阪神淡路大震災の復興インフラを担った“サンタマリア”&“スーパーはくと”
- Sun
- 07:00
- ∇鐵道ほとがら帖/平成編 - ├平成11年-平成17年
再び須磨区名谷と姫路に出張だ。陸路は途絶しているので、午前9時00分の天保山発神戸行きの高速艇に乗るべく8時前に大阪港に出向いたが、すでに満席。
【ニッチな話題かもしれないが、震災の後、凄く短い期間だったが、大阪港の遊覧船サンタマリアが大阪港を飛び出して、大阪・神戸間の定期航路船として勇猛果敢に働いていた。今では遠来の観光客を乗せて日がな一日大阪港内を周遊しているが、あのときは、ほんと必死の運用だったのだろう。よく運輸省が認可したなと思うほどの大胆な措置だった。】

仕方なく9時30分発のサンタマリア号に乗船することになる。
高速艇が40分で行くところを1時間半かかる。
あれこれ言っても仕方がないので、とりあえず船中の人となる。
定刻に出帆するが、そもそも遊覧船ゆえ、フラフラとよく揺れるし、とにかくのろい。
また、船内を眺めてみると、室内装飾の華麗さとリュックを背負った乗客との対比が不自然な時空を作り出している。

乗客の談笑する声は、一切聞こえてこない。船上から見える神戸港はメチャクチャである。

優美な信号塔は傾いている。

ポートタワーはそのままであったが、足元の岸壁は崩壊している。

ハーバーランド岸壁の状態の良いところに着岸した。

できたばかりのモザイク広場も、かなり酷い状態である。

神戸から西明石行きの普通列車に乗車し、板張りのホームで応急措置を終えた鷹取駅で下車する。
本来の線路は、この写真のもう一本左側の線路になるのだが、使用できないためその上に仮設の延長ホームで覆って使っているのだ。

鷹取駅の駅名板・・・隣の新長田駅が使えないため、兵庫と書いた紙片が貼付されている。

シュプール号もしばらくの運休を余儀なくされているようだ。
JR鷹取から山陽電車の板宿まで歩いたが、焼け跡の広さとその凄惨さにカメラを向けることは出来なかった。
そして街中の倒壊家屋も甚だ多いが、そのあまりの多さに目が慣れてしまう程である。

山陽電車の板宿駅の惨状
【この震災により、進行中の地下駅化工事を前倒しして進められたため、:結局この地上駅はこの後使われることはなかった。】

板宿駅前の「王将」で昼食をとるが、容器は発泡スチロールである。水道が使えないためである。厨房ではさかんに氷を鍋に放り込んで溶かしていたが、そこに採算抜きで復興支援している姿を見た。
朝6時に起きて出かけたのに、須磨・名谷に到着したのが13時とは、全く情けなくなる。
用事を済ませて名谷から山陽電鉄バスでJR垂水駅に出る。垂水駅の周辺も被害が大きく、給水車がやってきたのであろうか、風呂屋の開店を待つ人の行列を横目にして駅に向かう。
・・・・・・
姫路での仕事も無事済ませ、姫路駅に戻ると播但線のホームにスマートな車両が入線していた。
智頭急行の看板車輌である「スーパーはくと」のHOT7000系ではないか・・・

智頭急行線は、1ヶ月前の平成6年12月3日に開業したばかりというのに、震災により特急車輌の「スーパーはくと」はその活躍場をなくしてしまった。
一時は、智頭急行の存続さえ危惧されたが、震災後の鉄道インフラの一部を担うべく、姫路駅 - 和田山駅間の播但線ノンストップ快速に運用されることとなった。


真新しい特急車両が、復興インフラで地道な支援活動をしていたのだ。
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- Genre :
- 日記
- 伝えたいこと・残しておきたいこと
- Tag :
- 阪神淡路大震災
Comment
2014.07.07 Mon 08:32 | もう20年…
あの時は、色々な方面から、様々な応援を頂きましたね。
一番感動しましたのは、確かスイスだったと記憶していますが、震災発生直後に災害救助犬を連れた救助隊が駆けつけてくださったことです。世界の方たちが、我が痛みと感じて馳せ参じてくださった…、本当に感動しました。
山陽電車板宿駅の惨状、金網越しの撮影ですね。私の見た光景そのままです。金網越しに、この光景を呆然と眺めながら、なぜか駅で食べた山陽そばの味やパルナスのケーキ屋さんを思い浮かべていました。
震災から数日経った頃でしょうか、NHKラジオで深夜、亡くなられた方々のお名前を延々と綴られていました。ただ茫然と聴くのみで、災害の規模の大きさに打ちのめされていました。
2014.07.12 Sat 10:04 | *のりさん おはようございます
阪神淡路や東日本の大震災に際しては各国から援助の手が差し伸べられました。これも普段の日本国の他国に対する接し方のたまものと感じました。
当時の板宿駅界隈はほんとうに荒廃してました。でも昨日、新長田・板宿駅に立ち寄りましたが、当時の面影は全くなく完全復活を遂げてました。しかしながら、瓦屋根の日本家屋が一棟も見当たらないのが少し奇異に感じました。
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