平成24年 続・善通寺偕行社を訪ねて
このブログでは、以前に大阪偕行社および岡山偕行社の記事を掲載してきたが、今回は香川県の善通寺偕行社を取上げる。
香川県善通寺市は今でも自衛隊の基地があり、戦前までは第11師団の軍都であった。
初代師団長は乃木希典で、その指令部の庁舎は「乃木館」として今でも健在である。

善通寺偕行社は、その指令本部と同様のスタイルを踏襲しながらも、将校親睦機関としての性格から軽快な姿でその5年後に建築されている。
外観は簡明なルネサンス様式で、正面中央にドリス式角柱と三角ペディメントによる車寄せポーチを構え、両側にシンメトリーな棟屋を配し、明治期における陸軍建築の堅実な作風が顕著に表現されている。

煉瓦造布基礎部分の通気穴には五芒星の鉄柵が取り付けてある。
香川県善通寺市は今でも自衛隊の基地があり、戦前までは第11師団の軍都であった。
初代師団長は乃木希典で、その指令部の庁舎は「乃木館」として今でも健在である。

善通寺偕行社は、その指令本部と同様のスタイルを踏襲しながらも、将校親睦機関としての性格から軽快な姿でその5年後に建築されている。
外観は簡明なルネサンス様式で、正面中央にドリス式角柱と三角ペディメントによる車寄せポーチを構え、両側にシンメトリーな棟屋を配し、明治期における陸軍建築の堅実な作風が顕著に表現されている。

煉瓦造布基礎部分の通気穴には五芒星の鉄柵が取り付けてある。
つぎに内部に入ってみると・・・

玄関内側もシンプルな造りで、装飾といえるのは、天井電燈付け根部分の円形飾りくらいのものだ。

廊下部分 岡山偕行社の廊下天井部分には華麗な装飾が見られたが、こちらにはそれがない。
私見に過ぎないが、当時の面影を平成の世に伝えるだけでなく、明治初期の飾り気がなく、多分に日本情緒を含有するその余りにもシンプルな造型が、重要文化財指定を受けた要件ではないかと思えてならない。

貴賓室 こちらは立ち入り禁止で廊下からの見学となる。

大広間 現在も本来の用途である社交場としてブライダルや会議室として帝國陸軍将校以外の一般市民にも開放されている。


食堂


建物内部の一部に内壁の様子がわかるように展示されているところがある。
純然たる木造ながら、斜めの木材(筋交い)により耐震性をも考慮した構造となっている。

復元工事に際して取り外された本来の部品の数々もオープンな形式で展示されている。


外に出て、周囲を巡ってみよう・・・


大広間からは扉を開ければそのまま南側庭園に出ることが出来る。
この縁側的アプローチが琴線をくすぐって仕方がない!
思えば、大阪造幣局・ヴェランダ・コロニアル形式の泉布観や長崎グラバー邸にあるような一つの扉を披けば、たちまち外部への開放的な動線に繋がり、明治期のおおらかな精神を垣間見る心持ちに、見る者を誘い込むところが何とも憎い!

前方は「偕行社かふぇ」・・・本館を利用する際の利便性を考えて建築された附属軽食堂である。
現在はこのようなこじんまりとした庭園であるが、大正11年特別大演習当時は、下記の写真から分かるように広々とした広場となっている。

2009年の雑誌「新建築」でもこの建物が取上げられた。

“保存の創造性と使い続けるため必要なこと”と題されているように、歴史的建造物の保存と実用性を併せ持つことをコンセプトに修復工事されたのがこの建物のようだ。
事務局の女性(館長さん?)から偕行社の敷地でとれた梅を利用した梅干(偕行社昔うめぼし)をいただいた。
これは陸軍のマーク“五芒星”のホシと掛けたものなのか?


見た目ほど酸っぱいものではなく、程よい甘さも感じ、2ヶをその場でほうばり、1ヶはお土産とする。
夏の暑さに辟易した汗まみれの身体には、頗る上質の暑気払いとなった。
“偕行社を応援する会”の皆様・・・カタジケナイ!
善通寺駅へと戻る・・・
追記:「偕行社昔うめぼし」については、偕行社かふぇのブログに“偕行社夏の風物詩”と題して記事になっている。

1日1回 ぽちっとね♪

玄関内側もシンプルな造りで、装飾といえるのは、天井電燈付け根部分の円形飾りくらいのものだ。

廊下部分 岡山偕行社の廊下天井部分には華麗な装飾が見られたが、こちらにはそれがない。
私見に過ぎないが、当時の面影を平成の世に伝えるだけでなく、明治初期の飾り気がなく、多分に日本情緒を含有するその余りにもシンプルな造型が、重要文化財指定を受けた要件ではないかと思えてならない。

貴賓室 こちらは立ち入り禁止で廊下からの見学となる。

大広間 現在も本来の用途である社交場としてブライダルや会議室として帝國陸軍将校以外の一般市民にも開放されている。


食堂


建物内部の一部に内壁の様子がわかるように展示されているところがある。
純然たる木造ながら、斜めの木材(筋交い)により耐震性をも考慮した構造となっている。

復元工事に際して取り外された本来の部品の数々もオープンな形式で展示されている。


外に出て、周囲を巡ってみよう・・・


大広間からは扉を開ければそのまま南側庭園に出ることが出来る。
この縁側的アプローチが琴線をくすぐって仕方がない!
思えば、大阪造幣局・ヴェランダ・コロニアル形式の泉布観や長崎グラバー邸にあるような一つの扉を披けば、たちまち外部への開放的な動線に繋がり、明治期のおおらかな精神を垣間見る心持ちに、見る者を誘い込むところが何とも憎い!

前方は「偕行社かふぇ」・・・本館を利用する際の利便性を考えて建築された附属軽食堂である。
現在はこのようなこじんまりとした庭園であるが、大正11年特別大演習当時は、下記の写真から分かるように広々とした広場となっている。

2009年の雑誌「新建築」でもこの建物が取上げられた。

“保存の創造性と使い続けるため必要なこと”と題されているように、歴史的建造物の保存と実用性を併せ持つことをコンセプトに修復工事されたのがこの建物のようだ。
事務局の女性(館長さん?)から偕行社の敷地でとれた梅を利用した梅干(偕行社昔うめぼし)をいただいた。
これは陸軍のマーク“五芒星”のホシと掛けたものなのか?


見た目ほど酸っぱいものではなく、程よい甘さも感じ、2ヶをその場でほうばり、1ヶはお土産とする。
夏の暑さに辟易した汗まみれの身体には、頗る上質の暑気払いとなった。
“偕行社を応援する会”の皆様・・・カタジケナイ!
善通寺駅へと戻る・・・
追記:「偕行社昔うめぼし」については、偕行社かふぇのブログに“偕行社夏の風物詩”と題して記事になっている。


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