻第1号(通巻第149号)昭和37年12月25日発行
明年の開通めざし急ピッチに工事進む 東海道新幹線
東京オリンピックが開催される明年を開通目標に世界期待のもとに進められている“夢の超特急”東海道新幹線は、いよいよ完成段階の新しい年を迎えた。世紀の建設ともいわれるこの新幹線は全粁程515㌔、うち高架橋と橋梁の区間が170㌔、隧道が66ヶ所の65㌔、盛土と切り通しの区間が280㌔であるが、難工事を予想された新丹那隧道も着工3年余で昨秋貫通しており、また、東京・大阪などの駅舎をはじめ、全線の路盤工事の一切を本年末までに完了の予定で、日夜急ピッチに工事が進められている。一方列車については、既に時速200㌔台を確認されており、旅客列車の編成もきまり、明年の春までに180両の電車が順次できあがる予定である。

トラベルフォトニュース第17巻第1号(通巻第161号)昭和38年12月25日発行
いよいよ来秋開通 東海道新幹線の準備すすむ

この写真を見ると、特に前頭部は、かなり手間ひまかけて造っていたようだ。

トラベルフォトニュース第17巻第4号(通巻第164号)昭和39年3月25日発行
これが東海道新幹線の列車
この10月開通の東海道新幹線を走る列車の〈決定版〉つまり営業用電車の一部がこのほど完成した。車体の配色はいままでの試作車と変わりはないが、先頭部車両は、線路の障害物排除に万全の装備としたほか、前照灯、運転台の窓などを若干の模様がえを行なった。またトンネル内の気圧低下による耳鳴りは、換気装置をトンネルに入る前に自動的に閉じ、車内を気密化することで解消した。2等車の座席は通路をはさんで、ヒジかけつきの3人席と2人席、1等車はリクライニングシートの2人席が2列にならぶ。1・2等車とも向かい合わせの席もとれる。

これを見ると、開業時のグリーン車のカーテンは、普通車と同じ緑色だったようだ。

昭和39年に登場した初代電気軌道総合試験車922形0番台・・・この当時は“ドクター・イエロー”なる言葉はなく、“黄色い新幹線”と呼ばれていた。
実はこれは試作車B編成なのである。
前照灯は2灯式に変更されフロントガラスも平面のものに取り替えられているが、側面にはホマレの名板が見られる。

(上の写真の部分:逆三角の高速度記録銘板がみえる。)

また特徴ある4号車の六角窓も健在であった。
この撮影(昭和49年9月)の直後である昭和49年10月には現役を引退し、昭和50年末に廃車の上、惜しくも翌昭和51年には解体されてしまい、現存する車輌はない。
ともに昭和49年9月16日新大阪駅にて撮影

大阪・交通科学館に搬入されたばかりで国道43号線から丸見えの状態だった0系初期型新幹線4両
・・・各第1号車4両 (先頭車2両・ビュフェ車・グリーン車) S53.4.10撮影
その後この車輌内でTVドラマ“華麗なる一族”が撮影されたり、これ自体が、機械遺産および鉄道記念物に指定されるとは、この当時夢にも思わなかった。

5回にわたり懐かしい国鉄制作のフォトニュースを再掲したが、どれもその当時の日本人の矜持とモノ造りの達成感が圧倒的な迫力で伝わってくるものとなっている。

トラベルフォトニュース第16巻第1号(通巻第149号)昭和37年12月25日発行
明年の開通めざし急ピッチに工事進む 東海道新幹線
東京オリンピックが開催される明年を開通目標に世界期待のもとに進められている“夢の超特急”東海道新幹線は、いよいよ完成段階の新しい年を迎えた。世紀の建設ともいわれるこの新幹線は全粁程515㌔、うち高架橋と橋梁の区間が170㌔、隧道が66ヶ所の65㌔、盛土と切り通しの区間が280㌔であるが、難工事を予想された新丹那隧道も着工3年余で昨秋貫通しており、また、東京・大阪などの駅舎をはじめ、全線の路盤工事の一切を本年末までに完了の予定で、日夜急ピッチに工事が進められている。一方列車については、既に時速200㌔台を確認されており、旅客列車の編成もきまり、明年の春までに180両の電車が順次できあがる予定である。

トラベルフォトニュース第17巻第1号(通巻第161号)昭和38年12月25日発行
いよいよ来秋開通 東海道新幹線の準備すすむ

この写真を見ると、特に前頭部は、かなり手間ひまかけて造っていたようだ。

トラベルフォトニュース第17巻第4号(通巻第164号)昭和39年3月25日発行
これが東海道新幹線の列車
この10月開通の東海道新幹線を走る列車の〈決定版〉つまり営業用電車の一部がこのほど完成した。車体の配色はいままでの試作車と変わりはないが、先頭部車両は、線路の障害物排除に万全の装備としたほか、前照灯、運転台の窓などを若干の模様がえを行なった。またトンネル内の気圧低下による耳鳴りは、換気装置をトンネルに入る前に自動的に閉じ、車内を気密化することで解消した。2等車の座席は通路をはさんで、ヒジかけつきの3人席と2人席、1等車はリクライニングシートの2人席が2列にならぶ。1・2等車とも向かい合わせの席もとれる。

これを見ると、開業時のグリーン車のカーテンは、普通車と同じ緑色だったようだ。

昭和39年に登場した初代電気軌道総合試験車922形0番台・・・この当時は“ドクター・イエロー”なる言葉はなく、“黄色い新幹線”と呼ばれていた。
実はこれは試作車B編成なのである。
前照灯は2灯式に変更されフロントガラスも平面のものに取り替えられているが、側面にはホマレの名板が見られる。

(上の写真の部分:逆三角の高速度記録銘板がみえる。)

また特徴ある4号車の六角窓も健在であった。
この撮影(昭和49年9月)の直後である昭和49年10月には現役を引退し、昭和50年末に廃車の上、惜しくも翌昭和51年には解体されてしまい、現存する車輌はない。
ともに昭和49年9月16日新大阪駅にて撮影

大阪・交通科学館に搬入されたばかりで国道43号線から丸見えの状態だった0系初期型新幹線4両
・・・各第1号車4両 (先頭車2両・ビュフェ車・グリーン車) S53.4.10撮影
その後この車輌内でTVドラマ“華麗なる一族”が撮影されたり、これ自体が、機械遺産および鉄道記念物に指定されるとは、この当時夢にも思わなかった。

5回にわたり懐かしい国鉄制作のフォトニュースを再掲したが、どれもその当時の日本人の矜持とモノ造りの達成感が圧倒的な迫力で伝わってくるものとなっている。
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Comment
2013.02.07 Thu 18:19 | もしもの話し・・・・
もしも、もしもの話しですが、新幹線が大阪駅に乗り入れていたら大阪の町はどうなっていただろう? と今でも時々考えます。
- #-
- サットン
- URL
2013.02.08 Fri 07:00 | *サットンさんもですか・・・
私も新幹線が大阪駅に乗り入れていれば・・・と考えることが今でも時々あります。東京駅が羨ましいですよ。
やってやれないことだったでしょうが、淀川橋梁・市街地の新路線敷設を考えると開通は東京五輪には間に合わなかったことでしょう。それでも頑張って欲しかったと思われてなりません。
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