山陽路に遊ぶ・・・鞆の浦訪問
二月としてはかなり暖かい日となった2月14日(土)の事だった。
ライカ先生のお誘いで、恒例となった倉敷で新酒「荒走り」を飲む会に参加すべく山陽路に向かう。
夕方に倉敷に行けばいいので、それまで近くの福山・鞆の浦に寄ってこようと思う。
鞆の浦は、映画「崖の上のポニョ」の構想を練った場所と言われているのと、大規模開発の是か否で裁判沙汰になっている場所でもあるので、一度この目でこの足で確めたい気持ちもあり、初めて彼の地を訪れる次第であ?る。
百先生とは違い、仕事ではないので大阪からはゆっくりと在来線を新快速で姫路に向かう。

姫路駅では、播但線のラッピング電車に出会う。
「銀の馬車道」・・・何のことだろう?
播但線の生野は銀山で有名なのはわかるが、馬車道がピンと来ない。
調べてみると、銀の馬車道とは、「生野銀山道」「鉱山寮馬車道」とも呼ばれる生野―姫路間約49キロの馬車専用道を示すらしい。
1876(明治9)年完成させた馬車専用道は、フランス人技師の指揮の下、明治新政府が旧街道を大改修したもので、本邦最初の高速道路と言われるものである。
1895年の播但鉄道開通で役割を譲るまで、日本の近代化と地域の発展に貢献した。との事である。
今ではその大半が国道や県道に変わったが、一部にまだ面影が残るので、官民挙げて観光誘致合戦を繰り広げているらしい。
・・・ヘェ。
2007年8月に姫路駅を訪問したときは、播但線はまだ地上ホームにあったが、今では山陽線とともに高架化されている。

特急「はまかぜ」のキハ181を使って臨時特急「かにカニはまかぜ号」が運行されていた。

姫路発8時58分
ここで列車の方向が転換されるので、車内の乗客が一斉に座席を回転させる。
毎度の風景ながら、見ず知らずの者同士が文句も言わず協調して同じ作業をこなすのは、何度見ても不思議な光景ではある。

姫路-岡山も在来線を使うに越したことはないが、この区間だけは新幹線を利用すると頗る時間短縮になるので、やむ方なく今回も利用する。

岡山からは再び在来線を利用する。快速のサンライナーで福山へ。
福山からは、鞆鉄道バスで鞆の浦に向かう。
この区間は、同名の軽便鉄道が大正2年から昭和29年まで走っていた。

(全国鉄道旅行図 東京・雄文館 昭和2年発行)
万葉の時代から瀬戸内の潮待ちの港として長く利用されてきた鞆の津だが、海上から鉄道輸送に転換されるとともにさびれてきた。

大正9年頃は、まだまだ瀬戸内航路の要衝であったようだ。
右下に伸びる赤線(航路)は、香川・多度津へと繋がっている。
(世界之公園 瀬戸内海地図 和楽路屋 大正9年発行)

鞆の浦バス停(旧鞆鉄道・鞆駅のあったところ)の売店内に当時の資料が残っていた。

ここぞとばかりにポニョを強烈にアピールする鞆鉄バス売店
この中に鞆鉄道の小さな資料施設がある。

明治43年の鉄道免許書だ。
文面を見ると軽便鉄道法第3条の認可書は別に申請すべしとなっている。
(參考)輕便鐵道法 第三條
免許ヲ受ケタル者ハ免許ニ指定シタル期限内ニ線路實測圖工事方法書及工事豫算書ヲ提出シ主務大臣ノ認可ヲ受クヘシ但會社ニ在リテハ定款ヲ添附スルコトヲ要ス

煙突がそれに似ているから「らっきょ汽車」・・・隣のC57が巨大にみえる。

鞆鉄道の株券


大正14年の時刻表・・・一日8往復は少ないように思えるが、ダイヤのように途中での対向なしに折り返し運転をすると日中はほぼ休みなく列車が走り続けていることとなる。


また、昭和25年の時刻表を見るとこの当時は途中の水呑(みのみ)で列車対向がなされているようだ。
一日13便と運転回数こそ増えているが、「自動車及ガソリン車併用」とか「鞆ー福山間の自動車線あり」なんて文字が周りに見えるところからすると、鉄道事業より乗合自動車事業を重視していたように思える。
昭和29年にあっさり廃止となる同鉄道の4年前ではあるが、かなりやる気のない鉄道だったようだ。
今では、その鉄道名を使いながら、バス路線が運営されている。

こんな薄っぺらな切符にその名前を留めるのみ。(バス車内で記念写真)
バスに乗って約30分で終点・鞆港(ともこう)に到着。
とりあえず、日東第一の眺めといわれる福禅寺・対潮楼を見学する。

この石垣の上に福禅寺がある。



この本堂に隣接する客殿が対潮楼である。

大きな客殿には件の扁額が掲げられてある。


韓国からの訪問客も多いようだ。この日も傍らで韓国語を耳にする。

これが、日東第一の形勝である。
(つづく)
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Comment
2009.02.23 Mon 12:58 |
キハ181が現役なんですね。見る分には楽しい車両ですけど、乗るとどうなのかなぁ。。
と言いつつ、30リッターエンジンの爆音を間近で聞いてみたい自分が居たりします(^^;)
対潮楼からの、眺め素敵ですね! 次回が楽しみです。
- #-
- うたに
- URL
2009.02.23 Mon 20:27 |
*うたにさん。こんばんは。
キハ181毎日がんばってますよ。代替機種がないのでいつまでも利用されているのかも・・・。
停止中のアイドリング音が姫路駅のホーム下に響いてましたので、小生も気づいて上に登った次第です。
鞆の浦の対潮楼からの眺め・・・かなり高得点だと思いますね。窓枠が額縁になっているのが功を奏するようです。
2009.03.01 Sun 12:58 | 鞆鉄バス
鉄道もないのに鉄道会社の名前だけが残ったバス会社って全国津々浦々にありますね。今後も増える可能性大ではないかと危惧しております。
キハ181の前頭デザインはピカイチですね!ほれぼれします。
- #-
- サットン
- URL
2009.03.01 Sun 20:02 |
*サットンさん。こんばんは。
鉄道名を冠するバス会社・・・最初耳にすると鉄道があったかな?と錯覚を覚えますネ。今後も増えていくのでしょうか・・・。
キハ181・・・運転席の曲面ガラスといい今では国鉄カラーを色濃く残す名機ですね。
2009.03.03 Tue 20:01 |
銀の馬車道編成、赤と黄色は知っているのですが、青、というより水色もあったのですね。
昔、新幹線移動は相生-岡山でした。これだと特急料金が安いですから。
それにしてもホームの案内は東海より垢抜けてないですね。
- #JyN/eAqk
- なにわ
- URL
- Edit
2009.03.04 Wed 11:33 |
*なにわさん。マイドです。
私も最初は、相生-岡山の新幹線移動を考えました。しかしこれだと全く時間短縮にならず、仕方なく姫路-岡山の利用となりました。これで鞆の浦をゆっくり散策できました。