「竜華機関区訪問」
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和48年
これも、昔のお話・・・
関西本線の湊町?奈良の電化完成を直後に控えた昭和48年9月15日関西本線・久宝寺にある竜華機関区を訪れた。
竜華(りゅうげ)とは、その機関区のある場所・・・八尾市に合併される前の中河内郡龍華町に基づくものだが、とても神秘的な名前でおまけに扇形庫があるので、鉄道ファンにとっては聖地みたいなところだった。
(というか、勝手に聖地にしていた・・・。)
大阪環状線には、電化後の直通快速の試運転が始まっていた。
しかし、天王寺駅に足を踏み入れると昨日までと同じキハ35が、
カラン♪カラン♪・・・とアイドリング音をたてていた。
このキハ35は、環状線の101系と同じく人気のない車両だったね。

食パンのような切妻と外付けの扉がいかにも安モノといったイメージがまとわりついて仕方がなかった。
この当時の関西本線は、電化により近代化が一気に推進するだろうと思われながらも・・・
電化に伴うホーム嵩上げ工事の傍らを行くキハ10+キハ35(河内堅上)や、
こんな風景にも出会えることができた。(大和小泉?郡山)
さて、その当時の竜華機関区だが・・・
左隅には往年の名機であるEF521とEF525が庫内で廃車のときを待ち、庫外にはEF523が同じく放置されていた。
ここで「問題」・・・架線のない扇形庫に、EF52大型電気機関車を入れるのは、どうすればいいのか?
今となっては何でもないことだが・・・この当時、少年の頭脳では、不思議で仕方がなかったものだ。
このEF523は、車体の側面に一部EF50のようなクロコダイル式のベンチレーターをもつ異形の機関車であった。
(む?さん。勝手ながらリンク貼らせててただきました。)
いわゆる先祖返りの遺伝子をもった機関車といえよう。
そして、驚くべきことに、この当時でも一往復だけSLの定期運用があった。
広い操車場の中、架線がすでに敷設された本線を、この日もやってきた。
奈良庫のD511007である。
牽引してきた貨物は、すでに切り離したのか、単機で姿を現した。
ここでくるりと転換して奈良に向かって帰っていった。
・・・こんなことが毎日繰り返されていた竜華機関区であった。
当時の最寄り駅である関西本線・久宝寺駅は、普通列車さえしばしば通過するほどの実に哀れな駅だった。
しかし、この3月からおおさか東線の起点となる。
そして操車場や機関区のあった場所は、再開発の対象となり、八尾市立病院をはじめ公的な建物が林立し・・・
今や、昔日の面影は全くない。

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Comment
2010.06.03 Thu 18:55 | はじめまして
ちょっとネットをうろついてましたら、“D51 498がD51 499化した”とかいう事実を知りまして懐かしなりまして龍華操車場のこと思い出してここに辿り着きました。
あぁここにもあの頃同じ空気を吸っていた人がいるんやなぁと。
あの転車台まで私も入って行きましたわ。
勝手に運転台上って豆炭をボイラに放り込んだり…
そんなんしてても誰も怒りはれへんかったあの時代が懐かしいです。
気がつけば…世の中激変。
ま、そのお陰でこういう懐かしい想いをさせてもらったわけですが。
ありがとうございました。
2010.06.03 Thu 21:01 | *山本龍造さん こんばんは
ご訪問とコメントありがとうございます。
関東は盛んにSLが走り回っているのに関西は淋しい限りです。これもあの京阪100年号の事故の後遺症・・・・と愚痴を言っても仕方ないですね。
ところで、後藤デフのD51499はかっこ良いSLでした。498もその姿になったということを耳にすると、一度見てみたく思えてなりません。確かにあの当時が思い起こされます。でも現役時代を知っている人は、もういい年齢になっていることでしょうね。
2010.06.03 Thu 22:46 | …ですねぇ
>>京阪100年号の事故の後遺症
あ、そんなんありましたね。
「アホなヤツがおったもんや」と言いたいところですが、私も加茂あたりでD51撮ろうとして、ファインダー覗いてたら知らん間にズンズン線路の方に近づいていて、あやうくはねられそうになった経験がありますので、エラソーなこと言えません。
で、です。
平成の世にまさか一番違いの498が499を演じることになるなんて…って驚きました。
嬉しい気分半分、「なんで関西で復刻せなんだんやろ…」という虚しさ半分ってところです。
やっぱり関西、落ち目なんでしょうかねぇ…
余談ですが私は499以外には
906と、なぜか1054が好きでした。おなじ機関車なのに、何か雰囲気が違って見えたもんです。あれは顔にある銘版の位置が微妙に違うと表情が変わってみえたのでしょうかね?
(何か暗号みたいなコメントになってますね)
2010.06.03 Thu 23:18 | *山本龍造さん 再コメントありがとうございます
関西線には、1045と1054がいてましたね。1045の方は、全照灯がシールドビームの小型のものがついていて余り格好がよろしくなかったです。それに比べ大型前照灯の1054は、格好よろしおましたなあ。
一方の906ですが、お叱りを覚悟して申し上げますと944のスワローエンゼルを“ニセつばめ”などと揶揄していたように、906のデフにとりつけられたピース鳩もなんか胡散臭く感じたものでした。
2010.06.03 Thu 23:34 | そう揶揄されていたそうですね
906とか882とか831とか940とか944…まだおぼこお子様でしたんで純粋に「ええやん」と見てましたわ。
1045はシールドビームでちゃっちい印象だったのは…同感です。左右非対称のデフは…718でしたっけ?
こんな調子で色々有用なことも覚えることができたらええのになぁと…