“越美南線・北線”縦断紀行(その2)
- Sun
- 07:00
- ∇鐵道ほとがら帖/平成編 - ├平成8年-平成10年
平成8年7月28日(日)
・・・前回からのつづき
長良川鉄道・美濃白鳥からJRバスで福井の九頭竜湖に向かう
一日に2本しかない路線なので遅れるわけにはいかない。
10:15の定刻に出発して町中を外れしばらくすると急峻な山道となる。
車窓より峩々たる山並みを眺めていると、とてもとても越美線の南北接続は叶いそうにないとの思いが徐々に増大し・・・
峠の上り下りをするにつけ、ここをトンネルを掘るとしてもその費用対効果を考えると、民営化となったJRでは実現することはありえないと確信に至った。
・・・そんなことを考えつつ11:00に九頭竜湖駅前に到着

JR越美北線の九頭竜湖は、ログハウス風のしゃれた佇まいである。

駅前でバスを降りると、すでに行き先が美濃白鳥となっていた。

駅前にあったバス停ポール・・・和泉村の村営バスというもの走っているらしい。
(※調べてみると、その後、平成17.11.7和泉村は大野市に吸収されたが、この村営バスは廃止されることなく継承され、現在大野市営バスの前坂・中竜線として運行されている。)

この位置が、白鳥行のJRバス乗り場である。
しかし、このバス路線は、和泉村が消滅するより早い平成14.9.30に廃止された。
よって鉄道・バスを利用する旅人にとって、まとこに残念ながら、越美南線と越美北線を連絡する手法は絶たれたこととなる。

11:25発の福井行は、キハ120-204である。

このあたりは、閉塞区間を通過する際、通票(タブレット)を利用していた。
しかし、ここは、タブレットを駅舎事務室の機械に挿入し隣接する駅に、「ボンボン」とか「チンチン」とかの連絡音を送る正式なタブレット形式ではなく、通票の受け渡しだけで済ませるスタフ式である。
越前大野からは、わんさか乗客が乗ってきたため、ゆっくり車中で写真を撮りまわる余裕がないため、座席でじっと福井到着を待っていた。
福井到着12:29

この当時は地上駅であった福井駅で485系のスーパー雷鳥を撮影したのち、12:35発の長浜行に乗車
青春18きっぷであるので、ここからも普通列車を利用する。
福井から長浜まで特急寝台クモハ581改造のクハ419-6に乗車 旧寝台車だけあって振動少なし。

敦賀駅にて
正面は、寝台特急の面影を残す419系であるが、車内は普通座席車に改造されてはいるものの、あちこちに制約多く、無駄な空間が多かった。

もともと寝台電車なので、車内ではこういった使い方が、本来の用途に叶う(笑)

敦賀駅の構内には、時折こういった不思議なものが現れるので、注意しておかなければならない。

湖東経由の名古屋行エル特急しらさぎ・・・米原で新幹線に乗り換える乗客は多いと思われる。

長浜には14:29に到着し、14:40発の新快速に乗り換え。
そうして・・・大阪到着16:14

大阪駅御堂筋口(南口)は、この当時はまだ自動改札機は導入していなかった。

御堂筋口(南口)前の大歩道橋からの風景も下載の平成30年のそれとは大きく異なる。

(H30.2現在の様子)

市バスの案内表示・・・南港海水遊泳場の営業休止の告知書が張り出されているが、この平成8年の夏には営業しなくなり、復活しないまま消え去った。

東梅田の大換気塔の周囲の風景もずいぶん変わった。
傾いたプロミスの屋上看板は、見るものを驚かせたが、その後過払い訴訟で本当に傾いてしまった。
そしてこの看板もいつの間にか見なくなった。

(H30.2現在の様子)

阪神百貨店の北東1階にあった円形のエントランス部分にはお洒落なカフェが入っていたが、平成30年2月時点では、その阪神百貨店ビル自体が建替え工事の真っ只中である。

・・・前回からのつづき
長良川鉄道・美濃白鳥からJRバスで福井の九頭竜湖に向かう
一日に2本しかない路線なので遅れるわけにはいかない。
10:15の定刻に出発して町中を外れしばらくすると急峻な山道となる。
車窓より峩々たる山並みを眺めていると、とてもとても越美線の南北接続は叶いそうにないとの思いが徐々に増大し・・・
峠の上り下りをするにつけ、ここをトンネルを掘るとしてもその費用対効果を考えると、民営化となったJRでは実現することはありえないと確信に至った。
・・・そんなことを考えつつ11:00に九頭竜湖駅前に到着

JR越美北線の九頭竜湖は、ログハウス風のしゃれた佇まいである。

駅前でバスを降りると、すでに行き先が美濃白鳥となっていた。

駅前にあったバス停ポール・・・和泉村の村営バスというもの走っているらしい。
(※調べてみると、その後、平成17.11.7和泉村は大野市に吸収されたが、この村営バスは廃止されることなく継承され、現在大野市営バスの前坂・中竜線として運行されている。)

この位置が、白鳥行のJRバス乗り場である。
しかし、このバス路線は、和泉村が消滅するより早い平成14.9.30に廃止された。
よって鉄道・バスを利用する旅人にとって、まとこに残念ながら、越美南線と越美北線を連絡する手法は絶たれたこととなる。

11:25発の福井行は、キハ120-204である。

このあたりは、閉塞区間を通過する際、通票(タブレット)を利用していた。
しかし、ここは、タブレットを駅舎事務室の機械に挿入し隣接する駅に、「ボンボン」とか「チンチン」とかの連絡音を送る正式なタブレット形式ではなく、通票の受け渡しだけで済ませるスタフ式である。
越前大野からは、わんさか乗客が乗ってきたため、ゆっくり車中で写真を撮りまわる余裕がないため、座席でじっと福井到着を待っていた。
福井到着12:29

この当時は地上駅であった福井駅で485系のスーパー雷鳥を撮影したのち、12:35発の長浜行に乗車
青春18きっぷであるので、ここからも普通列車を利用する。
福井から長浜まで特急寝台クモハ581改造のクハ419-6に乗車 旧寝台車だけあって振動少なし。

敦賀駅にて
正面は、寝台特急の面影を残す419系であるが、車内は普通座席車に改造されてはいるものの、あちこちに制約多く、無駄な空間が多かった。

もともと寝台電車なので、車内ではこういった使い方が、本来の用途に叶う(笑)

敦賀駅の構内には、時折こういった不思議なものが現れるので、注意しておかなければならない。

湖東経由の名古屋行エル特急しらさぎ・・・米原で新幹線に乗り換える乗客は多いと思われる。

長浜には14:29に到着し、14:40発の新快速に乗り換え。
そうして・・・大阪到着16:14

大阪駅御堂筋口(南口)は、この当時はまだ自動改札機は導入していなかった。

御堂筋口(南口)前の大歩道橋からの風景も下載の平成30年のそれとは大きく異なる。

(H30.2現在の様子)

市バスの案内表示・・・南港海水遊泳場の営業休止の告知書が張り出されているが、この平成8年の夏には営業しなくなり、復活しないまま消え去った。

東梅田の大換気塔の周囲の風景もずいぶん変わった。
傾いたプロミスの屋上看板は、見るものを驚かせたが、その後過払い訴訟で本当に傾いてしまった。
そしてこの看板もいつの間にか見なくなった。

(H30.2現在の様子)

阪神百貨店の北東1階にあった円形のエントランス部分にはお洒落なカフェが入っていたが、平成30年2月時点では、その阪神百貨店ビル自体が建替え工事の真っ只中である。


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