「霊柩車と呼ばないで・・・青梅線探訪(1)」
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和53年-昭和54年
昭和54年6月27日梅雨の最中、暇をもてあましていた一学生が、西東京の青梅線を訪れた。
第一の目的は、青梅鉄道公園。
入場料がいるものとばかり思っていたら、無料ということで拍子抜けした。
貴重な車両が数多く保存されているが、すべて露天なので、傷みが目立つ。
お目当ての車両は、「霊柩車」と揶揄された桃山式展望車マイテ39である。
戦前の特急冨士に連結されていた一等展望車。
内装を撮ったモノクロ写真は鉄道雑誌等で見たことがあったが、天然色の写真や実物は見たことがなかったので、是非是非見学したかったので訪問した次第である。
車内の立ち入りは禁止されていたが、展望デッキからガラス越しに見る内装の壮麗さは、総天然色だとまことに素晴らしい。
すっきりした昭和モダンの内装であった大阪・交通科学館のマイテ49と比べ、コテコテの御殿風の日本趣味がほほえましい。
二重屋根の部分は、日本の寺社建築によく見られる処理がなされ、通路上部には、かえる股にボタンまで配し、室内灯も八角提灯風で房まで下がっている。見れば見るほど製作者の強い思い込みが伝わってくる。
奥に見える一般座席との対比が面白い。
たしかに純和風に固執し、外国人には人気だったのだろうが、昔の日本人にとっては仏壇と一緒に旅をしているような気持ちがしたんだろうね(現在ではそんな気持ちは決して湧かないけど)。
雛人形のお内裏様になったような気分でいればいいのに・・・と小市民は、ふと思ってしまう。
なにせ一等車の料金は、三等車の料金の三倍するんでね・・・要するに三人分の交通費を一人のために費やすことになる。
そりゃ、今のグリーン車両の比じゃないですよ。今のグリーン車はセイゼイ二等車といった風情だわ。
阿房列車の百先生は、二等が中途半端で嫌いなので一等に乗っていたらしい。
一方の大阪・交通科学館のマイテ49が昭和62年に改修のうえ車籍が復活し、イベントで再び活躍するなんて夢にも思わなかった。
(大阪交通科学館オープン直前の写真・1962年2月号鉄道ピクトリアルから)
その後、このマイテ39 11は、損傷が激しくなったため大井工場に移送されて復元が試みられたものの、高度な細工を凝らした桃山式の内装はもはや修復できる技術が残っておらず、内装を取り払われた上で、現在では東京総合車両センターに保管されているらしい。そしてこの度、ここのC51とともに、埼玉でオープンする新鉄道博物館でお披露目があるやに仄聞している。
新鉄道博物館に展示のおりには、内装は復元されるのであろうか?やっぱり無理かなあ。
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