平成6年 JR桜島線の可動橋レポート
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- ∇鐵道ほとがら帖/平成編 - ├平成6年-平成7年
現在では、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)で日夜賑わっている彼の地であるが、まだUSJがオープンする7年前の平成6年6月11日のことだった。
此花区の北港運河にかかるJR桜島線の可動橋の存在が気になって訪れた。

昭和36年の地図から
現在USJの東に位置する南北の道路は、昔は北港運河と呼ばれる水路であった。
(陰の声)因みに安治川口駅前の汽車製造株式会社もこれまた懐かしい!

その北港運河には正安橋という一般道路の橋梁が架かっていたが、その下の運河に船舶が通航する時には天秤方式で跳ね上げる可動橋であった。

道路には、橋梁の可動時に鳴動したであろう信号機は、すっかりツタに覆われ、もう長い年月稼動していないことを示していた。

可動時のバランスをとるためのオモリ部分にはこのような名板があった。
可動橋設計製作 大正15年10月架橋
山本工務所 山本卯太郎
調べてみると日本最古の跳上橋(鋼製跳開式可動橋)で、とても貴重なものらしく、その後平成11年には復元できるように解体保存された。
しかし、これだけ大きなもの、保存するだけでも大変だが、果たして再び陽の目を見ることはあるのだろうか?

嗚呼、北港運河が埋め立てられた事はTVニュースで知っていたが、こんな姿になっていたとは・・・絶句

昭和50年8月に撮影した時の写真
実際橋梁を跳ね上げた姿は見ることはなかったが、これだと架線もろとも折りたたんで片跳式で立ち上がる姿が想像できるというものだ。

運河が埋め立てられた現在、無用となった防潮堤から姿を現す桜島行きの普通列車
(続く)
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Comment
2013.12.24 Tue 07:09 | あぁ桜島線
朝夕の通勤時間帯以外は、乗客のほとんどいなかった頃の桜島線ですね。たしかデイタイムは、30分ヘッドだったように記憶しています。
現在の姿を、誰が予想したでしょうね。
汽車会社、鉄道ファンならほとんどの方がご存知なのではないでしょうか。
古の地図のその先に見えます日立造船も、昔は鉄道車両を製作していました。かつては、大阪鉄工所と名乗っており、オオサカアイアンワークの頭文字「OIW」を組み合わせた社章でした。阪堺電車のモ170号車内に、その銘板が残っています。ひょっとしたら、大阪鉄工所製の現役唯一の車両かもしれません。
2013.12.26 Thu 23:05 | *のりさん ありがとうござます
阪堺電車に取付けられた大阪鉄工所の名板は小生も存じていましたが、製造所の所在地が彼の地だとは知りませんでした。汽車会社といい、此花区は鉄道とゆかりの深いところですね。また、戦前のガソリンカー転覆事故の慰霊碑も見逃せない聖地といえるでしょうね。
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2013.12.28 Sat 15:23 | 激変
大阪周辺の鉄道で21世紀になって最も変化が激しかったのは文句無く桜島線でしょう。多くの乗客で賑わい華やかな転身を遂げた姿を鉄道好きとしては喜ばねばならないのでしょうね。
ただ、父の勤務先が桜島近くにあり、子供の頃から桜島線を見ていた私としては戸惑いも大きいですが。
- #-
- サットン
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2013.12.29 Sun 22:26 | *サットンさん ありがとうございます。
USJ開設に伴い、桜島線の路線も変更になったてことは、一般市民はご存じないことでしょうね。当時の桜島線は鉄道マニアには注目されるような盲腸線でしたが、工場の建屋の如き桜島駅も、今となっては思い出の彼方です。
- #UXr/yv2Y
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2023.08.07 Mon 02:39 |
こんばんは。
桜島線には、今年、本当に久しぶりに訪ねました。
改めて調べている中で、初めて乗った時の写真を振り返ったのですが、それも線路が移設された後のこと、お写真の運河に架かる可動橋は私には手の届かない存在でした。
貨物列車が橋を渡り、跳ね上げた橋を横目に貨物船が通る、そんな光景を見てみたかったものです。
線路移設以前にも貨物線はなくなり、運河は埋め立てられ、USJができる以前のこの地を思える場所は、もう残っていないのだろうと思います。
貴重なお写真、拝見させて頂きありがとうございます。
2023.08.07 Mon 16:32 | *風旅記さん こんにちは
私も辛うじて北港運河が存在していた頃に間に合っただけで、その後の変容は凄まじいものとなりました。
当時の運河後は、USJ入口手前の高架下道路がそれに該当すると思いますが、憶測の域を出ません。
数年前に見極めるべく当時の地図と重ね合わせて検討したことがありましたが、発表しないまま現在に至っています。
機会があればその折にでも発表したいと思っています。
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