プラネタリウム今昔
子守と涼みを兼ねて、中之島にある大阪市立科学館のプラネタリウムに出かけた。
午前10時の初回に間に合わそうと早めに出かけるが、どちらさんも考えることは同じのようで・・・夏休み中ということもあって多くの家族連れが列をなしていた。

しかし、早めに出掛けた甲斐あって座席も上部のいいところが確保できた。

(これは予告編)

現代のプラネタリウムは地平線が斜めになっていて、どの席からも比較的見やすくなっている。
青くて丸い機械が現在のプラネタリウム。
久しぶりに見る満天の星空・・・大阪の街中ではこの数十分の一も見れないなあ。と感じるばかり。
「四ツ橋で見てきた星座みつからず」伊知呂
昔から観覧者の思いは同じようだ。
その四ツ橋の電気科学館で活躍したプラネタリウムの初代は、入口に展示してある。

昭和12年製のドイツ・カールツアイスII型・・・どちらかというとこちらの方が馴染みがある。
幼稚園のころから何度となく見に来ている。

まぎれもなくカールツアイス製だ。

これは昭和12年に四ツ橋の電気科学館の開館と同時に設置されたもので、本邦初お目見えのものだった。

四ツ橋は、東西の長堀川と南北の西横堀川が交差する地点にロの字型に架けられた、上繋橋(かみつなぎばし)、下繋橋(しもつなぎばし)、炭屋橋(すみやばし)、吉野屋橋(よしのやばし)の4つの橋の愛称である。
四つの橋の位置関係は次のとおり

(大正3年7月の大阪市地図より)
【四ツ橋の倍増し餅】
昔から大阪に伝えられている数学クイズとして「四ツ橋の倍増し餅」という問題がある。
上繫橋の西詰で餅を一つ食べる。その橋を東に渡りきったところで、その倍の餅(二つ)を食べる。次の炭屋橋の北詰でその倍の餅(四つ)を食べる。それを渡って八つ・・・・と四ツ橋すべてわたりきって元に戻ったときには、合計いくつ餅を食べることになるか?という問題。
答えは、255個。最後の吉野屋橋を渡り終えたあと128個も食べんといかんのが辛い・・・。
橋の北西角には、東洋初のプラネタリウムが置かれた大阪市立電気科学館が四ツ橋のシンボルとなっていた。
(現在は、その機能をここ中之島の大阪市立科学館に移し、跡地にはORIXのブルーウェーブ・インが建っている。)

当時のプラネタリウムは、いったい幾らしたものだろうか?・・・大大阪としてまだまだ元気だったころのお話。
- 関連記事
-
- 平成7年大阪春景色 (2015/03/01)
- JR東海道線ガード下にみる戦争の痕跡 (2013/03/31)
- 昭和58年“アクティ大阪”展望テラスから(定点撮影) (2010/09/16)
- 重要文化財・泉布観 拝見 (2010/04/03)
- 造幣局・泉布観の一般公開 (2010/04/01)
- 西梅田 100万人のキャンドル・ナイト (2008/12/16)
- 核分裂連鎖反応シミュレーションとキューブくん (2008/08/03)
- プラネタリウム今昔 (2008/07/31)
- 大阪キタ・ウォーキングの会 (2008/04/02)
- 「写真とビールの一日」 (2008/02/10)
- 「サクラサク」 (2007/03/10)
- 「ヘンなもの発見」 (2007/01/31)
- 「大阪天満宮 すべらんうどん?」 (2007/01/21)
- 「太閤園で忘年会」 (2006/12/16)
- 「美協子ども展・造幣寮正面玄関にて」 (2006/12/11)
Comment
2008.07.31 Thu 01:10 |
懐かしいなあ・・・
まだ和歌山に住んでいたときに、たぶん小学校1年生のとき?に、父につれられてプラネタリウムを見につれてもらいました。あの黒いでっかい怪物のような機械が不思議でしかたなかったです。
なんか、すっごい高い機械だから、日本にいくつかしかない?だったか、そんな話を聞いた記憶があるけど、ちがったかな?
- #-
- いたさん
- URL
2008.07.31 Thu 07:04 |
*いたさん。おひさしぶりです。
四ツ橋のプラネタリウムには思い出たっぷりのようですね。
昭和12年当時は、日本はもちろん東洋で一台しかないものでした。父君はその当時のことをご存知でお話になったものと思います。
2008.07.31 Thu 08:20 |
四ツ橋の電気科学館で思い出すのはギシギシと音がする簡易リクライニング?の座席です。一度行っただけですが、それだけ妙に記憶に残ってます。今のプラネタリウムは座席も随分良くなってるようですね。
2008.07.31 Thu 10:07 |
毎晩、就寝前に空をみていますが
星は一つか二つ見えるくらいで空自体がとても明るく星どころではありません。
満天の星を見にプラネタリウムに久々行ってみたくなりました。
でもリクライニングに暗い部屋だと寝てしまいそうです。
- #-
- ピカデリー
- URL
2008.07.31 Thu 13:56 |
*サットンさん。こんにちは。
そうそう、四ツ橋の電気科学館の座席はオハ61のような木造で、風情がありました。現在のは快適です。
*ビカデリーさん。こんにちは。
今の時期だと南側に大きく輝く星が見えますが、それは木星らしいです。
それなら東京の空でも見えると思います。(大阪でもそれくらいしか見えませんでした。)
プラネタリウム・・・避暑に最適ですよ。
*うたにさん。こんにちは。
筑波研究学園都市にいつのまにかプラネタリウムが出来たんですね。
30年前、新治郡桜村といっていた頃はありませんでしたが、そのかわり夜には満天の星空が楽しめました。昔のほうが贅沢だったのかなあ・・・・。
2008.07.31 Thu 21:01 | 電気科学館
四ツ橋の電気科学館にあったプラネタリウムは、当時の学校が1~2校建てられるほどの金額だったと聞きます。昭和12年に制作された大阪の観光PR映画「大大阪観光」にも、ちゃんと登場します。「あらゆる天体の運行を映し出す天体照写機で、東洋唯一のものであります」とナレーションされています。この映画、どんな大阪の観光地よりも先に地下鉄が登場します。なかなか面白い映画です。
- #-
- のり
- URL
2008.07.31 Thu 21:32 |
電気科学館の一枚目も二枚目も戦後の写真ですね。一枚目は戦前かと思っていましたが、西横堀川沿いのバスは戦後型のようですね。
プラネタリウム、30年前の夏に見ました。もちろん、先代のほうを。見るならば、案外午後遅いほうが、すいているのかもしれません。
- #JyN/eAqk
- なにわ
- URL
- Edit
2008.08.01 Fri 08:09 |
*のりさん。おはようございます。
>プラネタリウムは、当時の学校が1~2校建てられるほどの金額・・・驚きました。やはり極めて高価なものだったのですね。納得。
昔の大阪市内の交通DVDが最近販売されたようなのですが、それにも登場するかもしれませんね。
*なにわさん。おはようございます。
写真はともに戦後のものです。高速道路のない西横堀川・・・生活の一部として利用していたのが良くわかります。