平成5年 市電保存館完成記念の車輌展示会(その3)
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- 07:00
- ∇鐵道ほとがら帖/平成編 - ├平成元年-平成5年
市電保存館には、珍機種なる車輌も保存されている。

散水車21型(25号車)である。 青いテント屋根も夏らしくて洒落てるネ!

昭和初期まで道路が未舗装で電車が通りたびに砂埃が立つため明治43年から散水車が登場した。

この車輌は、大正14年製のもの。
大阪市電では、明治43年から昭和4年にかけて計30台の散水車が製造されたが、戦時中多くの散水車が客車に改造されていき、この車輌もその予定だったが改造資材が戦災のため消失したため、そのまま改造されずに残った。オリジナルな形で現存するのは珍しい。

八月の酷暑の昼下がり、表通りにこんな車輌が水撒きしながら通っていくと、どんなに涼やかであっただろうか。
今でも国県道などの舗装路で、大きなブラシを回転させて清掃するために散水している専用自動車の姿は見ることはあるが、その趣きとは随分違いそうだ。
※ 鹿児島市電では、2010年から線路敷きの芝の養生と桜島の降灰の対策として散水電車が登場したと聞く。

1601型(1644号)は、昭和4年製の鋼鉄製大型低床ボギー車だが、直線的なデザインで形成されているためそんなに古い車輌には見えない。



車内は、現役を引退した当時のママではなかろうか。黒光りした床が中央部分のみへこんでいるのがわかる。
この車輌も他の車輌同様、この後に整備がなされ、平成20年に再訪したときは、下記のような状態になった。

最後に登場するのは、昭和31年製の大阪市電最後の新造車である3001型(3050号)

最晩年期に通学にも使ったが、とにかく乗り心地の良い車輌だった。
その乗り心地を知る者にとっては、他県の悪口を言う気持ちは毛頭ないが、その後長じて京都市電を利用した際の乗り心地の悪さには、利用するたびに辟易した。
路面の状態もあったのだろうが、大阪市電と比べると、驚くほど体が揺れ、停止・出発時の衝撃が大きかった。吊り革が甚大に左右に揺れる様など見ていると、脱線するのではなかろうかと思われるほど恐怖を感じたものだった。

この路線図を見ると、地下鉄は4路線のみ。
そして御堂筋線と四つ橋線の本町と難波は共通駅ではなく、四つ橋線は、信濃橋、難波元町と呼称していた時代のものだ。

(当時の路線図より)

車内には市電廃止当時の吊り広告がそのままとなっている。
しかし、この告知文のスタイルは、40年以上経過した現在でも使用されているので、よく見慣れたものとなってい。
隠れた伝統とも言うべき交通局の告知文書である。

同年3月25日から29日にわたり心斎橋大丸で開催された市電展は、下記のような花電車でも広告をしていたようだ。
その市電展は初日から大入りの大盛況で、市民の関心の高さを表した。そしてその場で販売された市電部品なども飛ぶように売れたということである。

この1600形は、大阪市電で稼動した後は、全車両が南海電鉄大阪軌道線と広島市電に売却されその余命を長らえているが、最新鋭車の3000形は、譲渡価格が高額だったことと取扱・整備が難しかったため受け入れ側に敬遠され極めて短命に終わった。
(完)
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Comment
2013.03.03 Sun 10:08 |
記憶違いなら申し訳ありませんが、市電保存館に残る散水車、往時の散水車として現存する唯一のものと聞いたことがあります。
白黒画像は高松吉太郎さんの写真ですね。あの本は大切に持っています。
1600は南海にお輿入れしてからずいぶんお世話になりました。
大阪市電は、幼時の記憶ながら乗り心地が悪かったという想い出はありませんね。よく記憶に残っているのは、西道頓堀・天王寺線だったでしょうか「くだら・福島西通」を往き来する路線の恵美須町・あみだ池間です。親戚の家へ行くのに頻繁に利用しました。
京都市電、特に荒神口あたりの揺れは酷かったですね。
2013.03.03 Sun 16:25 | *のりさん こんにちは
>往時の散水車として現存する唯一
そうであれば、ますます大事にしてほしいです。
のりさんも大阪市電の利用客の一人だったんですね。今思えば、よくあれだけ狭い道路の自動車の洪水の中、複線で走っていたものだと感心します。小生は2階電車が走った港通りの路線を京阪東口まで毎日利用していましたが、最晩年はワンマンカーになってました。
京都市電の揺れは酷かったですが、悪路の場所は憶えてませんね。ポール集電時代の嵐電のほうがずっと快適でした。
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