九州鉄道発祥の地
平成27年7月10日仕事で博多にやってきた。
博多駅界隈に面白い場所はないものかと探していたら、かなり貴重な鉄道遺産に出くわした!
九州鉄道発祥の地 の石碑である。
現在の博多駅から300メートル北西に進んだ公園(出来町公園)の中にそれはあった。



つまり初代の博多駅は、ここにあったという訳である。
(石碑を囲むように据え付けられているSLの動輪は、C6118の第3動輪である。)
博多駅界隈に面白い場所はないものかと探していたら、かなり貴重な鉄道遺産に出くわした!
九州鉄道発祥の地 の石碑である。
現在の博多駅から300メートル北西に進んだ公園(出来町公園)の中にそれはあった。



つまり初代の博多駅は、ここにあったという訳である。
(石碑を囲むように据え付けられているSLの動輪は、C6118の第3動輪である。)
石碑の裏面には、その謂れが刻まれている。

碑文は、下記のとおり
福岡県をはじめ佐賀 長崎 熊本県民有志のあいだに鉄道建設への機運が盛りあがり 明治二十一年六月 九州鉄道株式会社が創立されました 初代社長高橋新吉は ドイツ人技師ヘルマン ルムシュッテルを技術顧問として招へいし 彼の指導によりまず博多・久留米間の工事を進めました 本州の鉄道がイギリス人 北海道がアメリカ人の技術指導によったのに対し九州の鉄道はドイツ式を採用することになりました この公園の一角に設けられた博多駅から 久留米の対岸 千歳川仮停車場に向けて九州最初の鉄道が敷設され 明治二十二年十二月十一日 陸蒸気は多くの人びとの喜びと期待を乗せて走り始め 筑紫路に鉄輪のひびきがこだましました いらい九州鉄道は 自らその路線を伸ばすとともに すでに開業していた筑豊鉄道 豊州鉄道 唐津興業鉄道 伊万里鉄道とつぎつぎに吸収 北部九州の交通網をほとんど手中に収め 民営鉄道のなかでは全国第二位の地位を占めるまでに発展しました その後 明治四十年七月 鉄道国有法によって国に買収されることになり 国有鉄道として九州の産業 文化の発展に貢献してまいりました 博多駅もまた この鉄道の発展につれて二代 三代と所を変えて成長 今日では九州最大の駅としてその偉容を誇っております このたび 九州の鉄道開業九十周年を迎えるにあたり ここに先人の偉業をしのび 合わせて鉄道発祥の地を永久に保存するため この地に碑を建立しました
昭和五十四年十二月十一日 日本国有鉄道九州総局
当時の国鉄九州総局が開業90周年を記念して建てたものだ。
初代博多駅のあった場所は、これで特定されたが、ではどのような駅舎であったのか?
それについては、過去の記事で紹介している→詳細はコチラ
平成22年8月26日に筑豊本線・直方駅を訪問した際、取り壊し直前の駅本屋がその初代博多駅舎であったと伝えられている。

筑豊本線・直方駅(明治22年築の旧博多駅を明治43年に直方に移築したもの)

同駅・正面車寄

現在の博多駅ビルとは比べようもない。
しかし、初代博多駅の所在地と当事の駅舎が、小生の頭脳の中で結びついた・・・何やら、パズルのピースがようやく合わさったような心地良さがした。


碑文は、下記のとおり
福岡県をはじめ佐賀 長崎 熊本県民有志のあいだに鉄道建設への機運が盛りあがり 明治二十一年六月 九州鉄道株式会社が創立されました 初代社長高橋新吉は ドイツ人技師ヘルマン ルムシュッテルを技術顧問として招へいし 彼の指導によりまず博多・久留米間の工事を進めました 本州の鉄道がイギリス人 北海道がアメリカ人の技術指導によったのに対し九州の鉄道はドイツ式を採用することになりました この公園の一角に設けられた博多駅から 久留米の対岸 千歳川仮停車場に向けて九州最初の鉄道が敷設され 明治二十二年十二月十一日 陸蒸気は多くの人びとの喜びと期待を乗せて走り始め 筑紫路に鉄輪のひびきがこだましました いらい九州鉄道は 自らその路線を伸ばすとともに すでに開業していた筑豊鉄道 豊州鉄道 唐津興業鉄道 伊万里鉄道とつぎつぎに吸収 北部九州の交通網をほとんど手中に収め 民営鉄道のなかでは全国第二位の地位を占めるまでに発展しました その後 明治四十年七月 鉄道国有法によって国に買収されることになり 国有鉄道として九州の産業 文化の発展に貢献してまいりました 博多駅もまた この鉄道の発展につれて二代 三代と所を変えて成長 今日では九州最大の駅としてその偉容を誇っております このたび 九州の鉄道開業九十周年を迎えるにあたり ここに先人の偉業をしのび 合わせて鉄道発祥の地を永久に保存するため この地に碑を建立しました
昭和五十四年十二月十一日 日本国有鉄道九州総局
当時の国鉄九州総局が開業90周年を記念して建てたものだ。
初代博多駅のあった場所は、これで特定されたが、ではどのような駅舎であったのか?
それについては、過去の記事で紹介している→詳細はコチラ
平成22年8月26日に筑豊本線・直方駅を訪問した際、取り壊し直前の駅本屋がその初代博多駅舎であったと伝えられている。

筑豊本線・直方駅(明治22年築の旧博多駅を明治43年に直方に移築したもの)

同駅・正面車寄

現在の博多駅ビルとは比べようもない。
しかし、初代博多駅の所在地と当事の駅舎が、小生の頭脳の中で結びついた・・・何やら、パズルのピースがようやく合わさったような心地良さがした。

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