平成5年 市電保存館完成記念の車輌展示会(その1)
- Sun
- 07:00
- ∇鐵道ほとがら帖/平成編 - ├平成元年-平成5年
今回は、懐かしの大阪市電の話題・・・
大阪市電の保存車輌といえば、平成5年まで、港区の見本市会場の跡地に出来た八幡屋交通公園の簡易なプレハブ小屋に保存されていた。その内部は薄暗い倉庫といった雰囲気で、金網越しにホコリをかぶった車輌が覗き見えた。 “保存”というより“収納”といった感じだった。
しかし、このたび住之江の大阪地下鉄の緑木車庫内に新設された鉄骨平家建の「市電保存館」に移転保存されることととなった。
そのことを記念して平成5年7月8月1日緑木車庫内で保存車輌の一般公開がおこなわれたので、見学してきた。

これは、当日現地で配布していたパンフレット

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現在でも定期的に一般開放しているが、このときは、全ての車両を屋外に展示し、車内も全て公開していたことが特筆すべき出来事だと思われる。
大阪市電の保存車輌といえば、平成5年まで、港区の見本市会場の跡地に出来た八幡屋交通公園の簡易なプレハブ小屋に保存されていた。その内部は薄暗い倉庫といった雰囲気で、金網越しにホコリをかぶった車輌が覗き見えた。 “保存”というより“収納”といった感じだった。
しかし、このたび住之江の大阪地下鉄の緑木車庫内に新設された鉄骨平家建の「市電保存館」に移転保存されることととなった。
そのことを記念して平成5年7月8月1日緑木車庫内で保存車輌の一般公開がおこなわれたので、見学してきた。

これは、当日現地で配布していたパンフレット

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現在でも定期的に一般開放しているが、このときは、全ての車両を屋外に展示し、車内も全て公開していたことが特筆すべき出来事だと思われる。
数ある貴重な車輌の中から、まずは、特徴ある2階建電車をご紹介しよう。

この車輌はオリジナルではなく、昭和28年市電創業50周年を機に大正12年製の720号車を改造して復元したもので
ある。

この展示会の場合は、2階建て電車の2階部分にも自由に登られたことが、今となっては懐かしい。


1階部分は天井が低く、ベンチ部分が木造で奥行きが浅くなっているのが珍しい。

2階部分は、とても立ったまま歩けるような空間ではない。
実際の車輌の最晩年である二挺ポール時代のものは2階の屋根の上にあったので、こんな具合ではなかったはずだ。
復元時の他の車輌はビューゲルでの集電だったので、残念ながらこのような造作になってしまったのだろう。

プレス・アイゼンバーン“水の都の赤い電車”より

2階から螺旋階段部分を見下ろす。
かなりの急傾斜で急激に回転している構造の上に、階段の壁の部分がないために、利用の感覚は梯子に近く、とても走行時は使えなかったろうと思慮する。
とまれかくまれ、このような奇抜な2階建て電車が市電創業時(明治37年~44年)に早々と登場しているのが面白い。

大阪市電創業の地・・・九条新道の港通り側が、明治36年に初めて市電が敷設された花園橋西詰にあたるので、記念碑が建てられている。
2階建て電車は、主にこの花園橋から築港桟橋間の築港線に運用された。

そこから程近い大阪市交通局の傍らに交通局100年のモニュメントがある。
そこには、白黒写真を基に描かれた花園橋電停における2階建て電車(3号車)の勇姿があった。

生まれ出ることのやや遅きに失したことが、悔やまれる一瞬である。
(つづく)

この車輌はオリジナルではなく、昭和28年市電創業50周年を機に大正12年製の720号車を改造して復元したもので
ある。

この展示会の場合は、2階建て電車の2階部分にも自由に登られたことが、今となっては懐かしい。


1階部分は天井が低く、ベンチ部分が木造で奥行きが浅くなっているのが珍しい。

2階部分は、とても立ったまま歩けるような空間ではない。
実際の車輌の最晩年である二挺ポール時代のものは2階の屋根の上にあったので、こんな具合ではなかったはずだ。
復元時の他の車輌はビューゲルでの集電だったので、残念ながらこのような造作になってしまったのだろう。

プレス・アイゼンバーン“水の都の赤い電車”より

2階から螺旋階段部分を見下ろす。
かなりの急傾斜で急激に回転している構造の上に、階段の壁の部分がないために、利用の感覚は梯子に近く、とても走行時は使えなかったろうと思慮する。
とまれかくまれ、このような奇抜な2階建て電車が市電創業時(明治37年~44年)に早々と登場しているのが面白い。

大阪市電創業の地・・・九条新道の港通り側が、明治36年に初めて市電が敷設された花園橋西詰にあたるので、記念碑が建てられている。
2階建て電車は、主にこの花園橋から築港桟橋間の築港線に運用された。

そこから程近い大阪市交通局の傍らに交通局100年のモニュメントがある。
そこには、白黒写真を基に描かれた花園橋電停における2階建て電車(3号車)の勇姿があった。

生まれ出ることのやや遅きに失したことが、悔やまれる一瞬である。
(つづく)
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Comment
2013.02.17 Sun 20:48 |
市電保存館内の狭苦しい空間でしか見たことがありませんので、この雰囲気を味われたことがとてもうらやましいですね。
それにしてもこれだけの貴重な市電車両を保存できた大阪市交通局の英断に感謝です。
2013.02.17 Sun 23:31 |
路線図をじっくり見ましたが、
そうそうたる交通網ですね。
これに阪神の北大阪線と国道線が
加わると、、、、、、、
今では全く想像できません。
- #-
- サッシの父
- URL
2013.02.18 Mon 23:02 | *のりさん こんばんは
現在の車輌は綺麗に改装されてますので、勝手気ままに内部を見学できないようですね。車輌自体は、かなりユニークで見ていて飽きません。阪急ならぬ大阪市電のマルーン色も美しいです。
次回は、その古典車輌たちをご案内しますね。
- #UXr/yv2Y
- Fuzzy
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- Edit
2013.02.18 Mon 23:11 | *サッシの父さん こんばんは
パンフの路線図は、昭和32年11月のものですから、路線敷設距離の最盛期のものですね。
これらの停留所名も懐かしく思えるとともに、大阪市は、住居表示実施時になんとバカな町名変更をしたものかと今でも強い憤りを感じます。
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