平成5年 市電保存館完成記念の車輌展示会(その2)
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- 07:00
- ∇鐵道ほとがら帖/平成編 - ├平成元年-平成5年
(前回からのつづき)

続いての車輌は、古典車輌の11型客車(30号)である。
すぐ横には地下鉄四つ橋線の新鋭車輌の姿も見受けられ、その時々の主役の否応なしの移り代わりが歴然と感じられる。

この車輌は、明治45年製の285号車で大正11年に一度廃車されたものを昭和30年に復元したものだ。

N電のように腰を絞ったサイドパネルが、黎明期の路面電車のスタイルを軽快なものにしている。

昭和44年3月24日の市電廃止のパレードの時には、ダブルポールゆえの自走不能状態だったので貨物電車に牽引されてのパレード参加となっている。前方には自走する2階建電車が見える。(鉄道ファン69年6月号より)

乗り降り口のヒサシの付け根には、市章である澪の透かし飾りが取り付けられてあり、こういう細かな装飾を見つけると何とも嬉しいものだ。

車内は、モニタールーフの明り取り窓のため、明るく感じる。また網棚がないためスッキリとした印象を与える。
下の写真を見るとモニター窓の開閉レバーの様子がよく分かる。
しかし、この華奢なレバーだけではとてもスムーズな開閉ができるようなものではなく、片手で窓の開閉を行いつつ、片手でレバーで留め位置を定めるようにして用いられていたものと思われる。

木造バーにぶらさがる「布団たたき」のような吊り革は、“つり革”というより“つり手”の感じが漂う、籐製である。籐だけでは細いため手に触れる部分は、握りやすくするため太いロール状部材で補填するような細かな芸当を見せているが、現在のものと比べその耐久性は大いに劣っているため、どれだけの頻度で取り替えられていたのか?と、つい心配してしまう。

また客車内妻板上部には「投書箱」が備え付けてある。
投書箱 営業上に関しお気付の点はご投書下されたく候 大阪市電気鉄道部
とあり、現在の大阪市交通局の状況を思いつつ、いろいろと考えさせられた。
もう一両の古典車輌は、明治44年製の大阪市電初のボギー車の501型(528号)である。

この車輌は、日本初の空気ブレーキ付にして大小2個の車輪からなるマキシマムトラクション台車を装備した革新的な車輌だった。



これは、平成20年森ノ宮車庫を見学した際、展示してあったマキシマムトラクション台車だが、この528号のものと少し形態が異なる・・・ということは他にもマキシマムトラクション台車をつけた市電があったのか?
実はこの台車は、601型のものなのだ。501型に続き製造された車両で、このマキシマムトラクション台車が採用されたが、戦災で多くが焼失し、残った車両も昭和24年に廃車され姿を消した。しかしながらその特異な台車のみが森ノ宮車庫で現在も保存されているのである。
このように奇異な台車を使用していた市電が複数種あったということは、驚くべきことだと思えてならない。

この車体は、昭和26年に廃車されたものを昭和43年に復元したものだ。
その復元から25年が経過し、塗装にも少し劣化が見られるようになった。

乗り降り口の市章の透かし飾りは、この当時黒くくすんでいるが、この後保存車輌の大規模な補修がなされ、現在ではボディの塗り替えとともに金具も金色に磨きだされている。

これは、平成20年に同所を訪れた際のもの。金飾りのほか車体の色艶の違いがわかるだろうか。

車内の様子。上記の30号と製造年が近いだけに、よく似たデザインとなっているが、吊り手の様式が少し異なる。

この車輌の吊り手は、一部皮革を用いたものになっていて、30号車より新しい様式に思える。
しかし、製造年月を考えると528号車のほうが1年古いため、こちらの様式がより古いものかもしれない。
鉄道考古学の難しいところである。
因みに吊り手バーに並行して伸びている白いロープは、車掌が合図のために打ち鳴らす運転手への連絡ベル用のものだ。電気を使わず手動なところが好いネ。(参考:2枚前の写真)
(つづく)

続いての車輌は、古典車輌の11型客車(30号)である。
すぐ横には地下鉄四つ橋線の新鋭車輌の姿も見受けられ、その時々の主役の否応なしの移り代わりが歴然と感じられる。

この車輌は、明治45年製の285号車で大正11年に一度廃車されたものを昭和30年に復元したものだ。

N電のように腰を絞ったサイドパネルが、黎明期の路面電車のスタイルを軽快なものにしている。

昭和44年3月24日の市電廃止のパレードの時には、ダブルポールゆえの自走不能状態だったので貨物電車に牽引されてのパレード参加となっている。前方には自走する2階建電車が見える。(鉄道ファン69年6月号より)

乗り降り口のヒサシの付け根には、市章である澪の透かし飾りが取り付けられてあり、こういう細かな装飾を見つけると何とも嬉しいものだ。

車内は、モニタールーフの明り取り窓のため、明るく感じる。また網棚がないためスッキリとした印象を与える。
下の写真を見るとモニター窓の開閉レバーの様子がよく分かる。
しかし、この華奢なレバーだけではとてもスムーズな開閉ができるようなものではなく、片手で窓の開閉を行いつつ、片手でレバーで留め位置を定めるようにして用いられていたものと思われる。

木造バーにぶらさがる「布団たたき」のような吊り革は、“つり革”というより“つり手”の感じが漂う、籐製である。籐だけでは細いため手に触れる部分は、握りやすくするため太いロール状部材で補填するような細かな芸当を見せているが、現在のものと比べその耐久性は大いに劣っているため、どれだけの頻度で取り替えられていたのか?と、つい心配してしまう。

また客車内妻板上部には「投書箱」が備え付けてある。
投書箱 営業上に関しお気付の点はご投書下されたく候 大阪市電気鉄道部
とあり、現在の大阪市交通局の状況を思いつつ、いろいろと考えさせられた。
もう一両の古典車輌は、明治44年製の大阪市電初のボギー車の501型(528号)である。

この車輌は、日本初の空気ブレーキ付にして大小2個の車輪からなるマキシマムトラクション台車を装備した革新的な車輌だった。



これは、平成20年森ノ宮車庫を見学した際、展示してあったマキシマムトラクション台車だが、この528号のものと少し形態が異なる・・・ということは他にもマキシマムトラクション台車をつけた市電があったのか?
実はこの台車は、601型のものなのだ。501型に続き製造された車両で、このマキシマムトラクション台車が採用されたが、戦災で多くが焼失し、残った車両も昭和24年に廃車され姿を消した。しかしながらその特異な台車のみが森ノ宮車庫で現在も保存されているのである。
このように奇異な台車を使用していた市電が複数種あったということは、驚くべきことだと思えてならない。

この車体は、昭和26年に廃車されたものを昭和43年に復元したものだ。
その復元から25年が経過し、塗装にも少し劣化が見られるようになった。

乗り降り口の市章の透かし飾りは、この当時黒くくすんでいるが、この後保存車輌の大規模な補修がなされ、現在ではボディの塗り替えとともに金具も金色に磨きだされている。

これは、平成20年に同所を訪れた際のもの。金飾りのほか車体の色艶の違いがわかるだろうか。

車内の様子。上記の30号と製造年が近いだけに、よく似たデザインとなっているが、吊り手の様式が少し異なる。

この車輌の吊り手は、一部皮革を用いたものになっていて、30号車より新しい様式に思える。
しかし、製造年月を考えると528号車のほうが1年古いため、こちらの様式がより古いものかもしれない。
鉄道考古学の難しいところである。
因みに吊り手バーに並行して伸びている白いロープは、車掌が合図のために打ち鳴らす運転手への連絡ベル用のものだ。電気を使わず手動なところが好いネ。(参考:2枚前の写真)
(つづく)
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Comment
2013.02.24 Sun 20:38 |
これらの古典車輛、将来復元保存することを目的として車庫の片隅に置かれていたと聞きます。これは快挙と申せましょう。公営交通なればこそのような気がしてなりません。
現在の地下鉄も、公営だからこそできることがたくさんあるような気がするのですが、現状から考えると、一度完全にリセットとしてしまう方が良いのかもしれませんね。
2013.02.25 Mon 08:10 | *のりさん おはようございます。
公営交通のデメリットばかり目に付く昨今ですが、メリットも数多くあると思います。それが普段なかなか気づかないものなんですよね。今後の市営交通の民営化でやはり「昔は良かった・・・」なんてことにならないようにして欲しいものです。
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