昭和49年5月2日 SL白鷺号
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和49年
まずは梅小路からのC612の回送シーンを撮ろうと吹田の築堤に向かう。

ブルートレインの寝台特急「日本海」は、本日のカメラテストとして撮影したもの。
今日もシャッターは快調だ!

EF58と20系寝台なんて珍しくもなんともないので・・・。

座席車だったものを寝台車に改造したもので、曲面ガラスが特徴だった最後尾のパノラマウインドーが平面ガラスの張り合わせとなっている。
これは改造されたものか?と思ったが、調べてみるると、これはデビュー当時からそうなっているようだ。

当時のフォトニュースから
(20系が登場した昭和33年当時は平面ガラスの張りあわせで、翌34年に登場したモノから曲面ガラスになったようだ。)
・・・さてさて・・・

この当時数が少なくなったといえ、ぶどう色の旧型国電の姿を見ることができた。
・・・わおっ!!!
いきなり、珍しいものが現れた!

吹田第一機関区への職員輸送列車だ。
DD13177(吹一)+オヤ30-4+スヤ37-2というイデタチ。(このときは推進運転だった。)

オヤ30-4は、台車はTR11だし車長が短いので、種車は、オハ31系であることが一目でわかる。
また窓の間隔が均等なのでニ等車だろう。
調べると、もと二等車であるオロ31-52であった。戦後オハ27-52に格下げされた後、職員車となったものだ。
オハ31系の特徴である美しいダブルルーフが残されていないのが残念である。

スヤ37-2は台車がTR23で車長も20mありそうだ。四人がけのボックス席に窓が二つずつあてがわれているところを見ると、これはスハ32系と考えられる。
調べると元車は、スハフ32-100である。
(ともに両端が切れた拙い写真となっているが、この当時ニッコール58mmf1.4が一本きりしか持っていなく、いきなり現れて引く場所がなかったものと思われる。また形式を撮影しようとして、斜めに撮るということは考えなかったようだ。)
これらの車両は、この後もしばらく活躍していた様だが、昭和58年6月3日に廃車となった。

あれこれしているうちに、C612がやってきた。
その後は大阪駅の5番ホームに戻り、4番ホームで行われていた出発式の様子を撮影。

重厚な5音階式汽笛を響かせて一路姫路へと向かっていった。







この2年後、C57による京阪100年号が運転され、忌まわしい事故を起こしたため、京阪神におけるSL運行はその終焉を迎えることとなる。

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Comment
2009.02.20 Fri 10:12 | あの日あの時
私も大阪駅にいましたよ。不思議なことに印象がほとんど残っていません。写真を見て「ああ、そうだったのか」という程度です。加齢は怖いですね(笑)。
20系、あらためて見ると良い感じですね。いかにも特別急行という感じです。昔は曲面ガラスが貴重だったんでしょうね。名鉄なんて最近まで張り合わせで凌いでいましたから。
- #-
- サットン
- URL
2009.02.20 Fri 22:33 |
*サットンさん。こんばんは。
あの日あの時、あの場所にいらっしゃいましたか・・・サットン少年が・・・。
この前にはC622が牽引する臨時列車などもありましたが、現在も改築進む大阪駅・・・だんだん昔の記憶が薄れていくようです。本日の夕刊に載ってましたが、梅田北ヤードの東海道支線が地下化して新駅ができるとか・・・お互い長生きはするものですね。
2009.02.22 Sun 23:40 |
「鉄道100年」には、かなりいろいろな行事が行われましたね。今は無き枚方の菊人形も「汽笛一声」というテーマで開催されていたと記憶しております。阪神間の鉄道開業は、その3年後ですか・・・。
客車は12系ですね。中学の修学旅行の際、信州からの夜行列車で乗車しました。懐かしいですね。
京阪100年号の際の事故は、誠に残念でした。撮影する側のモラルも問題になりましたが、最近はどうなのでしょう。もちろん警備も厳しくなりましたが・・・
2009.02.23 Mon 17:44 |
*junsbarさん。こんにちは。
お仕事第一ですから・・・というものの、忙中閑有という言葉もありますので、これからもお付き合いお願いしますね。
*のりさん。こんにちは。
団臨や臨時急行の定番だった12系客車はほんと知らない間にすーっと姿を消しましたね。
最近の鉄道ファンのマナーがどうなのかはよく存じませんが、昨今の被写体を考えると、もはや撮りたいと思うようなものがなくなったと思わざるをえませんね。
これもやはり加齢によるものでしょうか(笑)
2009.03.03 Tue 19:57 | コメントが遅れております
あるうちに行っておけとばかりに敦賀通いが続いております。
58と20系は珍しくも無い?いえいえ、米原名物の変形機36号機ではありませんか。
しかも旧型国電がクロハ59改造車の55110か112ときたもんです。もちろん、宇部線では1981年まで、戦後クロスシートになった車は飯田線で1983年まで残っていたのですが。
吹田の職員輸送列車、どこかでオハフ33とすりかえちゃったのです。
ところでこのオロ31ですが、戦後、急行の二等車として用いたときに、二重屋根はなんだろうということで、屋根を改造した車があるようです。
- #JyN/eAqk
- なにわ
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2009.03.03 Tue 23:58 |
*なにわさん。驚きました。
これでEF58の希少種の区別がつくんですね。
確かに横窓が7ケあります。
小生はEF58のデッキのついていない車両はどうでもいいような車種でした。
また旧国の造詣にはほんと頭が下がります。
ご指摘かたじけない。
オロ31改造車ですが、高砂工場で被災したためのシングルルーフ化したとか聞き及んでいます。