昭和55年の茨城交通・湊線
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和55年-昭和56年

常磐線・勝田駅
茨城交通鉄道は、国鉄の勝田駅から阿字ヶ浦までの14.3kmの非電化鉄道
(現在では、ひたちなか海浜鉄道湊線という)

中央に同鉄道の車両が見える。
ちょうど上り特急のひたちが出発していった。

ローカル色豊かな茨城交通・那珂湊駅
傍らのトリコロールは・・・喫茶店だろうか?
周りの空気を気にしないような無頓着かつ中途半端・・・実にエバラキらしいいい景色です。

構内には、両運のキハ2005が停車中 改札口から望む


町中の工場のような風情の車両工場・・・たまりませんね。

へそライトがユニークなキハ1001(元留萌鉄道)に、ハフ46+キハ1002がつづく。
このへそライトは、手動で左右に照らす方向が変えられるらしい。
そもそもその機能は、北海道の吹雪の中を疾走するときの行方を照らし出すためのものであり、この地ではまず利用することはないだろう。


これは、かなりの曲者だ。ハフ46
元車は、キハ41300のようだ。自走装置をはずされ付随車として使われている。昭和8年の日車製ということになる。

右:キハ1002

唯一のステンレス車両 ケハ601(昭和35年新潟鉄工製)
「ケハ」と称しているのは、燃料が軽油だからとか。

左:ケキ102(昭和32年新潟鉄工製)と右:ケキ103(昭和33年新潟鉄工製)


DC型のケキ101(昭和28年新潟鉄工製)
工事用車両連結用の長いカプラーがついたままだ。

9年前の茨城線廃止時のお別れプレートがいまだに大切に保管されていた。
昭和46年2月10日赤塚?大学前間の茨城線が廃止となった。

上記のプレートをつけたケハ401 「世界の鉄道'72」より


留置線には、真岡からやってきた新参者が・・・キハ1119+キハ1125+キハ1126(水モウ)
※ 後日談だが、21世紀になってココのキハ11は、同形式で現存する唯一の貴重な車両となってしまった。
それで、3輌のうちキハ1119は、映画ポッポ屋で撮影に使われたのち解体されたが、キハ1125は、鉄道博物館での保存車輌となり、キハ1126は、佐久間レールパークでキハ48036として原型に戻され大切に保管されている。

てっぱくのキハ1125

まさに奇跡のホマレ復活劇を演じて見せた。
当時に戻って・・・
機関区見学は、これくらいにして、先に進む。
海岸に近い麦畑の中を進んでいくと・・・

終点阿字ヶ浦駅
・・・太平洋からの爽やかな海風がいつまでも心地よい。
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Comment
2009.06.15 Mon 09:54 | 貴重なデータ
昭和55年って、そんなに昔ではないのにずいぶんなつかしく感じますね。
勝田駅が改築前だと、それだけで雰囲気が一気にレトロになってしまって。
那珂湊駅だけは、トリコロールがなくなって、今のほうがレトロになってますが。
(吉田)
2009.06.15 Mon 13:01 |
うわ~! 昔の湊線って、こういうカラーだったんですね! ケキ100といい、ずいぶん今とは違うなぁ~。
でも、那珂湊駅や阿字ヶ浦駅は今も当時の面影を残していますね。
さりげなく出ているケハ601の写真ですが、台車が付いている姿を初めてみました。確か、ボディのみが今も那珂湊駅の端の方に置かれていたような気が・・・。
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- うたに
- URL
2009.06.15 Mon 13:12 | *ひたちなか海浜鉄道 御中
わっ!驚きました。
鉄道運営の当事会社からコメントをいただいたのは初めてです。ありがとうございました。
ケハなどというユニークな車輛があり大いに楽しませていただきました。今でも旧国鉄色のキハは人気の的なんでしょうね。
30年ほど前は、茨城県内には他にも面白い鉄道がたくさんありましたが、今となればほんと寂しい限りです。
その中で、ひたちなか海浜鉄道さんの活躍ぶりを日々嬉しく聞き及んでいます。
旧三木鉄道の車輛が加われば、またニギヤカになりますね。
益々のご発展をお祈りいたします。
2009.06.15 Mon 13:18 | *うたにさん。こんにちは。
ここの鉄道車輛のボディカラーは茶色と臙脂色の中間のようなビミョウな感じで、ネガからスキャンするとき苦労しましたが概ね再現できていると思います。
勝田以外の駅の雰囲気はいまでもさほど変わらないようですね。阿字ヶ浦はそのままかも。
これからもずっとそのままでいて欲しい気がいたします。
2009.06.15 Mon 17:14 | キハ2005
北海道出身の車両が多いんですね。キハ2005も国鉄のキハ22が種車に見えますが、これも北海道から移って来たんでしょうか?最近では某栄養ドリンクのCMにも登場しており気になっていました。
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- サットン
- URL
2009.06.15 Mon 17:56 | *サットンさん。こんにちは。
キハ2005は、昭和45年に留萌鉄道からやってきた昭和41年・東急車輛製ですね。外装を変えるとまた別の車輛のようにも見えるのが不思議なところです。
2009.06.15 Mon 22:06 | ありがたいです
お邪魔します。大変良いモノを見せて頂きましてありがとうございます。羽幌炭砿鉄道色が標準色時代の湊線。そして未だ所謂「タラコ色」のキハ11達。30年前の当たり前の光景が今では色違いですが車輌だけは見る事が出来る湊線。いや~何度も申しますが良いモノを見せていただいてありがとうございます。
では。
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- 水浜軌道
- URL
2009.06.15 Mon 22:36 | *水浜軌道さん。こんばんは。
コメントありがとうございます。
貴ブログも拝見いたしました。茨城交通に関する乗車券のコレクションには全く舌を巻きました。すごいですね。
そして、水浜線に対する愛情もひしひしと伝わってきました。
茨城の鉄道については、ここのほか同時期の関鉄の筑波・鉾田・龍ヶ崎の各線については、当ブログで紹介済です。
http://fuzzyphoto.blog120.fc2.com/blog-category-52.html
また、次回は国鉄水郡線と日立電鉄を予定してます。
またお立ち寄りください。
2009.06.15 Mon 22:47 |
とても良いものを見せていただきました。ありがとうございます。
かつて、お別れ列車3部作「ローカル鉄道の旅・さようならローカル鉄道・お別れ列車の旅」(産業能率短期大学)・・(・だったかな・・・書名も出版社もあやふやになってしまいましたが・・・)で見た列車がそのままの姿でここにいます。留萌鉄道や羽幌炭砿鉄道などなど。あの本は何処へ行ったやら・・・
2009.06.16 Tue 06:41 | *のりさん。おはようございます。
留萌鉄道や羽幌炭砿鉄道の車輌はその路線廃止に伴って関東の地にやってきたものですが、我々にとっては北海道の車輌が手軽に見ることができて喜んだものです。当時の北海道にあった私鉄各社のユニークな車輌にはほんと癒されました。
2009.06.17 Wed 09:37 | お久し振りです
こんにちは
なかなかお寄出来なく恐縮です。
コメントを頂きながら
何時も貴重な写真に感心
見惚れるばかり
また拝見に
何時もありがとうございます。
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- junsbar
- URL
2009.06.17 Wed 10:55 | *junsbarさん。こんにちは。
お忙しいときにもかかわらず、ご訪問およびコメントをいただきありがとうございます。
昔の写真をアップするのはいいのですが、データを探すのに一苦労いたします(笑)
2009.06.18 Thu 14:58 | すごい…
貴重なものをありがとうございます。
…ケハに足が付いていて、他のキハたちの塗装の過渡期とは…本当にすごく貴重ですよ。
2009.06.19 Fri 21:21 | *ノリトモさん。こんばんは。
お褒めおきいただきましてありがとうございます。
他の方からもケハの足つきは貴重であるとのご評価をいただきました。
だだ訪れた時の様子を撮っていたに過ぎないのですが・・・。
まだまだ古い写真を用意していますので、またお立ち寄りくださいね。
2010.01.04 Mon 12:51 | 湊線
茨城交通の懐かしい画像を楽しんでいます。かく言う小食は小学生の頃は、那珂湊駅の裏側に短期間住んでいました。当時(1960年あたり)はケキ102が現役で旧式の客車を引いて混合貨物をして運航していました。101と103も時々動いていたようですが、102の低音のホイッスルはいまだに耳に残っています。ジーゼルカー(地元では気動車をそう呼んでいました)はステンレスの60や07私鉄カラーなどが走っていました。総括制御ができないので、汽笛で合図して今考えるとギアーを変えていたのでしょうか?本当にありがとうございます。
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- マックス
- URL
2010.01.04 Mon 15:23 | *マックスさん こんにちは
>那珂湊駅の裏側にお住まいでしたらさぞお懐かしいことでしょう。しかし1960年代となると、この画像でも随分新しいものではないでしょうか?
>汽笛で合図して今考えるとギアーを変えていたのでしょうか・・・実際体験されたことに基づくデータはとても貴重です。夢のような風景を思い起こしてしまいました・・・非常に貴重なご意見ありがとうございました。