「国鉄・桜井線?香久山駅」
- Sun
- 21:57
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和53年-昭和54年
懐かしの鉄道ネタをひとつ・・・
この駅名板・・・よ?く見ていただきたい。
X線を照射したわけでもないのに・・・下から昔の文字が透けてみえる。
ま や ぐ か
びねう|ゐらくさ
右書きはもとより、桜井の「ゐ」の字がほんと、いにしえの風情を湛えていて、感涙ものだわ。
これは、昭和54年3月18日電化直前の国鉄桜井線を訪問したとき出遭った驚愕の駅名板。
国鉄の駅名板がいつから左書きになったのか・・・調べるのが億劫なので適当なのだが・・・少なくともこの時点で30年以上経っているだろう。
昭和の戦前の息吹がここでは密かに息づいている。静かに復権を狙って地底から目覚めようとしているようだ。
この当時でもこんな状態の駅名板は、極めて稀。
国鉄ローカル線の便所が汚いのは有名であったが、駅名板までこの無責任振り・・・アッパレである。
当時、神戸電鉄の粟生駅で似たようなものに出会った気がする。写真も探せばあるはずだ。
ただ、あお⇔をあ なので面白くない。
関西線の定番、キハ35がやってきた。
切妻が災いして、「食パン」なんて当時揶揄された。
外付けの乗降口がなんとも安っぽく見えたものだ。
この日の行程が珍妙である。天王寺から王寺まで国鉄で出て、
新王寺から西田原本まで近鉄に乗車。
盲腸線というか、軽便鉄道風の勝手気ままというか、このあたりの近鉄線は、駅自体が隣接していなくて少しばかり歩くようで、曖昧な接続となっている。
ひん曲がった連結器がなんとなく地方ローカル鉄道の気楽さを表わしているようで面白い。
そこから田原本まで歩き、八木西口まで近鉄線に乗る。
そして近くにある畝傍駅から再び国鉄に戻るという勝手気ままなローカル線乗り継ぎ作戦。
大神神社の参詣駅・・・三輪駅構内にも電化の支柱が立ち始めていた。
右側の保線小屋はなかなか風情があるね。しかし、もう現存していないのではないだろうか。
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