追憶・・・昭和の土浦市内
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以前本ブログで、昭和56年12月14日常磐線土浦駅が建替工事のために閉鎖された様子を「軍艦駅・土浦」として紹介したことがあった。

この朝に閉鎖された軍艦駅とよばれた土浦駅本屋


しかし、同じネガを調べているといろいろと同じ日に撮った昭和の土浦市内の様子が残っていたので、41年ほど前のネガだがスキャンしてみた。

土浦は、重要文化財指定の土浦第一高等学校本館があるなど、由緒ある建物が多く残る地域である。

茨城県の史跡となっている土浦城の太鼓櫓門は、もちろん令和の今でも現存しているが、この時と比べて綺麗に修復されている。

川口1丁目の変則的な交差点にある装飾を多用した近代建物の「武蔵屋」さん
右側のアーケード部分が店舗の入口
また通りの向かい側に見える幟の小網屋さんは、土浦を代表する百貨店だった

少し拡大してみる
大きな筑波山と霞ヶ浦の伝統的漁である帆引き網を絵柄にした看板が印象的だった
名物のうなぎ・わかさぎの販売するお店である
あれから41年・・・もう建替られているだろうと思っていたが、下記のように令和の時代も現役のようで嬉しくなる

周囲の風景はすっかり変わってしまったようだ
少し街中をパトロールしてみる


小野時計店さんは現在も営業されているが、建物は建替えられている

戦前の典型的な医院建築の菊田産婦人科医院 「入院応需」の文字がいいね・・・
現在では存在しないようだ

商店街のアーケードを歩いていると気が付かないが、上部に歴史を感じる意匠がみられる建物が多かった

一方、戦後の雰囲気を漂わせる、こんなバラックの店舗もあった

川越の町並みかと思わせるような重厚な土蔵造りの矢口酒店
このお店は、江戸時代の嘉永2年の頃から変わらぬ建物で現在も酒屋として営業されている
昭和55年に茨城県から県の重要文化財として指定された

中央一丁目にある蕎麦店「吾妻庵」・・・古き良き蕎麦屋の雰囲気がたっぷり

こちらもさすがに建替えられているだろうと思っていたら、なんと現役だった
土浦に立ち寄った際は是非訪れたいお店である

飯田屋本店さんと隣の洋風建築は茨城県の佃煮協会の建物
霞ヶ浦の水産物の佃煮屋さんだ
しかし、東日本大震災により被災し危険建物と判定され、その後惜しまれながら両方とも取壊されてしまった

霞ヶ浦の西端から土浦駅と土浦市内を望む
当時と今とではすっかり変わった風景となっている

仙台からの上野行の普通列車
スハ43系の旧型客車を延々と連ねての堂々の鈍行列車・・・国鉄ならではの列車だった

当時はこんな自動車も見受けられた フォルクスワーゲン カルマン・ギア


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