スーパーイコンタをお供に・・・天下茶屋パトロール
- Mon
- 07:00
- ∇鐵道ほとがら帖/平成編 - ├平成6年-平成7年
平成7年7月新たにファジー・コレクションに加わった1938年ドイツ製ツアイスのスーパーイコンタⅢの試写を兼ねて、天下茶屋界隈をパトロールする。

このカメラは、分類ではスプリングカメラに属するが、ドレーカイル式のピントあわせ装置を備え、同種の中では最高品である。
レンズの横に飛び出た腕木単目のドレーカイル方式の説明は、本機を手にすればその精緻な光学装置に驚嘆するばかりであるが、文書にすると絶対に理解できない代物である。
アマチュアには、この半分の大きさのセミ・イコンタが好まれたが、イコンタがもつ6×9cmのビックサイズはプロに好まれ、この傾向は1970代まで続いた。

左側の35mmフイルムではなく、右にある細長いサイズの裏紙のついたプローニ判のフイルムを使う。

ネガを比べてみると、35mmに比べて圧倒的なサイズの大きさを誇る。これは、今で言うところのデジタルカメラの受像子の大きさの違いと同様の効果がある。
昔はレンズの性能をカバーするため大きなサイズが求められたが、名レンズのテッサーを搭載したスーパーイコンタともなれば、大きく引き伸ばす必要のあるプロ写真にとっては、35mm判より重用された。
そして、スプリングカメラの特徴として、折りたたむとコンパクトになることから山岳写真家には特に愛好された。

これは同サイズの六曜社・8年型パールにおけるカメラとフイルムの様子。極めてシンプルにして完全なるアナログ仕様である。
この六曜社・8年型パールは、以前にも記事にしたことがあった。

この日は、恵美須町から阪堺電車で天下茶屋に向かった。


阪堺電車の北天下茶屋で下車
狭い商店街のもつ猥雑感が何ともいえないいい雰囲気を醸し出している。


これがスーパーイコンタで撮影した写真である。
このように、6×9cmのサイズだとかなり長辺が長くなるので、普段は適当に長辺をカットして用いることが多い。

この当時は、南海・天下茶屋駅の高架工事の真っ最中であったが辛うじて地上駅の本屋が残っていた。
山小屋風の愛すべき駅舎である。

高野線の下り線のみが地上に残っていて、駅舎の裏側の様子がよくわかる。

上り線への地下通路も、取り壊しのため手が加えられていないのか、このようなボロボロの風情を漂わせていた。
天下茶屋駅の高架工事は、その年の11月に完成し、ほどなくして歴史ある駅舎もその姿を消した。

なんば駅の6100系6125号車・・・高野線といえば、コルゲート板のステンレス車が特徴であった。この車輌1970年製で車歴は古いが、形式は6300系となった今でも健在である。

このカメラは、分類ではスプリングカメラに属するが、ドレーカイル式のピントあわせ装置を備え、同種の中では最高品である。
レンズの横に飛び出た腕木単目のドレーカイル方式の説明は、本機を手にすればその精緻な光学装置に驚嘆するばかりであるが、文書にすると絶対に理解できない代物である。
アマチュアには、この半分の大きさのセミ・イコンタが好まれたが、イコンタがもつ6×9cmのビックサイズはプロに好まれ、この傾向は1970代まで続いた。

左側の35mmフイルムではなく、右にある細長いサイズの裏紙のついたプローニ判のフイルムを使う。

ネガを比べてみると、35mmに比べて圧倒的なサイズの大きさを誇る。これは、今で言うところのデジタルカメラの受像子の大きさの違いと同様の効果がある。
昔はレンズの性能をカバーするため大きなサイズが求められたが、名レンズのテッサーを搭載したスーパーイコンタともなれば、大きく引き伸ばす必要のあるプロ写真にとっては、35mm判より重用された。
そして、スプリングカメラの特徴として、折りたたむとコンパクトになることから山岳写真家には特に愛好された。

これは同サイズの六曜社・8年型パールにおけるカメラとフイルムの様子。極めてシンプルにして完全なるアナログ仕様である。
この六曜社・8年型パールは、以前にも記事にしたことがあった。

この日は、恵美須町から阪堺電車で天下茶屋に向かった。


阪堺電車の北天下茶屋で下車
狭い商店街のもつ猥雑感が何ともいえないいい雰囲気を醸し出している。


これがスーパーイコンタで撮影した写真である。
このように、6×9cmのサイズだとかなり長辺が長くなるので、普段は適当に長辺をカットして用いることが多い。

この当時は、南海・天下茶屋駅の高架工事の真っ最中であったが辛うじて地上駅の本屋が残っていた。
山小屋風の愛すべき駅舎である。

高野線の下り線のみが地上に残っていて、駅舎の裏側の様子がよくわかる。

上り線への地下通路も、取り壊しのため手が加えられていないのか、このようなボロボロの風情を漂わせていた。
天下茶屋駅の高架工事は、その年の11月に完成し、ほどなくして歴史ある駅舎もその姿を消した。

なんば駅の6100系6125号車・・・高野線といえば、コルゲート板のステンレス車が特徴であった。この車輌1970年製で車歴は古いが、形式は6300系となった今でも健在である。
- 関連記事
-
- 平成7年 名鉄揖斐線モ510形再訪 (2017/01/15)
- 平成7年夏 米原彦根寸描 (2016/12/25)
- 平成7年 ふたたび“SL北びわこ号”にトライ (2016/11/27)
- 平成7年8月 コトデン紀行(その2) (2016/06/26)
- 平成7年8月 コトデン紀行(その1) (2016/06/08)
- 平成7年 名鉄揖斐線探訪 (2016/05/05)
- 平成7.8.19 SL北びわこ号 運転初日 (2016/04/10)
- スーパーイコンタをお供に・・・天下茶屋パトロール (2016/02/08)
- 平成7年6月 阪神淡路大震災から復旧した阪急・阪神電車 (2016/01/17)
- 平成7年 蹴上浄水場のツツジと京阪・京津線 (2015/05/06)
- 地下鉄サリン事件と「かえ~るボックス」 (2015/04/12)
- 平成7年大阪春景色(続) (2015/03/22)
- 平成7年春 正雀工場見学 続編(その1) (2014/12/27)
- 平成7年 阪神淡路大震災直後の阪急正雀工場見学会 (2014/11/23)
- 京阪京津線を行く 三条~蹴上 (2014/10/11)
スポンサーサイト
Comment
2016.02.10 Wed 06:58 |
懐かしい写真ですね。
701形の標準色も素敵でした。
地平時代の天下茶屋駅、昭和53〜55年にかけてホーム整理の学生アルバイト班として朝ラッシュ時にホームに立っていました。
整理…といっても高野線下りホームでしたので乗客も少なく、発車や通過電車の運転士さんや車掌さんに敬礼をして挨拶するのが楽しみなバイトでした。
懐かしいですね。
2016.02.14 Sun 07:43 | *のりさん こんにちは
地上時代の天下茶屋でバイトしてたとは驚きです。写真の高野線のホームの右側に天王寺支線のホームがあったと記憶していますが、それで正しかったでしょうか?
- #-
- FUZZY
- URL
Trackback
- URL
- http://fuzzyphoto.blog120.fc2.com/tb.php/1685-5421e87a
- この記事にトラックバック(FC2Blog User)