「岡山偕行社の遺構」
岡山偕行社の遺構が整備されて綺麗になっているということを聞いていたので、先日岡山へ出張した際、立ち寄った。
大きな総合スポーツ公園の中にある。桃太郎アリーナ(しかしこのネーミングはいかがなものか?)に隣接している。

さて、この「岡山偕行社」はもと陸軍第17師団の将校クラブとして明治43年に建てられた洋館で、岡山県を代表する例の1つ。もともと戦前、練兵場と言われていたところにある。
現在は県の施設として、1階はレストラン、2階は貸し会議室(研修室)として使われている。
現在の正式名称は「岡山県総合グラウンドクラブ」
外観は建築当初の意匠がそのまま残っているようだ。
内部の階段部分の手すりには陸軍を表わす星印が浮き彫りになっていて、これが陸軍所属の施設であったことを今に伝えている。
階段の凝ったデザインが美しい。
階段室から2階廊下に通ずる扉はひときわ重厚なものとなっているとともに二階の天井の美麗な意匠が目を引く。
しかししかし・・・区分したためかパーテーションが無粋にも天井のデザインを損なっている。残念なところである。
1階のレストランでは、昼下がりのひと時、大勢の有閑マダムがピーチクパーチクやっていたので、見学ご遠慮させていただきました。
戦後60年が経過したが、偕行社の遺構としては、岡山のほか、香川の善通寺、青森の弘前と北海道の旭川に現存するのみ。
そもそも軍の施設なので残っていること自体不思議なことかもしれない。
善通寺には、一度訪れたことがあるが、そのときは、解体修理中で見学することができなかった。今年の夏に再トライの予定。
弘前・旭川は、気楽にいける距離ではないので、まだ訪れていない。
旭川は、手元の記念切符で辛抱しておこうか。
現存する偕行社の遺構の中では、最も美しい明治の洋館建築である。旭山動物園とペアで訪れたいところである。
また大阪にも第4師団があったので、大阪城の堀端に大阪偕行社なるものがあった。
ただし、空襲で灰燼に帰した。
古老に問うと、瀟洒な木造の洋館だったようだが、兎に角陸軍の施設だったため、終戦時にすべての資料を焼却処分したため、資料や写真がないとのこと。
となれば、想像するしかない。
造作は、造幣局の泉布観と旭川偕行社とを掛け合わせたようなものだったらしい。
現在では、跡地に酒保部の門柱と陸軍の境界石が残るばかりである。
この不思議な境界石について以前調査して、母校の同窓会誌に投稿したことがあるが、それはまた、ブログネタに窮したときにでも掲載することにしよう。
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