肥薩線めぐりの旅(その3) 鉄道の町吉松へ
前回からのつづき

今回の旅程(ブルーのライン)
平成28年8月20日(土) 霧島温泉で英気を養ったあと、丸尾温泉バス停留所からJR霧島温泉駅に戻る。
この10:01発のバスを逃すと13時までないので、油断ならない。

霧島温泉からは10:41発の特急「はやとき風2号」に乗車するが、やってきた列車がこの駅で5分停車
停車中は、ホームでは、乗客にお茶が振舞われ、地元の特産物販売の即席市場となる。
この特急は自由席ならば300円の支払いで済む。この列車も混雑とは無縁のローカル列車であった。
10:48大隅横川駅着 ここでは6分の停車である。


どうやらこの地における昔の基準的な駅舎構造は、駅舎の出入り口を端に設けて、庇を深く角の周りをL字型に配するもののようだ。

この駅も嘉例川駅同様、明治36年築
改札の梁にその証拠を見つけた。 鉄道の財産標である。

駅本屋 明治36年1月築・・・確認! 日本に風雲急を告げる日露開戦の前年である。




機銃掃射の痕跡に当時の町の規模を推量していると・・・
アテンダントの打ち鳴らす鐘に我を戻し、車内に戻る。

ラウンジコーナーで自撮したものだが、偶然稼働中のアテンダントが写り込んだ。
彼女たちは実によく働きます。
日本名水100選のひとつ丸池湧水のほとりにある栗野駅を経て終着駅に向う
最終駅「吉松」には11:11着


漆黒の「はやとの風」とはここでお別れ

吉松駅構内では、タレントの大桃美代子さんがTVクルーと一緒に、到着した上り列車から改札口を通りすぎていった。
この地の名所めぐりのロケだったのだろうか?
それはさておき、吉松駅は、昔から鉄道要衝の地 大きな機関区ではSLが日夜往来していた。

そんな鉄道で栄えた吉松の駅前には、右から大正2年吉都線開通100周年、大正2年吉松駅開業100周年などの記念碑が大きく建立されているが、重みがあるのは、やはり左端の明治42年の肥薩鉄道開通紀念碑だろう。

後述するが、人吉~吉松の険峻な山岳ルートに鉄道を敷設するという大工事で、明治政府の威信を掛けたものだっただけに、開通時はさぞ大変なお祝い騒ぎであっただろう。
なにせ、門司と鹿児島とが一本の鉄道で繋がったのだから・・・

駅舎横に残る石造りの燃料庫も、当時を偲ぶ産業遺産である。


さらにその横に吉松機関区の忘れ形見とも言うべきC5552が整備保存されていた。


C55ならではの「水掻き」付動輪がことのほか美しい。

スポークを丈夫にするため施されたバリのようなものを「水掻き」と呼んでいる。
しかし、直後に設計されたD51形・C57形からはアメリカ流のボックス型動輪を採用することとなったため、本形式は次世代に受け継がれることはなく、そして日本の大型蒸気機関車としては最後のスポーク動輪採用形式となった。
足回りの美しさでいえば、ボックス型動輪よりスポーク型のものがはるかにスマートである。
さて、吉松駅での休憩を終えて、いよいよ、難所といわれた矢岳の山路線25パーミルに挑む!
(つづく)

今回の旅程(ブルーのライン)
平成28年8月20日(土) 霧島温泉で英気を養ったあと、丸尾温泉バス停留所からJR霧島温泉駅に戻る。
この10:01発のバスを逃すと13時までないので、油断ならない。

霧島温泉からは10:41発の特急「はやとき風2号」に乗車するが、やってきた列車がこの駅で5分停車
停車中は、ホームでは、乗客にお茶が振舞われ、地元の特産物販売の即席市場となる。
この特急は自由席ならば300円の支払いで済む。この列車も混雑とは無縁のローカル列車であった。
10:48大隅横川駅着 ここでは6分の停車である。


どうやらこの地における昔の基準的な駅舎構造は、駅舎の出入り口を端に設けて、庇を深く角の周りをL字型に配するもののようだ。

この駅も嘉例川駅同様、明治36年築
改札の梁にその証拠を見つけた。 鉄道の財産標である。

駅本屋 明治36年1月築・・・確認! 日本に風雲急を告げる日露開戦の前年である。




機銃掃射の痕跡に当時の町の規模を推量していると・・・
アテンダントの打ち鳴らす鐘に我を戻し、車内に戻る。

ラウンジコーナーで自撮したものだが、偶然稼働中のアテンダントが写り込んだ。
彼女たちは実によく働きます。
日本名水100選のひとつ丸池湧水のほとりにある栗野駅を経て終着駅に向う
最終駅「吉松」には11:11着


漆黒の「はやとの風」とはここでお別れ

吉松駅構内では、タレントの大桃美代子さんがTVクルーと一緒に、到着した上り列車から改札口を通りすぎていった。
この地の名所めぐりのロケだったのだろうか?
それはさておき、吉松駅は、昔から鉄道要衝の地 大きな機関区ではSLが日夜往来していた。

そんな鉄道で栄えた吉松の駅前には、右から大正2年吉都線開通100周年、大正2年吉松駅開業100周年などの記念碑が大きく建立されているが、重みがあるのは、やはり左端の明治42年の肥薩鉄道開通紀念碑だろう。

後述するが、人吉~吉松の険峻な山岳ルートに鉄道を敷設するという大工事で、明治政府の威信を掛けたものだっただけに、開通時はさぞ大変なお祝い騒ぎであっただろう。
なにせ、門司と鹿児島とが一本の鉄道で繋がったのだから・・・

駅舎横に残る石造りの燃料庫も、当時を偲ぶ産業遺産である。


さらにその横に吉松機関区の忘れ形見とも言うべきC5552が整備保存されていた。


C55ならではの「水掻き」付動輪がことのほか美しい。

スポークを丈夫にするため施されたバリのようなものを「水掻き」と呼んでいる。
しかし、直後に設計されたD51形・C57形からはアメリカ流のボックス型動輪を採用することとなったため、本形式は次世代に受け継がれることはなく、そして日本の大型蒸気機関車としては最後のスポーク動輪採用形式となった。
足回りの美しさでいえば、ボックス型動輪よりスポーク型のものがはるかにスマートである。
さて、吉松駅での休憩を終えて、いよいよ、難所といわれた矢岳の山路線25パーミルに挑む!
(つづく)
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