昭和49年3月名機9600を求めて北九州へ
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和49年
大好きだった大正時代の代表的な蒸気機関車である9600に会いに行きたいという思いが昂じて、昭和49年3月17日春休みになるや否や寝台急行「日南」2号で北九州に向かった。

勿論、この日を迎えるまでには綿密な行動計画が練られている。
特に迷路のような後藤寺附近に踏み込むと訳がわからなくなりそうになったが、時刻表を眺め眇めつ自分なりに納得する経由を決めたことを思い出す。

その計画を一筆書きのような乗車区間の切符を作ってもらった。

行き先が白木原(現:大野城)となっているのは、博多で途中下車して切符を手に入れるためだ。
今になってみると、よくこんな手間のかかる切符を作ってくれたと思うね。
弁天町の交通公社(現:JTB)さん、感謝してますよ。

急行「比叡」が並ぶホームを横目に4番ホームに停車中の大阪始発19時43分発の寝台急行「日南2号」9号車16番の上段の寝台に陣取る。
初めての寝台車だ。

ナハネ10の三段寝台 一番上だったが、いつまでも起きていたような気がする。
・・・・・・・・・・・・
ふと気がつくと下関から関門トンネルに入るところだった。
暗い闇から門司側に出たら、いきなり6900牽引の貨物列車とすれ違う。
その現役の姿とシュポシュポというブラスト音に、もうアドレナリン大沸騰!
あこがれの6900が現役で走っている・・・なんて素晴らしいんだ。
いきなりの洗礼で大興奮したことが昨日のことのように思い出される。
洗顔もそこそこに程なく6時32分行橋に到着。

なんということか。ここは6900の天下ではないか・・・とにかく9600だらけだ。
それもどの機関車も白い湯気を立てている。


向こうに見えるレンガ造りの車庫にはC55の廃車体が入っていた。

朝日に輝く59644・・・デフのあるモノ、ないもの、お洒落な門デフのモノとスタイルも様々だ。
行橋からは田川線で油須原(ゆすばる)に向かう。


駅舎の窓は、か細い木造の木枠窓に、平屋建て瓦屋根、駅前の丹頂の電話ボックスと鋳物の赤ポスト・・・鉄道模型では誰もがあこがれる絵に描いたような正統派田舎のシーナリーである。
うる覚えで申し訳ないが、この駅前だったか・・・「公衆電話」の吊看板ある店先(タバコ屋さんか)を覗くと、ダイヤルがない真っ黒な手回し電話がデンと備え付けられていて泣きそうになったのは・・・。
(つづく)

(追記)昭和をこよなく愛すブロ友の“ぼんくらオヤジ さん”から油須原駅舎入口左の赤いポスターは何でしょうか?とご指摘を受けたので、再度ネガを高密度スキャンしてみたが、ドラム缶様のバケツに水が入っているような絵柄だが、上下の文字までは判読できなかった。防火用水の啓発ポスターだろうか・・・?
なお、右の黒板には、「最近線路を通行する方が多く見受けられますが、危険です。構内通行は止めてください。改札口をご利用ください。」との注意書きがある。
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Comment
2010.03.12 Fri 13:48 | 1400円!
懐かしいなあ、このタイプの指定券!しかも寝台料金と急行料金とで1400円とは。
かつての筑豊線群攻略は至難の業でしたね。大阪近郊区間よりも難解でした。
それにこの乗車券。国鉄の窓口なら間違いなく舌打ちされてたでしょう。この頃は
乗車券を残しておくためにあの手この手でしたね。
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- サットン
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2010.03.12 Fri 20:10 | *サットンさん こんばんは
この地域の行程を時刻表でいろいろな組み合わせをしていると、ほんと目が回ります。別途SLダイヤ情報も見なければならず、大変でしたね。
狭隘な10系寝台もまた思い出です。
2010.03.12 Fri 20:15 | *ぼんくらオヤジさん こんばんは
油須原駅舎の赤いポスター・・・一体なんでしょうね。拡大してもよく分からないんです。ジュース缶のトップが大写しになっているので、当時プルトップ式だったので、開けた後のプルトップはきちんとゴミ箱へ・・・という政府広報かなあ・・・?
(追記)いいかげんなこと書いてすみません。
再度ネガをスキャンしましら、本文追記のとおりですが、それとて曖昧なものです。
2010.03.13 Sat 00:58 | コメントありがとうございました。。。
こんばんは。
拙ブログへのコメントありがとうございました。
96の現役時代の写真がなんともいい雰囲気です。96の模型を、いつかウェザリングし、このような感じに表現したいと思っていますので、その際は、是非この写真を参考にさせて下さい。駅舎の写真ものどかでいいですね。
2010.03.13 Sat 08:00 | *鉄重さん おはようございます
いつも貴ブログを拝見していますが、鉄重さんの工作力には舌を巻くばかりです。今後も楽しみにさせていただきます。
さて、本記事のキューロクがウェザリングの参考になれば幸甚ですが、後ほどに、老骨のD60が、え~感じで登場しますので、これも参考になさってください。
2010.03.14 Sun 17:47 |
わざわざ再スキャンまでしてくださって恐縮です^^; ぼんくらもじっくり画像を拝見しましたが謎ですねぇ! 今度、昭和49年のポスターをチェックしてみます。もし判明したらご報告しますね^^ 本当にありがとうございました♪
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- ぼんくらオヤジ
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2010.04.05 Mon 14:57 | 初めまして
「十三のいま昔」から来ました。時々読ませてもらっています。
行橋・苅田が私の故郷で、駅の盛衰を長年見てきただけに、この時期の映像は感無量です。
煉瓦の機関庫の中のC55は19号機ですね。
大きな構内も駅前のバス・荷車・日通の大混雑もすべて潮が引いたようになくなりました。
ただ一軒残っていた駅弁屋は100年続きましたが、5年前に駅売りを廃業、今は注文生産してくれてると思います。
この店の店内は100年前の風情が残されている筈です。もし九州に行かれることがあれば、探訪されてみては、と思いました。
小倉からL特急で今は15分くらい。限定特急料金も安いですよ。
2010.04.06 Tue 10:38 | *kotaroさん はじめまして
コメントありがとうございます。
感慨をもって故郷の風景をご覧になっていただきありがとうございます。・・・「たれか故郷を思わざる」ですよね。
最近は彼の地を訪れていませんが、コメントによると随分変わってしまっているようですね。時代の流れと一言で言ってしまえばお終いですが、なにか欠落したものがあるようで寂しいです。
2014.09.05 Fri 09:27 | はじめまして
管理人様、
つい先日、草津の駐泊所をネットで検索していたら、貴ブログへたどり着きました。 以来楽しく読ませて頂いております。
本項の[日南]の寝台券の日付、及び大阪駅の「比叡」の写真を見てちょっと愕然としました。
昭和49年3月17日(日)、当時小学校高学年だった小生は「まさに」米原からその列車に乗車していたからです。 確か大阪へは定刻19時11分着のところ、5-7分延着したと記憶しております。 大阪へ着くや、名古屋側の先頭車(写真の車両)へ向かい、ヘッドーマークを暫し眺めた記憶があります。 その際向かいに「日南」が入線していたかは記憶がありませんが、40年前、結構ニアミスしていたのですね。 今後ともよろしくお願いします。
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- MK
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2014.09.08 Mon 06:53 |
古い記事にもかかわらずご覧いただきありがとうございます。
40年前に大阪駅でニアミスしていたとは驚きですね。小生も中学生でした。はじめての寝台車利用にわくわくしていた頃でした。窮屈な3段寝台でしたが、嬉しくてたまりませんでした。
当時の大阪駅は、優等列車が絶え間なく往来していましたので、鉄道ファンにとっては聖地でしたね。
今後ともよろしくお付き合いください。
- #UXr/yv2Y
- MKさん はじめまして
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