「軍艦駅・土浦」
- Thu
- 07:38
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和55年-昭和56年
先日、筑波鉄道をご紹介したときに付記したが、国鉄常磐線・土浦駅本屋の取毀時の資料がこれだ。
駅舎の撮影日は、ネガ袋の記載によれば昭和56年12月14日とある。
建て替えのため旧本屋での営業を取りやめた翌日のことだった。
昭和11年築の土浦駅・・・長く伸びた庇をデッキに、そして塔屋を艦橋にみたてて、
その様子から軍艦駅と呼ばれていた。
もとより、ここは、霞ヶ浦の予科錬があったところ。
昭和56年12月12日の朝日新聞によれば・・・
・・・現駅舎が昭和11年に建ってから45年。戦争中は、海軍航空隊の将兵や予科練生、その面会人の乗り降りで賑わい、戦後は東京からの米の買出し人でごったがえした。
軍都にふさわしい軍艦駅としても親しまれ、多くの人々の哀歓を見つめてきたが、科学万博を前に姿を消す。ご苦労さん、さようなら・・・。
・・・昭和4年には、世界一周の飛行船「ツェッペリン号」が飛来、上下それぞれ5本の臨時列車が30万人の観客を運び、同6年にはリンドバーグ夫妻を迎えて「ツチウラ」の名も国際的になった・・・
その土浦駅も今朝からその営業をやめた。

12月後半のホームからの駅本屋・・・改札口がベニアで閉じられている
なんだか昨日のことのように思えるのだが・・・
思い出に、元気な頃の土浦駅をご紹介・・・

いつも駅前に軍歌が流れている特異な国鉄の駅だった。
これは、昭和53年7月の常磐線下り列車仙台行各駅停車221レ
ブルーのスハ43系の堂々たる長編成だ。
この列車、上野を5時55分に出発し一駅、一駅停車して、特急に抜かされ、急行に抜かされ仙台までの360kmを走っていく。まさに鈍行だ。
最終駅仙台には14時02分到着・・・国鉄時代を象徴する名物列車のひとつである。
そして、常磐線の下りホームを共有して筑波鉄道が走っていた。
1番線は筑波線専用ホーム
右の列車は高萩行の快速列車。
筑波鉄道キハ462の現役の姿だ・・・実に端正な美しさ。
カントウの4文字をデザインした中に筑波山を配したものが関東鉄道から分離した筑波鉄道の社章だった・・・・。
その後、ツクバ科学万博開催に合わせて、りっぱな駅ビルが出来てたが・・・
どこにでもある個性のない駅ビルになってしまったし・・・筑波鉄道も跡形もなく消えてなくなってしまって、ちっとも面白くない。

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Comment
2017.03.14 Tue 22:12 |
こんばんは。
常磐線も昔日には、中小の私鉄の姿を眺めながら、旅していて楽しい路線だったのだろうと想像しています。
お写真にありますような古い気動車を車窓に眺めれば、ふと気儘に駅に降りてしまったかもしれません。
各駅に止まりながら遠路を走って行く普通列車の旧型客車の風情も、とてもいいですね。
土浦駅には最近にしか降りたことはなく、先代の駅舎などは存じ上げませんが、地方の拠点駅の雰囲気がお写真を通じて伝わって来ました。
一昔前に戻れるならば、お写真の時代を旅してみたいものです。
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