報道写真傑作集とスピードグラフィック(その1)
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- ∇愛しき冩眞機 - ├中判・大判・etc
表紙はこのようなもの。

1951年号の表紙にも中央にスピグラ遣いが二人写っている。
ライカやコンタックスも使われていたが、やはり原板が大きなものでないと新聞社はだめだった。
スピグラは、フイルムサイズが、シノゴとよばれる4インチ×5インチの大判なので、部分的な切取りも出来るので、報道各社はメインに使っていた。
映画ローマの休日で王女さまの隠し撮りをしていた髭面のカメラマン(エディ・アルバート演じるアーヴィング)が持っていたカメラもそうだった。
大型電球をズボッと焚くのが実に豪快だった。
手馴れたスピグラ遣いだと、万歳三唱する政治家を撮影すると、一回目の万歳を撮った後、電球を取り替えて三回目の万歳には再び撮影できた。というのだからもうこれは、神業だ!
我が家のスピグラも使ってやらなくちゃ。

ウチのものは、古いバ?レルレンズをとっかえひっかえして楽しんでいる。
距離計で撮影するには、OPTAR 135mm f4.7が定番だが、スピグラは、他の大型カメラと違い、ボディーにフォーカルプレーンシャッターを装備しているので、こんな大時代的なバレルレンズも使えるところが嬉しい・・・というか、こんなのばかり使っている。
これは、ファジーコレクションの数ある金色レンズの中の王様。

DOPPEL-ANASTIGMAT F:7.7 D.R.P.
C.P.GOERZ BERLIN.
と刻印されている。
絞りの前後に対称形の張り合わせレンズを配している、いわゆるドッペルアナスチグマットタイプなので、きっとゲルツ社の名玉ダゴールの基礎になったものだと思われる。
GOERZで「ゲルツ」と読む。Goetheを「ゲーテ」と読むが如し。
「ギョエテとは、わしの事かとゲーテ云い」の川柳を思い出しそうなドイツ的な綴りである。
これは、BAUSCH&LOMB-ZEISSの名玉PROTAR

直径35mmの可愛い金色レンズであるが、開放値がf18という暗さのためか、うしろのピントグラスをのぞいても薄ぼんやりしか像が見えない難儀な代物である。

金色の鏡胴にきれいな文字でメーカー名が刻印されている。
少し前の作品(4×5ポラロイド撮影)

Tessar105mm・・・6×9用のレンズなので周辺ケラレが見受けられるが、これも映像表現の一つ。
お気に入りの作品である。
(つづく)
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Comment
2008.06.20 Fri 22:12 | ウムラウト
oeはウムラウトを二字に分けたものですね。
ゲルツ社ときましたか。ここのボイコー照準器を、かつての海軍航空隊は爆撃照準器に使っていました。
「よ~そろ~」
「よ~そろ~」
「チョイ左」
「よ~そろ~」
「てっ!」
というわけで爆弾を落としていたのが成都や重慶というわけです。アメリカさんと戦うときは戦闘機にたかられてそれどころではなかったのですが。
2008.06.21 Sat 20:16 | プレスカメラ
高校生時代、スピグラとかリンホフとか、ずいぶん憧れたものです。銀座、新橋のカメラ屋さんを何軒も回って、ウインドウの大型カメラを眺めたものです。昭和も20年代末のことです。
2008.06.22 Sun 07:34 |
*jun'barさん。おはようございます。
このスピグラは大判を使いたくて求めたものなのですが、やはりデカすぎて持ち歩くことが余りありません。もっと使ってやりたいのですが・・・。
*なにわさん。おはようございます。
帝國海軍はゲルツ社の照準器を使っていたのですか。知りませんでした。帝國海軍御用達は日本光学とばかり思っていましたが、それは後期に限るのでしょうね。
赤とんぼに乗って筑波山を目標に練習していた頃が懐かしいです。
*む~さん。おはようございます。
高校時代にスピグラとかリンホフに興味がおありになったとは、びっくりです。
大判に興味のある学生なんて、当時でも珍しかったのではないでしょうか。
ひょっとして新聞記者志望だったのですか?