平成27年初春阿房列車・・・四国鉄道文化館訪問(北館)
- Sun
- 07:00
- ∇鐵道ほとがら帖/平成編 - ├平成23年-平成29年
(前回からのつづき)

平成27年1月3日伊予西条の四国鉄道文化館を訪問した。
正月三ケ日も通常開館しているのがエライ!!
十河信二記念館に並んだ北館と線路を渡った南館とに分かれている。

入場は、南北2館の共通入場券で大人300円なり。

北館は木造の立派な建造物であるが、床まで木造なので入り口でスリッパに履き替えなければならないのが残念である。
どうも鉄道施設に土足禁止というのはなんともミスマッチな感じが否めない。
北館の展示車両は、0系新幹線先頭車(21-141)とDF50-1

この0系新幹線先頭車は、広窓が特徴の前期型である。
平成12年に引退後はJR四国がJR西日本から譲り受け多度津工場で保存・展示してあったものである。

オリジナルなものから改装されて、簡易リクライニングが装備された当時の座席が懐かしいが、1車輌すべてではなく半分に切断された形での保存・展示は些か痛々しい。
他方のDF50-1は、昭和32年の新造当時は高松機関区に配属され、その後他の地区に転出したが昭和42年再び高松に戻ってきた四国ゆかりのDF50である。
昭和58年に引退とともに「準鉄道記念物」に指定されるとともに、いまでも走行可能な状態で唯一保存されているDF50だ。


側面の黒いラジエター部分を取り外して機関車内部を見やすくし、各部のネームプレートを貼付して説明しているのは好感が得られるが、名称だけでなくその役割の説明がないとね・・・

壁面を埋めてサボの中で目に付いたのは、豊浜-高松のサボである。

本日乗車した豊浜と高松を結ぶ列車があったとは驚きであった。

実際目にしたことがある急行用列車標識板が懐かしい。
四国のそれは、車輌前面の中央ではなく、阪急のプレートのようにサイドに掲げるがよろし!

昭和57年9月に高松で撮影した急行いよ5号105D(キハ58-303)

タブレットも過去のものとなったね。知らない人に説明するのが面倒くさい鉄道用具のひとつである。

今回の訪問で見つけた逸品がコレ!
(左)明治期の夜間列車停止位置目標・・・夜間ホームにおいて列車を牽引する機関車の停止場所を示すランプである。
これは初見である。ガラスの中をのぞくとお灯明のようなか細い蝋燭が立っていた。
これで機関士から見えたのだろうか? 明治の闇は暗かったからこれでも役に立ったのかなあ・・・

北館はそれくらいにして跨線橋(ぽっぽ橋)をわたって南館へ・・・
手前のレンガ造りの倉庫が気になった。

明治期のランプ小屋ではなかろうか・・・しかし予讃線の伊予西条駅は大正10年なので、大正期の倉庫である。
明治期の車内灯はランプが主だったか、大正期に入ると車軸発電の電灯が安定供給されるようになると、ランプは姿を消した。よって大正10年にランプ小屋というのは時代錯誤である。
調べるとこれは、ランプ小屋ではなくカーバイドの倉庫のようだ。
アセチレンライトに使うカーバイド(炭化カルシウム)を保存していたところらしい。
カーバイドは、水をたらしてガスを発生させて使うものなので、入口横の「注水厳禁」のホーロー板は辻褄が合う。

機関車の発電機による前照灯が普及する前には、アセチレンライトを機関車前部に1~2基設置したものだった。
大正後期でも、それなりの利用があったものと思われる。
また、機関庫内の車輌点検の時には、近年までアセチレンライトが用いられていたような記憶がある。
ただし、実際には夜店で使われていたのを見たくらいだが・・・それも今となっては歴史的事象なのだろうか。

平成27年1月3日伊予西条の四国鉄道文化館を訪問した。
正月三ケ日も通常開館しているのがエライ!!
十河信二記念館に並んだ北館と線路を渡った南館とに分かれている。

入場は、南北2館の共通入場券で大人300円なり。

北館は木造の立派な建造物であるが、床まで木造なので入り口でスリッパに履き替えなければならないのが残念である。
どうも鉄道施設に土足禁止というのはなんともミスマッチな感じが否めない。
北館の展示車両は、0系新幹線先頭車(21-141)とDF50-1

この0系新幹線先頭車は、広窓が特徴の前期型である。
平成12年に引退後はJR四国がJR西日本から譲り受け多度津工場で保存・展示してあったものである。

オリジナルなものから改装されて、簡易リクライニングが装備された当時の座席が懐かしいが、1車輌すべてではなく半分に切断された形での保存・展示は些か痛々しい。

他方のDF50-1は、昭和32年の新造当時は高松機関区に配属され、その後他の地区に転出したが昭和42年再び高松に戻ってきた四国ゆかりのDF50である。
昭和58年に引退とともに「準鉄道記念物」に指定されるとともに、いまでも走行可能な状態で唯一保存されているDF50だ。


側面の黒いラジエター部分を取り外して機関車内部を見やすくし、各部のネームプレートを貼付して説明しているのは好感が得られるが、名称だけでなくその役割の説明がないとね・・・

壁面を埋めてサボの中で目に付いたのは、豊浜-高松のサボである。

本日乗車した豊浜と高松を結ぶ列車があったとは驚きであった。

実際目にしたことがある急行用列車標識板が懐かしい。
四国のそれは、車輌前面の中央ではなく、阪急のプレートのようにサイドに掲げるがよろし!

昭和57年9月に高松で撮影した急行いよ5号105D(キハ58-303)

タブレットも過去のものとなったね。知らない人に説明するのが面倒くさい鉄道用具のひとつである。

今回の訪問で見つけた逸品がコレ!
(左)明治期の夜間列車停止位置目標・・・夜間ホームにおいて列車を牽引する機関車の停止場所を示すランプである。
これは初見である。ガラスの中をのぞくとお灯明のようなか細い蝋燭が立っていた。
これで機関士から見えたのだろうか? 明治の闇は暗かったからこれでも役に立ったのかなあ・・・

北館はそれくらいにして跨線橋(ぽっぽ橋)をわたって南館へ・・・
手前のレンガ造りの倉庫が気になった。

明治期のランプ小屋ではなかろうか・・・しかし予讃線の伊予西条駅は大正10年なので、大正期の倉庫である。
明治期の車内灯はランプが主だったか、大正期に入ると車軸発電の電灯が安定供給されるようになると、ランプは姿を消した。よって大正10年にランプ小屋というのは時代錯誤である。
調べるとこれは、ランプ小屋ではなくカーバイドの倉庫のようだ。
アセチレンライトに使うカーバイド(炭化カルシウム)を保存していたところらしい。
カーバイドは、水をたらしてガスを発生させて使うものなので、入口横の「注水厳禁」のホーロー板は辻褄が合う。

機関車の発電機による前照灯が普及する前には、アセチレンライトを機関車前部に1~2基設置したものだった。
大正後期でも、それなりの利用があったものと思われる。
また、機関庫内の車輌点検の時には、近年までアセチレンライトが用いられていたような記憶がある。
ただし、実際には夜店で使われていたのを見たくらいだが・・・それも今となっては歴史的事象なのだろうか。
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Comment
2015.01.28 Wed 16:25 | スリッパ
0系とDF50の並びというのがなかなかシュールですね。
しかし、土足厳禁ということは、そもそも多数の入館者を見込んでないんでしょうか? 場所柄スリッパが足りなくなるということはないんでしょうが。
- #-
- サットン
- URL
2015.02.05 Thu 06:51 |
サットンさん おはようございます。
新幹線とは縁のない土地のようでもあり、十河総裁の出身地ということでそれなりにご縁があるような不思議な展示品となっています。館内は木製の床面をいためることのないようスリッパにしているようですが、狭い入り口付近では多客時には混雑必至です。
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