昭和55年 日立電鉄と院電ホデ6123
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和55年-昭和56年
そのとき常磐線の大甕駅でちらりと日立電鉄の姿を写真にとどめたが、やはり気になる鉄道なので、再度同鉄道を訪れた。

これは、昭和55年5月10日茨城交通湊線を訪れたその勢いで日立電鉄・鮎川まで足を伸ばした時のレホートである。
この鉄道名前のとおり日立製作所傘下の鉄道だったが、平成17年3月末日をもって廃止された。

左横には、国鉄常磐線が走っている。

しかし、ホームに屋根がないのは、乗客の皆さんへのサービスに欠けるのでは・・・と思ってしまう。
手許の鉄道写真アルバムをみると車両の位置もメモしているようだった。


左からモハ1003 クハ2503 モハ11

このクハ2503は、元鉄道省のクモハ30129である。台枠・台車を再利用し、車体は東急車輛で更新されたものだが、窓の配置や丸屋根のRなどにその面影が残る。


ワンマン化され、サイドミラーがユニークなモハ11(昭和23年7月使用開始)
スマートな車輌であるが、機能的には戦時設計のかなり酷いものだということだ。
またこの車輌の出自はかなりなぞに満ちたものである・・・東京の営団から新車の製造を依頼されていた日立製作所が、その完成車輌を営団に引き渡すことなく、自社子会社である日立電鉄の新線に間に合わすべく手許に留めおいたものであるらしい。つまり横流ししたもの、日立は顧客に債務不履行をしたことになる。

モハ11の次位には、クモハ110+クモハ109がつづく
この車輛は、昭和54年に静岡鉄道からやってきた車両だ。
他の車輛と塗装が異なるが、これは静岡鉄道時代のママなのか?

クモハ109の横には、モハ1007(旧小田急デハ1163)が古豪ぶった顔をして居座っている。

モハ1001+モハ1002+モハ1003 相模鉄道からやってきたが出自は、昭和2,3年製の小田急の古豪である。
手前の線路は国鉄・常磐線(日立・常陸多賀間)

モハ1001


これは、モハ1003の車内(連結側と運転室側) 旧小田急のデハ1109である。

すっきりとしたスマートな内装に好感が持てる。

同運転席

モハ1004とモハ1008

モハ1004のサイドビュー この車輌は昭和35年に小田急からやってきた。

窓位置にアンバランスを感じるサハ1501 (昭和34年小田急より転籍)

すそが切れ上がったサハ2801
元車は、相模鉄道のサハ1101であるので、もともと付随車である。
後ほど登場する久慈浜のモハ14(元相模鉄道のキハ1000)と本来ペアとなるものである。

いかつい窓枠のモハ1008・・・これは元荷物電車だったものをそのまま客車として使っている豪の者。小田急からつい最近転入してきたものらしい。
中央の両開きの扉を使っていたというから、ラッシュ時専用車なのか?

クハ2504

モハ1009

モハ1009とモハ1005
車両の片隅に「久慈浜工」なる文字が見えるので、また更なる珍奇車に出会えないだろうかと思い、久慈浜に向かう。
そこで見たものは・・・

台車をはずされたモハ14・・・これは、元相模鉄道のキハ1000だった。
日立電鉄に来てから特徴的な運転席を切妻にしてしかもガソリンカーから電車に改装した変り種だ。
その前面に回ろうとすると、
その陰に・・・・

うおっ!こ、こ、これは・・・木造ダブルルーフの電車?ひょっとして旧院電では?

よ?く調べてみると、何と明治44年製の鉄道院時代の電車ホデ6123であるあることがわかった。
昭和22年転入時にはクハ141と称されていた。
昭和39年5月には廃車となりここで倉庫として余生を送っている。
しかしその僚機は・・・

日立電鉄にもう一両いた同形のデハ101は、現在では、国鉄最古の電車として院電ナデ6141に復元され、鉄道博物館で誉れの保存車輌となっている。

この台枠にとりつけられた「鉄道新橋 明治四十四」の銘板は、久慈浜で朽ちたクハ141のものであると聞く。
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Comment
2009.09.12 Sat 12:26 | 茨城はほぼ行ったことがないので
80年代一杯はすごかったのですが、茨城県には足を踏み入れたことがほぼない(古河を通過したことはあります)ので・・・。
日立の1000型は
1001~03:小田急→相模
1004~06、1501小田急から直接
1007~09:小田急→相模→荷電
といった経歴です。
2000(元クモハ11)が荷物電車、両運転台改造されて相鉄に残り、相手の2500と元荷電の1000が組んで日立にやってきました。
追記:水曜日は夜、大垣に行ってまして、接続が悪く、70分ほどかけて湖東を各駅停車で戻ってきましたのが、23時30分。
あちこちのサイトにみたままを書き込むと日付が変わっておりました。
そうそう、ファジーさんの更新は0時だったなと思って読んだのが直後のレスとなった次第であります。
- #JyN/eAqk
- なにわ
- URL
- Edit
2009.09.12 Sat 15:14 | *なにわさん こんにちは
日立の電車についてはね詳細なデータをとっていなかったので今回は難儀しましたが、ネコパブの「日立電鉄の75年」に助けられました。
2009.09.13 Sun 18:27 | ただただ懐かしい!
ぼんくらが生まれた宮城県の登米というところは、
かつて東北本線の瀬峰駅との間が仙北線という
ローカル線で繋がっておりました。68年に廃線に
なってしまいましたが、こんな車両だったという
記憶が写真を拝見してフラッシュバックしました。
4、5才の頃の記憶だと思いますが、だだっ広い
仙台平野を単線の鉄道がコトコトと走っていく
姿です。貴重なお写真をありがとうございました。
- #-
- ぼんくらオヤジ
- URL
2009.09.13 Sun 18:59 | *ぼんくらオヤジさん こんばんは
宮城と岩手の県境の登米でお生まれになったんですね。その当時は「とよま」でしたよね。確かに仙北鉄道はありました。
仙石線・仙山線とともに国鉄の路線のような響きですが、宮城バスが経営の私鉄でした。
近くの小牛田(こごだ)は、陸羽東線のSLが活躍するところとして夙に有名でした。
当時は小生も幼く、勝手な鉄道旅が出来きず残念な思いをいたしました。
登米には明治の建物も多く保存されいてるとか・・・小生の理念にピッタリです・・・一度じっくりと訪れたいところです。
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