「大阪発出雲市行各駅停車721列車」
- Tue
- 00:12
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和58年-昭和59年
残念だねえ。
今度はすっきりとしたコンクリート橋になるらしい。今のままで充分だと思うのだが。
現在では鉄道ファンだけでなく一般人も訪れる機会が多いようだ。
もうこれで見納めか・・と思いつつ、過去の写真を探してみれば、ちょうど24年前に訪問した記録があった。
当時の日記もあるので、少しご披露させていただきます。
( )は現在の注釈・陰の声
~昭和58年3月20日の日記から(その1)~
仕事が多忙で疲労困憊しているところに、悪友のイバ君からのびのび切符での呑気な小旅行のお誘いがあった。
多少躊躇したものの連休なので、急遽、山陰路へ旅立つ事となる。
メインは餘部大鉄橋と倉吉線。雨男の道中ゆえ、天気が気がかり。
早暁5時46分大阪駅発出雲市行の各駅列車721レに乗車。
(その時刻に大阪駅に行くだけでも大変だった。)
DD511110+スユニ502013+マニ6043+オハフ33227+オハ462033☆+オハ473041+オハフ33377+オハ351028+オハフ33126
(テツは、こういう編成ものは緻密に記録する。☆の車両に乗車。
まだまだ国鉄の元気な頃。どう考えても無駄な長編成ながら、このまま出雲市まで各駅停車で突っ走る。
因みにこの列車、終着駅の出雲市には同夜20時頃に到着する。
約14時間をかけて310kmをゆったりと走る。平均速度30km/hにも及ばない。
名実ともに鈍行列車である。
当時、日本最長の普通列車として有名なのは、門司から山陰本線を経由して福知山まで560kmを18時間半かけて走破する824レであったが、この721列車とて現在の基準から見れば異常も思われる走行距離と所要時間である。)
さてさて、721レの車中の人となるが、窓外はいまだ藍色の空が広がる。
スチームのカンカンという音が耳につく。架線柱が目障りになってきた福知山線ではあるが、久しぶりの客車列車の旅、ウイスキー片手に心ワクワク、ご機嫌である。
三田駅到着6時58分。ようやく日光が歩廊に差し込む。客車の下から立ち上るスチームの湯気に日光が映える。
(大阪から三田まで、1時間10分。現在では各駅停車で50分所要。この20分の短縮によって通勤圏となったわけだ。しかしその代償も大きかったね。)
対向列車上り734レを朝日差す跨線橋から撮影。
(この頃の三田はほんとうに田舎っていう風情だった。)

福知山・和田山と長い停車時間の間に歩廊を行き来し、珍しきものはないかと徘徊す。
釣果はなけれど、どうやら天気は上々の様子である。
和田山駅で、特急まつかぜ5レ博多行きに遭遇する。
昨今、食堂車キシ80連結のまつかぜは貴重な存在。
駅弁とアルコールが入り、閑散とした車内では必然的に眠りが誘う。
客車ゆえ耳に届くのは、ジョイント音と車体の軋みのほかは・・・遥か前方で思い出したように響くDD51の汽笛のみ。
うつらうつらと・・・気持ち良きこと比類なし。
・・・つづく・・・


ぽちっとね♪
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