平成7年 追憶の西鹿児島駅

こんな時代もありました。
ブルートレインの後ろには建設中の新幹線ホームが見えている。
これは平成7年10月31日に仕事で鹿児島を訪れた時に撮影したもの。

そして、JR西鹿児島駅の駅舎はこんな感じの平家建だった
左端にTSUBAMEの看板が・・・787系が導入され脚光を浴びていた頃ではなかったか。


対面の西鹿児島駅前風景

現在の鹿児島中央駅・・・もう面影は全然ない 同じ場所だとは全く考えられない。

構内ではDD1664が寝台列車の連結作業のため待機していた

15:10の定刻をやや遅れてED76-91が牽引する寝台特急“はやぶさ”がやってきた。
東京から鹿児島本線を経由して最終駅西鹿児島に到着。
晩年のはやぶさは、九州内では、一回り小さな中華なべ状のトレインマークを付けていたのだが、このときはまだ本州バージョンであったようだ。
いつから九州バージョンになったのかは不明だ。熊本止まりになった頃かなあ?

当時、日本一の長距離定期列車であったが、その後平成9年には運行区間を東京~熊本に短縮したためその名誉は寝台特急さくら号に譲った。
その後も夜行寝台列車の淘汰が続き、さくらと併設したり、富士と併設したりして、平成21年3月には廃止された。

こちらは783系の特急つばめだ。
787系の登場により特急つばめの車輌としては一時代前の783系の運用は徐々に外されるようになっていたが、この日はまだ現役だった。


車輌は鹿児島本線の普通列車で415系だろう。はるばる常磐線からやってきた車輌だが、ヘッドライトが大きいので初期型といえよう。やはりヘッドライトは大きいほうが見栄えするね!
ホーム上のローカル色豊かなKiosk 最近はこれだけ大きな店舗はほとんど見なくなった。

アンコウ顔のキロ59 552(旧キハ58 295)+キロ29 553(旧キハ28 2056)+キロ59 553(旧キハ58 135)
リゾートサルーン・フェスタと呼ばれたジョイフル・トレインだが、所属はJR西日本の広島支社である。
その車輌が西鹿児島駅まで遠征してくるとは・・・かなり驚かされた。(平成15年廃車)

西鹿児島には指宿枕崎線の南鹿児島から普通列車でやってきたようだ。
市電の郡元から南鹿児島駅前まで行って、JRに乗り換え、僅か2駅だけだがローカル線を楽しんだ。

その後は鉄道で帰ったのではなく、あっさりと空路を選んだ。
もう午後3時過ぎだったので、新幹線の部分開通もしていないこの当時は、陸路は取りづらかったからだ。

鹿児島空港では、尾翼にJASと大書された日本エアシステムの旅客機に搭乗する。
昔の東亜国内航空である。

その飛行機の窓から大阪の夜景を撮影する。
ISO400のネガフイルムでは、ライツのズミター5cmを開放値f2にしてもシャッタースピードは1/10だった。
これではブレても仕方がない。

もちろん上手く写っているかどうかは、写真屋さんに現像焼付けをお願いして、早くてその翌日になってから判るのだが・・・
このあたりの焦らせる様な待ち時間をデジタルカメラはすっかり忘れてしまった。


1日1回 ぽちっとね♪
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