在りし日の大阪臨港線・・・港のスイッチャー
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和48年
毎月楽しみにしているが、2月は第10号「大阪」の発売であった。
大阪は地元だけに目を見張るような情報はないが、地下鉄の縦断面図という切り口の違うアプローチが極めて新鮮である。
また廃線鉄道地図や駅名一覧の詳細に調査されたデータはこれからの鉄道趣味に大いに役立つ。

今回そんな貨物線のひとつをご紹介しようと思う。
青線で表示されている今はなき貨物線の中に大阪環状線から分岐していた大阪臨港線がある。
境川信号所からのびるUの字形のブルーの線で描かれた貨物専用線である。

(昭和42年大阪市区別地図帳より)
今回は、同線の中でも早い時期に廃止となった大阪東港駅付近の様子を載せてみたい。


大阪東港駅ヤード(昭和48年5月13日撮影)
駅の東側から西に向かってヤード全体を撮ったもの
この駅は戦後の安治川内港の物流増加に対応するため浪速駅から延長され、昭和31年3月15日に開業したもの。
サイロが埠頭に立ち並ぶ地域だけに穀物を運搬する割合が多かった。
当初は、竜華区の8620が10km/hの低速で行き来していたらしいが、昭和43年5月20日からは国鉄傘下の浪速鉄道産業に運用業務が委託され、同社の小型産業用DLで東港?浪速間の貨物輸送をしていた。
しかし、国鉄貨物の合理化の波に飲み込まれ、昭和59年2月1日には廃止の憂き目と相なる。

(2009年 現在)
今は、湾岸線に続く阪神高速16号大阪港線が空を埋め、その下はトラックの作業場と化している。
右脇の倉庫が昔の写真の中央に写っている荷下ろし場ではないか?などと漠然と思っている。
後ろ(東側)を振り返るとこんな具合だ。

右に見えるガラス張りの円形の建物は、阪神高速の朝潮橋パーキングである。

働き者の産業用DL DB251+DB252
DB251は、昭和41年日本車両製
DB252は、昭和41年帝国車両製
外見は似ているが、出自が異なるのだ。これらの車両は、この路線が廃止になってからも浪速駅の構内でいつまでも働いていた。

このあたりは、辰巳商会のオイルタンクが立ち並ぶ一帯である。
これは大阪東港駅のさらに東側に移動したところから西方を撮ったもの。

現在でも、上部に油送用フレームが見受けられるので、この場所に間違いなかろう。
この変貌ぶりにより昔の面影は完全に消え去っている。

その背後の様子・・・中央の線路のあったところは綺麗に舗装され、昔の面影を知ることはできない。

こういう風景を見ると、力づけられる気がするね。

今回の記事データについては、大阪市立大学鉄道研究会発行の「くろしお」No.28(1993.12.30発行)によるところが多い。
この雑誌は、日ごろ余り光が当たらない、つまり鉄道ファンにとって人気のない臨港貨物線を過去から現状に至るまで丹念に調査した上に詳細に記述してあり、かつそれが他書では見出せない内容となっているので、その資料的価値は高い。

・・・同書の裏表紙から
(2010.07.26追記)
臨港貨物線の浪速駅、住友レンガ倉庫、可動橋の今昔については、「昭和50年代の大阪港・大阪臨港線(浪速貨物線)風景」と題して別記事を作成した。
(2010.09.03追記)
このDB25は、現在も四日市の三菱化学専用線で稼動中とのクラッチさんのレポートを発見。嬉しい限なり。
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Comment
2009.03.30 Mon 00:40 |
環状線から分岐していく臨港線の姿は見たことありますが、こんなに入り組んだ路線だったとは知りませんでした。人知れず消えていったという感じですね。
- #-
- サットン
- URL
2009.03.30 Mon 07:08 | 臨港線のその後
サットンさん。おはようございます。
鉄道からトラックに輸送方法が転換したことにより衰退していった臨港貨物線でしたが、境川信号所から大阪造船がある浪速駅までは、船荷のレール輸送手段として、平成に入っても残ってました。今ではそれも廃止され市バスの車庫となっています。
浪速駅の様子も長期間にわたってたくさん撮影していますが、それはまた後日に・・・。
2009.03.31 Tue 22:17 |
このあたりは空襲の上に、安治川の掘削と地盤のかさ上げで地形が変わってますからねえ。
あの”アホの”坂田利夫さんもこのあたりのご出身です。
- #JyN/eAqk
- なにわ
- URL
- Edit
2009.04.01 Wed 12:24 |
DE10を半分に切ったような、特徴ある形のスイッチャーですね。
専用線で働くスイッチャーは地味な存在ですが、私は好きです。ただ、私有地に入ることはできないので、奥の方に止まっている車両を指咥えて見るしかない・・・なんてこともよくあります(^^;)
- #-
- うたに
- URL
2009.04.01 Wed 17:20 | みなさんありがとうございます
*なにわさん。こんにちは。
坂田利夫さんの実家は朝潮橋の近くにあります。トミーズ健さんのお宅も三先にありますね。 西川きよしさんが若い頃バイトしていた公設市場も市岡にあります。港区は芸人に愛されている下町です。
*junsbarさん。こんにちは。
4月になってもブログ続けてくださいね。楽しみにしてますので。
*うたにさん。こんにちは。
貴ブログでも専用線は定番記事でしたね。何か秘密めいて楽しいんですよ。
ここの引込み線は、途中に何箇所か突堤への道が横断していましたので、遠慮なく立ち入ることが出来ました。
2009.04.25 Sat 05:54 |
初めまして。
私はこの貨物駅の近所に住んでいる者です。
小さい頃から鉄道が好きだったので、毎日のように駅や途中の線路に遊びに行っていました。
子供の頃は、いつ列車が来るのか分かるはずもなく、ひたすら待ち続けていた事を思い出します。
現在では面影も無くなってしまいましたが、場所によってはレールの残っている踏切跡も何ヶ所か在りますよ。
- #-
- 床屋のシンサン
- URL
2009.04.25 Sat 08:37 | *床屋のシンサン。おはようございます。
コメントありがとうございます。
鉄道だけでなくこの周辺もずいぶん変わりましたね。
見本市会場が今や八幡屋公園ですから。
手許に地下鉄開通当時の市場の写真がありますので、機会を見つけてアップしたいと思います。
2009.06.03 Wed 00:39 | 懐かしいです!
大阪の港区で生まれ育った者です。たまたまふっと思い立ち、グーグルで「大阪 港区 臨港線」と検索してこちらに辿り着きました。現在は東京在住ですが、小学生・中学生の頃、安治川のサイロ近辺の貨物線で遊んだり、中学校の教室から福崎あたりの線路を走る貨物列車を見ていました。今は廃線になってしまったのですね。とっても寂しいです。。。
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- こにたん
- URL
2009.06.03 Wed 06:37 | *こにたんさん。おはようございます
コメントありがとうございます。
福崎の貨物駅もすっかりその姿を変えてしまいました。港南中学からDD51の働く姿が見えたんですね。
港南中学前から三先の交差点にかけては、いまでは新幹線の陸送が行われる名所として有名になっています。
http://fuzzyphoto.blog120.fc2.com/blog-entry-722.html
平成になってから市岡~福崎の貨物線を数多く撮影していますので、機会を見つけてアップしたいと考えています。
またこれ以外にも港区ネタ(カテゴリから大阪市港エリアを参照ください)も数多くありますので、ご覧ください。
2009.06.05 Fri 00:22 | そうなんです!
そう、港南中学で当時1年生の教室からは毎日午前11時50分頃に大正方面から浪速貨物駅に向かう貨物列車を見ていました。夕方も夜7時半頃と10時頃にも走っていたかな? 塾の帰りに見ていました。新幹線の輸送も面白いですね。他の港区ネタも楽しみに少しずつ見せていただきます!!
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- こにたん
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