「昭和48年 三代目大阪駅を歩く(その1)」
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和48年
昭和48年真夏の8月に、鉄道研究部の活動として大阪駅の構内の写真を撮り回ったことがあった。
今回ネガを丹念に見ると、普段のテツ活動であれば撮らないだろうな。と思われるシーンも数多くシャッターを切っている。
Nikkor58mmf1.4一本きりで、薄暗い構内を絞り開放に近い値で撮っているので、被写界深度も浅く、拙いものだが、現在の姿と比較してみると面白いかもしれないと思い、ここに掲載してみた。
あの当時は、昭和15年6月築の三代目駅舎だった。
まずは、西側からの様子。
8月というのに、窓が全開になっているということは・・・クーラーがなかったんだね。ご苦労様です。
西口広場は、青天の駐車場として使用して、ゆったりとした時代だった。
(現在の様子)
西口の駐車場部分は、高速バスの乗り場となっていて、2階部分には旅行会社なんかが入っているプレハブ建物ができているので、ここまでセットバックしないと撮影不可なのだ。
大阪環状線0番線内回りのホーム
環状線の窓も全開。屋根の上にはグローブ型ベンチレーターが並ぶばかり。
車内では、扇風機がブンブン廻っていた時代。
(現在の様子)桜橋口
停車中の車両は違うが、比較的当時の様子を留めている場所かもしれない。
駅本屋正面
戦時設計だけに、色彩も暗灰色のモノトーンであったが、重厚さとモダンな感じを兼ね備えた建物だった。
隣接する大阪中央郵便局は逓信省の設計、こちらは鉄道省の設計だが、ともに昭和14,15年の完成だったので、デザイン・色調ともよく似た感じに仕上がっていた。
中央の大時計が駅舎としての存在感をアピールしているね。
(現在の様子)
あまりの圧迫感に、ここでも道路の反対側まで後退して撮影。
この駅ビルをして、「巨大エアコン室外機」・・・とはよく言ったものだ。
都市の顔としての機能をかなぐり放棄しているのが、つくづく残念無念。
15分毎の新快速・・・今でもその間隔のままだが、しかし、でかい宣伝だなあ。
阪急・阪神に対抗して、国鉄の威信を賭けた事業であったと推察できる。
東口の広場も青天の駐車場だったが、ここで毎年定期的に「ぽっぽまつり」を開催して、鉄道の中古部品を販売していた。
ホーローびきの青いサボをよく買いに行ったものだった。
(現在の様子)
昭和48年と同じく東口の歩道橋の上から撮影したが、ここも1階部分は大阪市の路線バスターミナルとなっていて、2階は飲食店舗の雑居ビルため、同じ場所からの撮影は無理だった。
やや、後退した場所からの撮影だが、東口・西口とも安普請のプレハブ建物が占領していて、その風景は全くもって美しくない!
東口の北側に阪急・梅田駅に通じる跨線橋があるが、その上から10番線、11番線を望む。
トレインマークをつけていないので、なんらかの急行か荷物列車であろう。
EF58159とEF5825である。
EF58なんてありふれた機関車で、珍しくもなんともなかった時代。
(現在の様子)
そもそも10番線、11番線それ自体がない!
北側に大きな駅ビルを造り、南側の駅本屋にかけて大銀傘(こんな言い方でいいのだろうか?)を設置すべく改良工事が進行中・・・完成すればプラットホームに屋根のない開放的な欧州式のドーム型ホームになるのだが・・・。
次回は、駅構内を見ていこう・・・。

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