「四天王寺と生国魂(いくたま)神社 どちらが古い?」
地下鉄谷町線、四天王寺夕陽丘駅を出た地上に地域の案内板がある。

信号待ちで眺めていたら、
←四天王寺
生国魂神社→
「確かにどちらも名所だなあ。しかしどちらの歴史が古いのかなあ。
神社のほうが古そうだが、四天王寺も寺院の始祖鳥みたいなもので、こりゃなかなか手ごわいなあ。」
と考えてしまったら気になって少し調べた。
四天王寺は聖徳太子が建立した仏法最初の官寺であるので、スタートは、西暦593年。
これは、築年がはっきりしている。
西門前の石柱にも仏法最初の寺院であることが明記されている・・・・しかし古いねえ。
(写真は昨年の10月開催された古本市を訪れたときに撮影したもの)
しかし、生国魂神社の創建は?といわれても・・・・ ? ? ?
調べると社史では、神武天皇の熊野東征の時としているが、これは神話の世界なので×
では、文献に登場するのは何年からか。
延長5年(927年)にまとめられた、全国の国が認めた神社総覧である「延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)」には、その名前がはっきりと登場する。
ということは、このときには確固たる存在になっていて、政府から認められていたものであったということが推測される。
でもこれだけでは、四天王寺の方が古いようにも見える。

(四天王寺境内・・・花塚・・・風情あるものです)
次に『日本書紀』を見ると、孝徳天皇即位前紀には、孝徳天皇を批評して「仏法を尊び、神道を軽りたまふ」と記載している。
そして、その「神道を軽りたまふ」のなかみを「生国魂社を斬りたまふ類是なり」と註記する。
おそらく生国魂社のまわりの聖なる樹林が、難波長柄豊碕宮造営のために伐採されたことを反映した記述であろう。
ということは、この孝徳天皇は、大化の改新(645年)の直後即位した天皇であるので、その当時すでに生国魂社は、鬱蒼とした林に囲まれた神域を持っていたことになる。
となるとその時ですでに鎮座から少なくとも100年位は経過していたのだろうね。
ということは、生国魂神社は545年にはすでに存在していたのではないかと思われる。
そもそも日本の八百万の神様というものは、森羅万象を恐れる人間が、荒ぶる自然をなだめるように祭壇を設けたものなので、起源なんてあってないようなものだが・・・
今回の調査では、正式な文献から演繹的推論するに・・・実際はもっと歴史の差があると思われるが、少なくとも四天王寺創建の50年前には、生国魂神社はすでに存在していたということになった!!
めでたし、めでたし。
さて、本日のお供は・・・ローライフレックス・スタンダード テッサー75mmf3.5 1934年製

二眼レフの王者ローライフレックスの第二バージョンと謂われるもの。
この機種でほぼローライフレックスの基本的なスタイルが完成されている。
以降の機種はこれの部分改良に過ぎない。と考えるとつくづく完成度が高いんだなあ。凄いな?あ。と思ってしまう。
後期のものと比べ軽いので持ち歩いても苦にならないのも有難い。
木々に囲まれた神社の境内を、ゆったりとした気分でお散歩写真するには最適な写真機である。
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