昭和54年 国鉄時代の山陰本線駅巡り
昭和54年、大学の夏季休暇で帰省していたころのお話
親友のイバさんを誘ってドライブがてら山陰本線を見に行こうということになって、マイカーで颯爽と出掛けた。
昭和54年8月14日 夏の盛りの暑い日であった。

なぜか最初に茨木に立ち寄っている。
何か用事があったと思うが、45年前のことなのでいくら考えても思い出せない・・・仕方ないね。
この写真は、駐車場からであろうか、阪急茨木市駅の端を撮影したワンショットである。
よく見ると地上駅時代の阪急茨木市駅だった。
この頃はまだ非冷房車が普通列車として使われていたようだ・・・車内は蒸し風呂状態 ?

さてさて、本題に入ろう・・・
山陰本線の起点である京都駅の次はこの丹波口駅
がらんとした飾り気のない駅だったが、梅小路蒸気機関車館の最寄り駅なのでよく利用したものだった。

次は二条駅
出雲の大社駅同様、御殿造りの堂々たる駅舎である。もともと明治37年6月築の京都鉄道の本社屋でもあった。

駅の高架工事により平成9年には梅小路蒸気機関車館の玄関建物として移築された。

(参考)移築された後の梅小路蒸気機関車館の建屋(2012年10月撮影)

二条駅の次は花園駅 京都市内とは思えない小規模な駅だった。
当時は国鉄時代。
もちろん円町駅も太秦駅も存在しなかった。
花園駅の次は嵯峨駅だが、ドライブウエイとの関係から立ち寄っていない。

(参考) この写真は、昭和50年5月当時の嵯峨駅・・・明治を髣髴とする瀟洒なデザインが素晴らしく、何度も訪れた。
山陰本線で最も好きな駅舎だった

ドライブウエイを登り、ようやく保津峡駅が俯瞰できた。
真夏の昼下がりなのであまり眺望が良くない

鉄橋を渡るのはキハ47だろうか・・・

これはキハ58の編成なので、急行丹後あたりか・・・

保津峡の次は馬堀駅
現在はトロッコ亀岡駅と隣接し観光客の利用が多い
しかし、こんなにも自転車通勤・通学者が多いのか・・・

当時の亀岡駅はクラシックな佇まいの地方中心駅だった

亀岡駅を過ぎると並河駅・・・カーナビなんてない時代なので、幹線道路から離れている小駅は地図から見つけるのは難儀した。
小型の駅で、ジオラマに取り入れたくなるような恰好の形状だ
民家の障子のようなホーム側の障壁が面白い!

木陰で涼んでいるのか、下着姿の子供連れの姿が昭和的で好ましい

先頭車がキユニ28の下り普通列車が入ってきた

乗降客もほとんどなく列車は行ってしまった・・・
フランチャイズ制を採っていた「お菓子のコトブキ」も今となっては見られない

次は千代川駅・・・並河駅と同じ昭和10年に誕生した駅だが、駅名板はともかく令和の今でもこの風情を留めていると聞く

八木駅 亀岡駅と意匠の類似する駅舎であつたが、現在ではともに建替えられ、このような比較することは叶わない。
この昭和54年に京都駅 - 園部駅間の複線化、京都駅 - 綾部駅間の電化が決定され、嵯峨駅- 馬堀駅間の新線への切り替えおよび複線化工事が着工し、平成2年3月には京都駅 - 園部駅間が電化された。
また平成8年に二条駅 - 花園駅間が高架化されたことにより、その環境は一変した。
当時と同じ佇まいを残すのは、丹波口と千代川駅のみにて、残念ながら、その多くは昔日の風情として偲ぶしかない。


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