「校舎取毀しによる惜別会」
東京から帰ってきた翌日(6月23日土曜日)、母校の建物の一部が取り毀しされるというので、
大阪城の堀端にある母校ー追手門学院小学校でその惜別会が催された。
在校生の惜別会は、すでに開催済みなので、今日は、OBと教職員のための惜別会である。
今回の取毀し対象は、この校舎。
右3分の1が昭和6年築。左3分の2が昭和31年築。
この建て替えが完成すると、古い建物は全くなくなってしまう。
昭和31年に建てられたものから覗いていくと、私もこの教室で学んだ一人。
机も椅子も木製。床は歩くと軋む木板張り。教卓も純木製。黒板周りも木材で調製されている。
部屋を見渡しても合成樹脂製のものといえば、蛍光灯の部品と後年取り付けられたエアコン機器くらいのものだ。
机と椅子がくっついた座席が懐かしい。
今ためしに両手でもってみても、これが、めちゃくちゃ重いんだな。
よく小さな小学生が担いで掃除の時間動かしていたなと感心する。
これも伝統教育のひとつ。
1年3組ではない。1年ろ組である。
い組、ろ組、は組のクラス呼称は、今でも受け継がれている。
NHKアニメ「忍たま乱太郎」の学校「忍術学園」みたいだネ
http://www3.nhk.or.jp/anime/nintama/
このページの「キャラクター」を参照のこと・・・真似たのはNHKと尼子騒兵衛のほうだ。
左側の出っ張った部分は、給食室と音楽室。
二階の音楽室を今になってじっくりみると、オシャレな室内灯がついていたんだ。
一方の昭和6年築の教室を見ていく。
重い木製の引き戸が重厚な雰囲気を今に留めている。
アルミサッシくそくらえっ!!というといこがいいねぇ。
今はもう使われていないスチームがそのままのこっている。
因みに、我々の在学中は現役だった。朝早く登校すると地下室のボイラーに火入れすると「カ?ン、カ?ン」と鉄管が伸縮する音が静かに響いたものだった。スチームの上に弁当を置いたことも懐かしい。
私は、昭和6年の校舎のほうが重厚で好きだったのだが・・・これも見納めかと思うと、ちょっと寂しいね。
これが一年後には完成する予想図。立派なモンだが、随分経費もかかるんだろうねえ。
惜別式典およびそのパーティには、退職された教員や同窓生が多く集まった。
こでも懇親を深める・・・同窓生と二次会、三次会と流れていった。
これが明治時代の母校―偕行社附属小学校の校門(記念室にて撮影)
・・・陸軍組織の偕行社が作った学校なので第二次大戦集結とともに消滅しても文句が言えなかったが、多くの関係者の尽力により戦後も生き延び・・・
すっかり新しくなった平成の学舎で来年創立120周年を迎える。
- 関連記事
-
- 平成24年 続・善通寺偕行社を訪ねて (2012/08/23)
- “出張なんでも鑑定団 in 大阪・上町”公開収録! (2010/10/06)
- 明治大帝と大阪偕行社と追手門学院の関係について (2009/12/23)
- 大阪偕行社の明治紀念標(2) (2009/06/24)
- 大阪偕行社の明治紀念標(1) (2009/06/21)
- 母校の第4期新校舎竣工式 (2009/02/15)
- 母校の新校舎落成式 (2008/05/07)
- 「陸軍の境界石」 (2007/07/22)
- 「校舎取毀しによる惜別会」 (2007/06/27)
- 「岡山偕行社の遺構」 (2007/06/20)
- 「母校の同窓会」 (2007/01/28)
- 「シンフォニーホール」 (2006/11/09)
- ☆山桜会90周年記念パーティー (2006/10/30)
- ☆日銀総裁の講演会 (2006/03/21)
- ☆同窓会組織の新年会 (2006/01/29)