昔日の夏休みの一日
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和48年
京都では「大文字五山の送り火」が催されるその日、そして夏休みの残り日数を気にしだすようなそんな一日だった。
まず国鉄関西線で王寺まで行き、桜井線で奈良に向かい、そこから京都へ。

(奈良駅にて)

(キハユニ168車内)
キハ35よりずっと旅情を醸し出す車両だったね。

奈良では、龍華行きの貨物列車が黒煙を残し出発していった。いつもの変わらぬ風景であった。
奈良線を経て京都に・・・。
山陰線ホームには、キハ82の特急あさしお。

一日に何本も出ていたので珍しいものではなかったが、今見るとなかなか精悍な姿だ。
淡いブルーに色付けされた曲面フロントガラスがなんともお洒落!
山陰線は次の丹波口で下車し、梅小路蒸気機関車館を訪問。

京都に出るときは必ずといっていいほどここにきていた。行く度に運転するSLが異なるので自然と訪れる回数が増えるというものだ。

今日は9633・・・まだまだ元気だった。(現在は罐の火を落としている。)
その後は、七条千本から市電に乗って・・・

はてどこで降りたかな?三条口あたりではなかっただろうか。
京福電鉄嵐山線に乗り換えて・・・

途中の帷子の辻(かたびらのつじ)駅の様子
難読駅のひとつであるが、帷子とは死装束の経帷子のことなので、じっくり考えると不気味な名前ではある。
駅名の由来は、嵯峨天皇の后、壇林皇后が嵯峨深山谷へ葬送されるときに、棺に載せられた経帷子が風で舞落ちたところである。という説があるが如何なものか?

このモボ121形、昭和7年製ではあるが、均衡のとれたスタイルの良い車両だと思う。

最近、駅の上にニチイの店舗が出来たので、殺風景なホームになってしまった。

この当時京福電鉄はトロリーポールで集電していた。
終着駅に着くたびに車掌がトロリーポールの上げ下げするのを見るのがとにかく楽しみ。
しかし、雨天のときでも顔を天に向けてポールの操作をするのは大変な作業だ。
ポイント通過ごとにロープを握ってポールが架線から外れないように調整する車掌の姿も印象的だった。


このモボ301形は、訪問した当時としては、わずか二年前に新造されたピカピカの新車であったが、
新車にもかかわらず、トロリーポールを装備していてかなり違和感があった。
しかし結果的には、新造時からトロリーポールを装備している車両としては、果たして本邦最後の形式となってしまった。


ポールを上げて・・・嵐山駅にて
この2年後の昭和50年12月をもって、京福電鉄・嵐山線は合理化によりトロリーポール装置を廃止した。
このことにより、日本国内における営業用鉄道におけるポール電車は、京福電鉄・叡山線のみとなる。
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Comment
2008.08.06 Wed 09:16 |
昭和48年というと、ちょうど保護者なしでウロウロし始めた頃ですね。
阪急を乗りつぶしたり、国鉄の大回り乗車をしたり。梅小路も行きました。市バスの回数券売りのおばあちゃんに道順訊きながら。懐かしいですね。
2008.08.06 Wed 12:37 |
奈良線、というと私の中ではキハ35のイメージ。ロングシートで103系チックな顔は、やけに「都会的」に見えました。だって、山陰線は60系客車とかがバリバリ現役でしたからね!
- #-
- さだ
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2008.08.06 Wed 21:19 | 35年後の嵐電乗りました
まいどです。
>嵐電
なんとタイムリーな(笑)
知り合いが嵐電就職決まったので
改めて嵐電乗りたくなったから、ちょうどこの前、久しぶりに乗って来たですよ。
>帷子の辻
今とほとんど変わっていませんね。
変わったのは電車ぐらいか。
>嵐山
最後から2枚目の画像のホーム写ってるあたりに足湯が出来ました。
>ポール
ホイール式に見えますが・・・・。
この頃はスライダー式(京阪大津線
や叡電も最後はこの方式)主流だったのでなんか珍しく思えます。
ではでは。
2008.08.07 Thu 08:23 |
*サットンさん。おはようございます。
当時は近場でも面白い鉄道に出会えましたから休みごとに出掛けてましたね。
親もノリ鉄なら許してくれました。
*さださん。おはようございます。
私も奈良線は妻板を補強したキハ35の面影が強いです。
しかし昔の奈良線はローカル色たっぷりでしたね。
*まさとしさん。おはようございます。
嵐電にお知り合いが就職ですか・・・驚きました。賃金はどうなんでしょうか?
当時の叡電のスライダー式のポールより、嵐電のホイール式のほうが本来の姿を現しているようで、断然好きでしたね。クルクル回るホイールがスピードを増すとシューという音を立てるのが面白かったです。
2008.08.07 Thu 19:02 |
いたなあ、キハユニ16、桜井線にはキハ17やキハ25もいまして、それらと組んでいました。キハユニ16は紀勢線の急行の先頭についているほうが印象深かったでしょう。奈良経由とはえらく遠回りですね。
帷子ノ辻、昔からあんな薄暗い感じです。昔のジャスコのマークはああだったなと思い出しました。
ところで3000は8030に編入されましたが、まさとしさんのHNも変わるのでしょうか。
- #JyN/eAqk
- なにわ
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2008.08.08 Fri 07:17 |
*なにわさん。おはようございます。
急行きのくにの先頭にキハユニ16をつけた姿も懐かしいですね。
しかしあの車両で長距離かつ高速運転して果たして大丈夫だったのでしょうか?今思うと心配してしまいます。
2008.08.10 Sun 08:48 | 懐かしい嵐電
数々の懐かしいお写真、感激です。
ポール時代の嵐電の姿は、とても素敵ですね。ロープがレトリーバにしっかりと納まっていて、たるんでないのもまたいいですね。めくると行先が変わる方向円板も懐かしいです。帷子ノ辻や嵐山は、今も当時とほとんど変わらない風景です。
ところで、帷子ノ辻の「124」号の写真、係員さんが4人もいらっしゃいますね。乗務員交代でしょうか。
2008.08.11 Mon 09:13 |
*のりさん。おはようございます。
>ロープがレトリーバにしっかりと納まっていて・・・当時は、レトリーバの役割はよく分かりませんでしたが、トロリーロープをだらりと垂らしたままだと一流の電車とはいえませんからね。