おとなび「立山黒部アルペンルートと新緑の安曇野・上高地2日間」(その2)
(前回からのつづき)
H29.7.29(土)
ケーブル立山から黒四ダムを経て扇沢までいろいろな乗り物を経て行くと一人当たり8,290円必要である。
個人旅行であれば、大変な負担となるところだが、ツアーなので、その点は気楽なものだ。

ケーブル立山駅から美女平に標高差500メートルの斜面を登っていく。

美女平から室堂までは立山高原バスに乗る。ここから標高差1,500メートルを約50分かけて登っていく。
相変わらず天気が悪い。今にも雨がふってきそうな霧の中を進む。
晴天もいいが、避暑に来ているので、涼しい天気は有り難い。
名所の称名滝もホワイトアウトで見えず。
まあ、以前来た時に見たから別にかまわない・・・などと負け惜しみをいう。

弥陀ヶ原を経て室堂に到着すると、7月末というのに、「雪の大谷」の残景が見られた。
室堂の標高は、2,450メートルである。

乗換の待ち時間を利用して戸外に出てみる。

見晴台からの現実・・・・

ここからは、こんな風景が見えるはずだった。
パンフレットの「ヤッホー!立山」の文字が、イラッと来る。

最も標高の高いところにある湧き水という「立山玉殿の湧水」の清冽を味わう。
こちらは天気は関係ない。

室堂から大観峰のではトロリーバスでトンネルを進んでいく。
トロリーバスは、法令上は“無軌条電車”といい、電車の仲間である。
昔は大阪市でも走っていたが、現在の日本では、ここの2路線しか存在しない。


屋根に取り付けられた2本のトロリーポールから電気の受送を行ってモーターで自走するのだ。

大観峰は絶壁にある中継地点・・・乗換スペースは狭隘であるが、しっかりお土産コーナーは設けてある。
地酒“大観峰”が有名だが、試飲するとアルコール濃度が高く、濃厚なお酒だったのでパスして、売店右手にあった魚津のバイ貝入りの五目握り飯“バイ飯”を購入・・・夕食に響くか否かは関係ない。
食べたい時に食するのが旅の鉄則である!


大観峰から黒部平までの風景が、アルペンルートの白眉ではあるが、濃霧の中雪渓が見られただけである。
過去2回訪問しているが、すっきり晴れていた時に当たった事がないが、こんなに何も見えないこともなかった。

ガイドが語るには、1年の間60日しか良い天気はないという地域だけに、仕方ない・・・避暑に来たのだからこの涼しさに満足しなければ。

秋の盛りのベストシーズンには、こんな風景になる・・・らしい
霧の中、イメージを働かせてしばし空中散歩を楽しんだ後、黒部平に到着。


黒部平ではホタルイカの素干しを購入・・・お酒のお供

黒部平からは黒部湖へケーブルで下る。ずっとトンネルの中である。

ようやく黒四ダムに到着。

遥か下方に沸き立つ雲の姿を見るにつけ、ダム擁壁の高さを思い知らされる。

この地の温度計・・・さきほど大阪市中央区にセットしていた手許のスマホの気象情報が、熱中症注意報(原則屋外活動禁止)を伝えていたことを見ると、遠路はるばる来た甲斐があったというものである。

この環境でも、さらに冷たく感じた破砕帯から溢れる地下水を味わって、徐々に下山する。

黒部ダムカレーの商品見本も記念に一枚!


今年は、破砕帯突破から60年の周年となるようだ。

映画「黒部の太陽」を見たものは、この破砕帯を突破するのに大変な苦労を重ねたことは理解できるが、事前知識のない者にとっては、破砕帯とは・・・疑問に思うもことなく通過してしまうことだろう。
破砕帯を通過する時は、トンネルのランプがブルーになる。


こうでもしなければ、現在の訪問者にその苦労が分かってもらえないのだろう。
思いのほか、その層の厚さにあらためて、感慨を深くする。
奇しくも、この記事を掲載した同じ日であるH29.8.28毎日新聞の朝刊に、この大町トンネル(長野県大町市-富山県クロヨン建設地)を担当した熊谷組の笹島信義さん(H29.7.1死去99歳)の追悼文が、載っていた。
“当初、工事は順調だったが、半分ほど掘り進んだ地点で、大断層・破砕帯に遭遇。大量の湧水と崩壊の危険に見舞わされ、7ヶ月にわたり立ち往生したが、「抜けないトンネルは絶対にない!」として不可能といわれた破砕帯の突破に成功した。その様子を記した実録小説「黒部の太陽」が映画化され故石原裕次郎氏が演じた主人公のモデルが笹島だ。笹島にとってのクロヨンは、太陽でも栄光でもなく地獄だった。63年のクロヨン完成後、笹島は90歳になるまでクロヨンには一切近づかなかった。つらすぎるクロヨンだったのだ。”

そんな苦労があったことをどれだけの乗車客が知るのかは分らないが、トロバスは、トンネルを走り続け、長野県側・扇沢に到着する。


トロバスといえども車庫に入る時は、電源なしに自走できるのだ。

以前来た時と随分トロバスが違うなあ。と思っていたが、扇沢駅構内で、昔のトロバスの模型があった。
そうそう、こんなバスでした。
(つづく)
H29.7.29(土)
ケーブル立山から黒四ダムを経て扇沢までいろいろな乗り物を経て行くと一人当たり8,290円必要である。
個人旅行であれば、大変な負担となるところだが、ツアーなので、その点は気楽なものだ。

ケーブル立山駅から美女平に標高差500メートルの斜面を登っていく。

美女平から室堂までは立山高原バスに乗る。ここから標高差1,500メートルを約50分かけて登っていく。
相変わらず天気が悪い。今にも雨がふってきそうな霧の中を進む。
晴天もいいが、避暑に来ているので、涼しい天気は有り難い。
名所の称名滝もホワイトアウトで見えず。
まあ、以前来た時に見たから別にかまわない・・・などと負け惜しみをいう。

弥陀ヶ原を経て室堂に到着すると、7月末というのに、「雪の大谷」の残景が見られた。
室堂の標高は、2,450メートルである。

乗換の待ち時間を利用して戸外に出てみる。

見晴台からの現実・・・・

ここからは、こんな風景が見えるはずだった。
パンフレットの「ヤッホー!立山」の文字が、イラッと来る。

最も標高の高いところにある湧き水という「立山玉殿の湧水」の清冽を味わう。
こちらは天気は関係ない。

室堂から大観峰のではトロリーバスでトンネルを進んでいく。
トロリーバスは、法令上は“無軌条電車”といい、電車の仲間である。
昔は大阪市でも走っていたが、現在の日本では、ここの2路線しか存在しない。


屋根に取り付けられた2本のトロリーポールから電気の受送を行ってモーターで自走するのだ。

大観峰は絶壁にある中継地点・・・乗換スペースは狭隘であるが、しっかりお土産コーナーは設けてある。
地酒“大観峰”が有名だが、試飲するとアルコール濃度が高く、濃厚なお酒だったのでパスして、売店右手にあった魚津のバイ貝入りの五目握り飯“バイ飯”を購入・・・夕食に響くか否かは関係ない。
食べたい時に食するのが旅の鉄則である!


大観峰から黒部平までの風景が、アルペンルートの白眉ではあるが、濃霧の中雪渓が見られただけである。
過去2回訪問しているが、すっきり晴れていた時に当たった事がないが、こんなに何も見えないこともなかった。

ガイドが語るには、1年の間60日しか良い天気はないという地域だけに、仕方ない・・・避暑に来たのだからこの涼しさに満足しなければ。

秋の盛りのベストシーズンには、こんな風景になる・・・らしい
霧の中、イメージを働かせてしばし空中散歩を楽しんだ後、黒部平に到着。


黒部平ではホタルイカの素干しを購入・・・お酒のお供

黒部平からは黒部湖へケーブルで下る。ずっとトンネルの中である。

ようやく黒四ダムに到着。

遥か下方に沸き立つ雲の姿を見るにつけ、ダム擁壁の高さを思い知らされる。

この地の温度計・・・さきほど大阪市中央区にセットしていた手許のスマホの気象情報が、熱中症注意報(原則屋外活動禁止)を伝えていたことを見ると、遠路はるばる来た甲斐があったというものである。

この環境でも、さらに冷たく感じた破砕帯から溢れる地下水を味わって、徐々に下山する。

黒部ダムカレーの商品見本も記念に一枚!


今年は、破砕帯突破から60年の周年となるようだ。

映画「黒部の太陽」を見たものは、この破砕帯を突破するのに大変な苦労を重ねたことは理解できるが、事前知識のない者にとっては、破砕帯とは・・・疑問に思うもことなく通過してしまうことだろう。
破砕帯を通過する時は、トンネルのランプがブルーになる。


こうでもしなければ、現在の訪問者にその苦労が分かってもらえないのだろう。
思いのほか、その層の厚さにあらためて、感慨を深くする。
奇しくも、この記事を掲載した同じ日であるH29.8.28毎日新聞の朝刊に、この大町トンネル(長野県大町市-富山県クロヨン建設地)を担当した熊谷組の笹島信義さん(H29.7.1死去99歳)の追悼文が、載っていた。
“当初、工事は順調だったが、半分ほど掘り進んだ地点で、大断層・破砕帯に遭遇。大量の湧水と崩壊の危険に見舞わされ、7ヶ月にわたり立ち往生したが、「抜けないトンネルは絶対にない!」として不可能といわれた破砕帯の突破に成功した。その様子を記した実録小説「黒部の太陽」が映画化され故石原裕次郎氏が演じた主人公のモデルが笹島だ。笹島にとってのクロヨンは、太陽でも栄光でもなく地獄だった。63年のクロヨン完成後、笹島は90歳になるまでクロヨンには一切近づかなかった。つらすぎるクロヨンだったのだ。”

そんな苦労があったことをどれだけの乗車客が知るのかは分らないが、トロバスは、トンネルを走り続け、長野県側・扇沢に到着する。


トロバスといえども車庫に入る時は、電源なしに自走できるのだ。

以前来た時と随分トロバスが違うなあ。と思っていたが、扇沢駅構内で、昔のトロバスの模型があった。
そうそう、こんなバスでした。
(つづく)
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