リニア・鉄道館の名車輌“モハ52004”
それは、戦前の流線型ブームにのって登場した数々の車輌の中でも、その斬新な形状と明るい色彩は何とも魅力的であった関西急行車輌のモハ52である。


その弾丸のような流線型が何とも頼もしい。

ここで展示されているモハ52004は、第2次型

完成当時の形式写真
ヘッドライトが埋め込み式で、窓が大きくなり、屋根に通気孔がなく、下記の1次型に比べ軽快な感じがする。

昭和56年に訪問した、大阪の吹田工場で保存展示されているモハ52001・・・こちらが1次型である。

正面を見る限りカラーリングは1次型・2次型とも同じに見えるが・・・

グレーとブラウンとの境界線にボディカラーのクリーム色の細いラインが見て取れる。

吹田の1次型にはそのような色分けはなく、グレートブラウンが接している。
さてさて、どちらが正しいのかよくは分からないが、2次型復活の時には1次型を研究にしているはずだから、きっと2次型の色分けのほうが正しいのであろう。
まあ、1次型は2両、2次型は4両しか存在しない希少価値の高い車輌なので、それぞれが正しいのかもしれない。
完成当時のモノクロ写真からでは到底判断できない。


妻板の塗り分けもこんな具合だ。
HOモデルを作った時、この塗り分けだけがどうしても判らず困ったことがあった。
当時はこのような復元車輌がなく、色合いを含めその模型化にはホトホト泣かされた記憶がある。

復活車輌には、当時を髣髴とさせる「鉄道省」と「川崎車輌」の名板が取付けられ、細かいところにも気が配られているのが判る。

JR東海が、「大ミハ」と記入するのには大いなる抵抗があったのではなかろうか・・・そんな思いでこの文字を見た。
※大ミハ・・・大阪鉄道管理局宮原電車区に所属しているの意

車内の様子・・・下の1次型とよく似てはいるが、座席間に大窓が1つということがやはり明るい雰囲気となっている。
良く見ると、天井の空気孔の有無にも違いがある。


ただ、運転室の区切りが1次型と異なる。

1次型の2輌のモハのみ運転台が半室構造の片隅式となっており、車掌台側は座席が設置されて乗客に開放されていた。

昭和48年夏の晩年の流電の様子も併せてみよう。
スカートがないスカ色のクモハ52002も精悍な感じで、これはこれで好ましいものとなっている。

駅に進入してきたのは、2次型のクモハ52003 於:豊橋駅
この日は、クモハ52004には出会えなかった。
しかし考えてみれば、昭和11年から12年にかけて製造されたモハ52の先頭車は、1次型・2次型合わせて僅か6両
この当時でも現役の姿を拝めただけでもラッキーなことだった。その内2両が復元保存されているとは何と素晴らしいことではなかろうか。
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Comment
2013.10.13 Sun 16:01 |
はじめまして。
C,944さん伝いでお伺いいたしました。
国鉄民営化以降は鉄道は興味が急激に薄れ、今では鉄道撮影はしませんが、52系は過去にわたしも飯田線で出会いました。
木質の車内が豪華で、連結していたサハなどグリーン車相当だった様な記憶もあります。
運転席もとても広かったようで、28㎜レンズで乗務員室全体を写した記憶もあります。
撮影中友人も多くでき、機関庫へ皆で行きましたが、盗難が多かったようで残念ながら入場禁止で、既に運用から外されたにも関わらず保存されていたようなED18にはお目に掛かれなかったのが残念でした。
たしかEF10も通常運用にあって、このあたりは今では記憶も身延線とごっちゃになってしまったようです・・・。
大抵は解体の憂き目にあっていた電車群とはいっても、いまでも52系は保存で見れるので、とても幸運な車両だと思います。
- #CzFp58lQ
- treizieme ordre
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2013.10.14 Mon 15:40 | あぁ流電
リクエストにお答えいただき、本当にありがとうございます。
関西の私鉄発達史に興味があった私は、あの固いお役所である鉄道省が関西地区に投入した流線型電車に注目しておりました。
そのお姿を是非とも拝見したく、飯田線を訪問したのは昭和53年夏の事です。
まさにこの電車(モハ52004)と出逢い、その姿を堪能させていただきました。
拙ブログの記事です。
http://205-161-205.at.webry.info/200811/article_2.html
最晩年とはいえ、その姿に触れることが出来ただけでも感激でした。
その年の秋、ひっそりと引退し、もう二度と逢えることはないと思っておりました。今、博物館に安住の地を得て、安らぐ姿を拝見させていただき、感激で一杯です。
2013.10.18 Fri 07:08 | *treizieme ordreさん こんにちは
コメントをいただきありがとうございます。
今回の訪問は、仕事のついでに立ち寄りましたので、リコーのGRデジタルIIで撮影しましたが、車内の様子などは、スーパーアンギュロンで撮影したいところでした。ED18には、佐久間レールパークを訪れた時に臨時列車を牽引している所に出会ったことがありました。甲高い汽笛を残して去っていったのが印象的でした。
- #UXr/yv2Y
- fuzzy
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2013.10.18 Fri 07:12 | *のりさん こんにちは
リクエストをいただきましたので、流電を取上げました。
やはり時代を超えた名車輌ですね。戦前にこんな素晴らしいデザインの電車が存在していたことを若い鉄道ファンにも知ってほしいですね。
1次型と2次型が揃って保存され、とても嬉しく思っています。
- #UXr/yv2Y
- fuzzy
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2013.10.18 Fri 18:15 |
流電の末裔といわれる117系登場に際して大鉄局と国鉄本社との間でたいへんな確執があったと聞きますが、鉄道省時代にこんな地域の事情に即した車両が誕生していたことに驚きます。
所属標記・・・やっぱり大ミハでしょ!
- #-
- サットン
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2013.10.31 Thu 23:16 | *サットンさん
コメントありがとうございます。
117系も流電の遺伝子を継ぐ名車だと存じます。館外の広場にひっそりと保存されていたのが、印象的できでした。
貴兄よりコメントをいただいたのは直後にわかっているのですが、お礼が遅れてしまって申し訳ありません。
本業の都合上、何かとゆとりがなくなってしまって、ブログの新記事にもパワーがなかなかさけない状況が続いています。
ただ、スパンの長い更新とはなりますが、本ブログは続けていきたいと存じますので、末永く且つ気長にお付き合いくださいね。
- #UXr/yv2Y
- fuzzy
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2013.11.04 Mon 20:46 | ゆっくりと…
ブログの更新は、時間のお許しになられる範囲で。私も、何時更新が困難になるかわかりませんので、一度取材に出かけたら、記事を小まめに作成し、小出しにして誤魔化しています。お恥ずかしいです
2013.11.05 Tue 15:30 | *のりさん ありがとうございます。
気長にブログ記事を更新していきたいと存じます。
フェイスブックだと、写真1~2枚で1記事が出来上がりますので、今後はその手法をとって、気楽な記事構成にしてみようか・・・なんて思ったりもしています。
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