平成6年 古豪を訪ねて・・・南海・貴志川線(後編)
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- 07:00
- ∇鐵道ほとがら帖/平成編 - ├平成6年-平成7年
(前回のつづき・・・)

南海電気鉄道・貴志川線の終着駅・貴志駅にやってきた。
野上電鉄の終着駅「登山口駅」同様、駅前は閑散としていて、立ち寄るところもない。
隣の商店の三毛猫が、あれよあれよと駅長から社長代理になるシンデレラ・ストーリーなど、夢にも思わなかった時代。
世間の耳目を集めることとなる「事件」の12年前の寂しい終着駅「貴志駅」である。

貴志駅のモハ1201+1217
モハ1201の妻面の下部にスカート部がなく、直線で切られていて精悍な顔立ちとなって好感がもてる。


モハ1201の名板 昭和8年製であることが分かる。

その最古参モハ1201の車内の様子・・・運転室だけが区切られ、腰の高さの金属バー1本で結界を示しているのは、京阪1300系とよく似た仕様である。
京阪1300系は昭和23年の戦後に製造された車輌だが、ともに鉄道省管轄ではなく“つつましやかな”私鉄だったため、このあたりには共通点があるようだ。

伊太祁曽駅停車中のモハ1217から、車庫の様子を眺める。
下記の写真と比べ、クラシックな車窓ごしに見ると何とも味わい深く感じられてならない!

下車してみると、車庫には、モハ1218と1210の姿が見える。

ホームには留置されているモハ1241の姿があり、稼働中の2編成を含めると、貴志川線に導入された1201系の2輌ワンユニットの5編成すべてに出会ったことになる。
こういう小私鉄の路線を訪れると、全線乗車するとともに、全ての車両に出会ったということに幾許かの達成感を覚えずにはおれない。
この後いつ訪れることになるかもわからない路線であれば尚更である。
(注)訪問日に稼動していた1234+1204および1201+1217の2編成は、10輌存在した1201系のうち先頭を切って、この4ヵ月後の翌年3月14日に、水軒に転送され同日解体された 「貴志川線を探索しよう」より。
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Comment
2014.04.29 Tue 09:31 |
廃線必至と思われていた貴志川線、住民の熱意から廃線をまぬがれ、その後の営業努力もあって、見事にメジャーになりました。
終末の雰囲気を漂わせたお写真も、今では貴重品になりましたね。
2014.05.01 Thu 15:58 | *のりさん こんにちは
廃線覚悟の喜志川線はフェニックスのようによみがえりましたが、それに比べ海南の野上電鉄の末路は哀れでしたね。しかし現在では、どこの小私鉄に行ったも変わり映えしない車両ばかりで面白くありませんね。いかに阪堺電車が突出した魅力のある鉄道であるかが分かるというものです。
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