昭和54年 鶴見線の旧型国電訪問記(その2)
- Wed
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和53年-昭和54年
このあたりの路線は短い線路、所謂盲腸線があちこちに伸びているので、一度浅野駅に戻る。


バックの大きなガスタンクが、このあたりが工業地帯であることを示している。

三段窓のクモハ73289・・・(より時代を付けるためにセピア調に表現してみた。こうしてみると1950年代に見えなくもないが、元写真も1970年代なので大差ないか・・・)

武蔵白石駅では、念願のクモハ12052と対面する。

側面に整然と並んだリベットの美しさは喩えようがない。

車長は、17mながらボディーはよく手入れされていてぶどう色が光に映える。近代工業の芸術品ともいえる逸品である。

車内の様子・・・最近こういうグローブ型室内灯は、めっきり数を減らした。


終着地大川で写真を撮っているとあっという間に折り返していってしまった。
20分待てばまた戻ってくる。



折り返し時の運転手と車掌の入れ替え風景
車内のお客は、私を含めて2名だけ。運転手と車掌の2名が運ぶ。
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Comment
2009.01.29 Thu 15:14 | 大川支線
クモハ12のぶどう色・・・いいですね。。
大川駅も全然変わってないな~。
でも、細々と運転されていた大川発着の貨物列車が昨年3月で無くなってしまい、大川支線は本当に朝と夕・夜しか列車が走らなくなってしまいました。。
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- うたに
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2009.01.29 Thu 21:38 | *うたにさん。こんばんは。
このあたりの駅は、あまり変化がないようですね。今では本数も少なくなって、いわば時代に取り残されているんでしょうか?
このクモハ12は20mの旧国より長生きしたようですが、それも武蔵白石のRのきついカーヴに対応するためとか・・・。
それが解消されてようやくお役御免となったと聞いています。皮肉なものですね。
次回は南武線となり、次々回は江ノ電の登場です。江ノ電は随分変わっていると思いますが・・・いかがでしょうか。
またご意見お願いします。
2009.01.31 Sat 13:31 | それに比べて
79全金車のへたりよう。1950年代の軽量車は72系、70系、80系そして101系、153系とへたるのが早かったので、廃車も早かったのです。
その次の世代(103系、113系、475系など)は長持ちするようになったのです。
- #JyN/eAqk
- なにわ
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2009.01.31 Sat 20:48 |
浅野駅も全く変わっていませんねw
リベットが美しいです。54年はワタクシまだ4~5歳でした。
このような車両を撮影できたのが羨ましい限りです。
これからはこんな車両も現れないでしょうから・・
- #-
- OCEANBREEZE
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