「昭和48年 三代目大阪駅を歩く(その3)」
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和48年
駅舎だけだと消化不良になるので、ホームにあがろう。
これは、かつての9・10番線ホームの様子
開業当時からの壁面が残る昇降階段
客車・電車の大型化に伴い、嵩上げしたホームとの段差が年輪のようになって現れている。
この階段もリベットの美しいホーム屋根も、このたびの大改修に伴って姿を消した。
昭和48年当時、三代目大阪駅の見えるホームでは、こんな列車が去来していた。
さあさ、千両役者のオンパレード!
この当時、山陽新幹線は新大阪?岡山は開業済みであったが、大阪から広島へ行くお客の岡山での乗り換えのわずらわしさを回避するためにこの「しおじ」は残ったようだ。
国鉄顧問であった百先生が存命であれば「至極当然なり」といいそうな国鉄的発想である。
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この寝台特急「彗星」の最後尾には、客車だのにパンタグラフを備えていたカニ22を備えていた。
客車への電源供給のための配慮だったが・・・
晩年には、このように撤去され、耳なし芳一のような哀れな姿だった。
かつては、沖縄返還を願って名づけられた特急「なは」
「日向」と併結して山陽路を下り、九州に入ると日豊線と鹿児島線に分かれて南下していった。
当時のキハ82特急「なは」の車内風景・・・どこかの小学校の修学旅行かな?
リクライニングの利かない座席で長距離の旅行は、辛いように思うのだが・・・当時としてはデラックスだったんだろうね。
この3月までは、「なは」は「あかつき」と併結されてブルートレインの寝台特急としてなんとかその名を受け継いでいたが、このダイヤ改正で廃止・・・伝統ある愛称がまた消えた。
これは、福知山線の普通列車・・・DD54牽引のオハフ61だ。
客車の台車TR11がご先祖様を髣髴とさせる。
これは、長野行きの特急「しなの」かな。
うしろの大鉄局が重厚で頼もしいね。今は・・・。
山陽道でもキハ82は大活躍、京都?長崎・佐世保を疾走する昼間特急「かもめ」
奥に見える「コマ劇場」とバヤリースの広告塔も懐かしい。
481系特急みどり 新大阪?大分を走ってました。現在は同名の特急がJR九州で活躍中。
当時の客車急行は、特徴がないので、勢いこのような写真を撮ってしまうのだ。
EF6114+スハフ42の急行・・・屋久島か?
東海道線の普通列車には、数少ないといえど三段窓の旧型国電が残っていた。
突然現れると存在感たっぷりだ。
11番線は北陸線優等列車の定位置だった。
大きな目玉がチャーミングな急行ゆのくに・・・去年9月思いもかけず、福井でお会いしましたね。
これは、この当時でも珍しい臨時列車
カラフルな黄色と朱色をまとった修学旅行専用列車167系「わこうど」・・・こんなのまだ使っていたんだね。
165系のそっくりさんだが、修学旅行専用車両なので、乗客の乗降が頻繁でないということから、扉の幅が700mmと狭くなっている・・・そう言われると乗り降り口が狭いような・・・。
以上、昭和48年当時、三代目大阪駅の思い出の一日でした。
これにて全編の終了!
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