「昭和48年 三代目大阪駅を歩く(その2)」
- Sat
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和48年
前回にひきつづき、今回は大阪駅の構内を見ていこう。
まずは、東口コンコース。今では御堂筋口なんていってるところ。
高い天井がゆったりとした空間をもたらしている。広告が少ないのですっきりした雰囲気である。
さすが国営企業「日本国有鉄道」だ。
(現在の様子) 綺麗な感じには仕上がっているが、天井は低く、なんか閉塞感が漂う。
右側には、店舗がずらりと並び、そこにあった券売機や出札所は、すべて左側にまとめられてしまった。
戦時設計なので、良質な部材は使っていなかったと思われるが、大勢の市民が利用する駅舎としての居心地さは、昔のほうが満足度が高い。
左の柱のたもとに、ホーロー製の「痰壺」が見える。四つ足がついた上等品だ。
(現在の様子) このあたりの柱は、以前のものをそのまま利用している。
しかし耐震対応してか、より太くなっているので、全体的に圧迫感を感じてしまう。
この当時でも切符の自動販売機はあったが、金額ごとの券売機がほとんどだった。
こういった金額別ボタンのついたものはまだ珍しいものだった。
(現在の様子) 路線も自販機も複雑怪奇なものになってしまった。
初乗り・・・大人30円 こども10円の表示が懐かしい。
中央コンコースはこんな具合だった。ずらりと並んだ改札口も、普段は南側の一部しか使っていなかった。手前の臨時改札口は、多客時用のものだ。
夏休み・年末の臨時列車に乗るために乗客が長蛇の列を作る。ここのコンコースは、その待合場所をかねていた。
(現在の様子) 同じく北側から見た現在の風景。
中央改札口を反対側のコンコース南側からみたところ。
中央コンコースの北側には最近まで北口出口があったが・・・
この乗務員グループは、仕事を終えて、大鉄局に向かうのであろうか?
真ん中の女性が何だか楽しそう。
(現在の様子) ・・・工事中のため閉鎖中
伝言板・・・どこの駅にもあったが、ケイタイの普及とともに見事に消え去ったね。
恵子へ
もう行く(きみこ)
・・・きみこちゃん、ずいぶん待ったんだね。怒ってるよ。
中央コンコースの南側から北を望む
(現在の様子)
中央改札口は設備こそ変わっているが、その推移はイメージしやすい。
(現在の様子)
中央の切符売り場
路線別・種別毎にカウンターは細かく区分されていたようだ。
係員の前に置かれているのは、発券機のマルス(MARS)104かな?
(その当時の切符をファジーコレクションから探してみた。)
大阪駅は、すでにこの当時は駅名や列車名称も機械が印字して発行するようになっていたので、係員の左横にずらりと並んだゴム印は、あまり使うことがなかったであろうが、その他の駅はまだまだ旧式のものを使っていたので、駅名のゴムスタンプは必需品だった。
このように駅名と列車愛称名のゴム印をペチペチと押して切符を作っていたね。のんびりした時代だった。
これは、手荷物一時預かり場の様子。
手持ち無沙汰に何人もの係員がカウンターに溜まっている。
国鉄らしさをよく表しているの図。
西口の様子。現桜橋口
?(現在の様子) あまり変わっていないような・・・ずいぶん変わったような・・・。
正面エントランス部分。
ここに立つと、吹き抜け天井の広い空間が、旅に出る雰囲気を自然と沸きたててくれたものだが・・・
パタパタと変わるフラップ式の表示板が楽しかった。
特急は「全車指定」の文字が多いね。今でいうところの「のぞみ」のような存在だったのか。
(現在の様子) 正面エントランス部分。
高層ビルの1階部分になるためか、中央に柱列が走り、空間を分断してしまった。
奥に見える青く光るレリーフがある場所辺りが、大列車案内板があったところだが・・・
ここにそんなものがあったことを、覚えている人も、もはや少ないだろうなあ・・・。
次は、ホームの上に昇ってみよう。
(追記)
2009年2月に読者から下記の通りフラップ式列車表示板につき貴重な教示をうけたので、転載する。
『大阪駅コンコースのフラップ式表示機の写真はなかなか見られないものだけに貴重ですよ。
当時としては珍しいイタリア・ソラリー社製のものを使用し、昭和45年10月改正時から第三代駅舎取り壊しの昭和55年1月頃まで使用したそうです。
大分昔、設置した大阪のサインメーカーH社に話を聞きに行ったことがあるのですが、国鉄側が旅客案内表示装置に新方式のものを導入するにあたり「とりあえずは空港で使用しているイタリア製のものを取り入れてみようではないか」という意見が出たところ、国産品でないため国鉄旅客局内部で意見が真っ二つになったんだとか。その上、大鉄局と関係の深い電気掲示機製造業者M社は取扱い経験がなく不安なこともあり、近鉄への納入実績がありまた取扱い経験のあるH社に打診があったとのこと。
しかし設置工事は壁面への設置ということもあり難儀したそうです。
当時の鉄道事業者向けソラリーのパンフレットが手元にあるのですが、行先表示の上部が大仏殿の風景写真と朝日に輝く山並みの写真になっていてずっとそればかりだと思っていたのですが、結局は広告枠として使われたとは意外でした。これも広告代理店を兼ねていたH社らしいといえばそれまでですね。 』
- 関連記事
-
- 急行かすがの車窓から・・・その1 (2009/04/01)
- 在りし日の大阪臨港線・・・港のスイッチャー (2009/03/29)
- 昭和48年7月 北陸本線・福井駅 (2009/03/26)
- 35年前の棄景・・・奈良機関区 (2009/02/17)
- 昭和48年 阪神甲子園線と阪神甲子園球場 (2009/02/09)
- 晩秋の京福電鉄/嵐山・北野線 (2008/11/18)
- 昔日の夏休みの一日 (2008/08/06)
- 昭和48年 能勢電探訪(2) (2008/04/29)
- 昭和48年 能勢電探訪(1) (2008/04/26)
- 「昭和48年 SL伊賀路の旅」 (2008/03/26)
- 「昭和48年 三代目大阪駅を歩く(その3)」 (2008/03/18)
- 「昭和48年 三代目大阪駅を歩く(その2)」 (2008/03/15)
- 「昭和48年 三代目大阪駅を歩く(その1)」 (2008/03/13)
- 「竜華機関区訪問」 (2008/02/15)
- 「?なヘンな駅?」 (2007/08/31)
Comment
2015.07.09 Thu 11:34 |
はじめまして。管理人様。貴重な昭和の写真、これからも大事に保管なさってください。
表示板の列車名の中に私の地元へ向かう列車もあるのが「おお・・・。」と言いたくなります。
掲示板の文句は私も気になりました(笑)
それで、突然の無理なお願いで申し訳ないのですが、79年に作られた四代目駅舎の構内写真はありませんでしょうか?
もしあれば、公開してくださらないでしょうか。
誠に勝手なお願いで申し訳ありません。
失礼いたしました。
- #1St95RWQ
- 妄想大好き人間
- URL
- Edit
2015.07.10 Fri 09:19 |
重ね重ね申し訳ありません。管理人様。
詳しく書くと「80年代ごろの大阪駅構内」の写真です。
書くことが大ざっぱすぎて申し訳ありません。
- #en9qG856
- 妄想大好き人間
- URL
- Edit
2015.07.11 Sat 21:11 | *妄想大好き人間さん こんにちは
拙ブログをご覧いただきありがとうございます。ご要望の件ですが、4代目駅舎の構内写真というのは、1階コンコースを中心とするその周辺写真ということでしょうか。それであればほとんど撮影していないと思います。とにかく面白くなくなりましたのでね。ホーム上の写真であればいつくかはあると思いますね。右側の「フアジー全輯」から当該年度のものから探していただくと幸いです。
- #-
- FUZZY
- URL