肥薩線めぐりの旅(その5) 球磨川の温泉地「人吉」
前回からのつづき

平成28年8月20日13:30 人吉駅からレンタサイクルで相良氏の城下町に飛び出した。
電動アシスト付ママチャリなので楽チンであるが、気温35度快晴の下ではやや辛い。
はやく一っ風呂浴びたいものだ!

レトロの極みといわれた昭和初期の銭湯の様子を今に伝える「新温泉」や

大正築の最古参の「堤温泉」の佇まいを確認した後・・・

熊本県最南端の裁判所をチェックし・・・

裁判所あるところには、検察・法務局の存在もあるので、新築なったお洒落な人吉法務総合庁舎も確認!

人吉城郭のほとりの球磨川支流「胸川」で川遊びする親子連れの姿に、いまだ変わらぬ日本の夏景色を見て嬉しくなる。
因みに城下町人吉球磨を治めた相良(さがら)氏は鎌倉初期から江戸時代の終わりまで700年治世した氏柄である。
球磨での相良家の歴史は、源頼朝の命により遠江国より下向して来ることがはじまる。
以後、戦国の世を乗り切り、豊臣秀吉、徳川氏からも所領を安堵され、明治維新まで命脈を保った。
そのように、相良家は長きにわった所領を守り抜いた全国的には稀有な大名である。
そして、彼の地は明治2年の版籍奉還により人吉県となり、その後八代県に合併され人吉藩は消滅した。
それはさておき・・・人吉城址に近い人吉温泉「元湯」に到着


休日は元旦のみで、午前6時から午後10時まで営業して、利用料金が大人200円!というのが素晴らしい。
昼下がりの男湯は、果たして貸しきり状態だった。

浴室には一切の備品は存在しない

大きな窓を開け放ち、清清しいまでのシンプルな浴槽に身を沈めると開放感満点!
夏の暑さを忘れさせる一瞬である
迷い込んだ羽黒トンボが、溢れた湯道に羽を休めている・・・あえてミネラル分を補給しに来ているのかもしれない。
羽黒トンボがいるということは、近くの球磨川が清流であることの証拠でもある。

元湯を冠するだけに、滾々と湧き出す温泉は、加水ながら源泉掛け流し
飲料も可とするので、口に含むと、ややモール臭が漂う

隣の女湯からは、地元の会話が蝉時雨とともに流れてくる。
これも旅の途中における温泉の楽しみ方の一つであろう・・・ああ、癒される

これ以上ないシンプルな蛇口 ヤワな使い方を拒絶しているような佇まいで文句の言いようがない。参りました

掛け流し温泉のため、湯船のお湯は、1時間から1時間20分で全体が入れ替わるとのことである。

脱衣場の様子 シンプルそのもの 鍵つきロッカーなんていらない。 脱衣カゴがあればよい。

窓を開け放ち、扇風機が回るのみ

片隅に、年季の入った古そうな体重計があった。

わっ!尺貫法表示がメインの体重計だ! 32貫まで量れる。
この手の体重計に出会うのは、学生時代の北海道旅行以来となる。
私が乗ると、体重計の針は、21貫400匁のところで止まった。
昭和の思い出に浸りながら汗を収めて、元湯を出る。
その後は、国宝指定の青井阿蘇神社に向う。
ここは、806年の創建で1200年以上の歴史あるお社で、現在の建物は、1610年から3年掛けて造営されたもので、本殿・廊・幣殿・拝殿・楼門の五棟社殿群が、熊本県の“唯一”の国宝建造物となっている。
熊本の唯一の国宝建造物がこの人吉にあるのであれば、これは拝観せぬまま去れまいて。
おなじ阿蘇神社でも、肥後一ノ宮であり全国に存在する阿蘇神社の総本山である阿蘇神社の楼門等は重要文化財であり、熊本城の櫓郭も国宝建造物ではない。 (残念ながら、阿蘇神社楼門と拝殿は、平成28年4月16日震災により倒壊してしまった。)

桃山様式の茅葺き楼門は、後年のものの如き洗練さはないが、太古の神々をお祀りするのに相応しい骨太のダイナミックな迫力が感じられる。

こちらの拝殿も茅葺き屋根。急斜面でもっこりとした分厚い屋根の存在が日本の原風景を今に伝えている。
今回無事に旅を続けられ、こうして参拝できたことに神前でお礼を申し上げて社殿をあとにし、人吉駅に戻る。
(つづく)

平成28年8月20日13:30 人吉駅からレンタサイクルで相良氏の城下町に飛び出した。
電動アシスト付ママチャリなので楽チンであるが、気温35度快晴の下ではやや辛い。
はやく一っ風呂浴びたいものだ!

レトロの極みといわれた昭和初期の銭湯の様子を今に伝える「新温泉」や

大正築の最古参の「堤温泉」の佇まいを確認した後・・・

熊本県最南端の裁判所をチェックし・・・

裁判所あるところには、検察・法務局の存在もあるので、新築なったお洒落な人吉法務総合庁舎も確認!

人吉城郭のほとりの球磨川支流「胸川」で川遊びする親子連れの姿に、いまだ変わらぬ日本の夏景色を見て嬉しくなる。
因みに城下町人吉球磨を治めた相良(さがら)氏は鎌倉初期から江戸時代の終わりまで700年治世した氏柄である。
球磨での相良家の歴史は、源頼朝の命により遠江国より下向して来ることがはじまる。
以後、戦国の世を乗り切り、豊臣秀吉、徳川氏からも所領を安堵され、明治維新まで命脈を保った。
そのように、相良家は長きにわった所領を守り抜いた全国的には稀有な大名である。
そして、彼の地は明治2年の版籍奉還により人吉県となり、その後八代県に合併され人吉藩は消滅した。
それはさておき・・・人吉城址に近い人吉温泉「元湯」に到着


休日は元旦のみで、午前6時から午後10時まで営業して、利用料金が大人200円!というのが素晴らしい。
昼下がりの男湯は、果たして貸しきり状態だった。

浴室には一切の備品は存在しない

大きな窓を開け放ち、清清しいまでのシンプルな浴槽に身を沈めると開放感満点!
夏の暑さを忘れさせる一瞬である
迷い込んだ羽黒トンボが、溢れた湯道に羽を休めている・・・あえてミネラル分を補給しに来ているのかもしれない。
羽黒トンボがいるということは、近くの球磨川が清流であることの証拠でもある。

元湯を冠するだけに、滾々と湧き出す温泉は、加水ながら源泉掛け流し
飲料も可とするので、口に含むと、ややモール臭が漂う

隣の女湯からは、地元の会話が蝉時雨とともに流れてくる。
これも旅の途中における温泉の楽しみ方の一つであろう・・・ああ、癒される

これ以上ないシンプルな蛇口 ヤワな使い方を拒絶しているような佇まいで文句の言いようがない。参りました

掛け流し温泉のため、湯船のお湯は、1時間から1時間20分で全体が入れ替わるとのことである。

脱衣場の様子 シンプルそのもの 鍵つきロッカーなんていらない。 脱衣カゴがあればよい。

窓を開け放ち、扇風機が回るのみ

片隅に、年季の入った古そうな体重計があった。

わっ!尺貫法表示がメインの体重計だ! 32貫まで量れる。
この手の体重計に出会うのは、学生時代の北海道旅行以来となる。
私が乗ると、体重計の針は、21貫400匁のところで止まった。
昭和の思い出に浸りながら汗を収めて、元湯を出る。
その後は、国宝指定の青井阿蘇神社に向う。
ここは、806年の創建で1200年以上の歴史あるお社で、現在の建物は、1610年から3年掛けて造営されたもので、本殿・廊・幣殿・拝殿・楼門の五棟社殿群が、熊本県の“唯一”の国宝建造物となっている。
熊本の唯一の国宝建造物がこの人吉にあるのであれば、これは拝観せぬまま去れまいて。
おなじ阿蘇神社でも、肥後一ノ宮であり全国に存在する阿蘇神社の総本山である阿蘇神社の楼門等は重要文化財であり、熊本城の櫓郭も国宝建造物ではない。 (残念ながら、阿蘇神社楼門と拝殿は、平成28年4月16日震災により倒壊してしまった。)

桃山様式の茅葺き楼門は、後年のものの如き洗練さはないが、太古の神々をお祀りするのに相応しい骨太のダイナミックな迫力が感じられる。

こちらの拝殿も茅葺き屋根。急斜面でもっこりとした分厚い屋根の存在が日本の原風景を今に伝えている。
今回無事に旅を続けられ、こうして参拝できたことに神前でお礼を申し上げて社殿をあとにし、人吉駅に戻る。
(つづく)
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