昭和28年の大阪駅前風景(2)
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和元年-昭和47年

御堂筋から右側にターンすると阪神電車の梅田駅が見えてくる。
この写真は右側に黒い影があるが、カメラの革ケースがレンズの前に飛び出たものだろうか・・・昔はこんなことが良くあった。

がらんとした国鉄・大阪駅本屋・・・こんなゆったりとした風景と比べて、敷地を目一杯使った現在のアクティ大阪を見ると息が詰まる思いがする。

大阪駅前の道路は、中央に市電のターミナルを配し、右側の歩道には所々に人のかたまりが出来ているので、ここがバスの乗り場だったようだ。
ここから見る建物の風景は、昭和50年くらいまで余り変化がなかったように思う。
大阪駅の真正面にそびえる12階建の第一生命ビルは、ほんとつい最近に立て替えた気がするが、もう大分経つのかなあ。
現在の様子はこうなる。

駅前の大歩道橋より
前方を少し拡大すると・・・

現在のヒルトンプラザのあるところは、いまだアーケードでつながった商店街だ。
旭屋書店や駅前ラヂオにはよく通った。
正面の新阪神ビルは、かなり粘っていたが、近年ヒルトンプラザ・ウエストに建替えられた。
この南側に中古カメラの名店・河原写真機店があったこともすでに忘れ去られようとしている。
中央郵便局の西側には何にもなく、ただ水路が広がっているが、こののちコンテナヤードに変貌し、現在では大阪ガーデンシティなるものに変貌している。
変わらないものは大阪中央郵便局だけだと思っていたが、しかしそれも先日建替えのために閉鎖された。

出入橋から北方に大きく船溜りが存在し、線路の北の貨物駅内部まで広がっていることがよく分かる。
黒く写っているところがそうである。
昔は、大阪駅で扱われていた貨物・荷物が水運を利用して搬入出されていたことが推察できる。

当時の大阪駅前の地図・・・出入橋が、まだ橋梁としての機能を果していた頃のお話。
少し南に下ったところの写真も存在する。

この古い写真を見たときは、川沿いのビル群の有無以外は、余り変化がないかなあと思っていたが・・・

天満の裁判所の南浜・・・鉾流し橋の北詰から北浜方向を撮影したもの。

現在、改めて同じ場所に立ってみると、その風景は全く別の場所であるような気がする。
さっぱり分からなくなってしまった。

北浜のさらに近いところから見てみると、ライオン橋と証券取引所の正面のみが当時と変わらない姿を伝えているようだ。

これは「水晶宮」と称せられた大阪中央電信局(1927年築)
電話の発達により電信の利用率が下がり、取扱局であるこの建物は1966年に取壊されてしまった。
これはさすがに記憶にないが、とてもスマートで水晶宮の愛称が相応しいビルだと思う。
中央に写っているお洒落な橋は、田蓑橋(1929年築)で、左の大きな建物は、阪大附属病院だ。
現在同場所から同方向を写すと・・・

水晶宮は、NTTの無機質なビルに代わっているし、阪大病院の跡地は、今では検察庁の高層ビルと「ほたる街」などと称し現代的なビルが林立している。

お洒落な田蓑橋もその橋桁と親柱だけ残して機能性ばかり追及した愛想のない橋梁にその姿を変えてしまった。

撮影場所には「大阪府師範学校跡」の石碑がポツンと建っていたが、これについては、別途紙面を割きたいので、ここでは割愛する。

御堂筋の道頓堀橋から戎橋を撮影したもの。

この当時、戎橋の西側にはグリコのネオンはなく、低層の木造店舗がずらりと並ぶばかりである。
【注】グリコの電飾は昭和10年には現在の場所に登場したが、戦況が厳しくなり昭和18年には鉄材供出のため撤去された。昭和30年に2代目が再建されるまではこのように存在しなかった。

現在の風景

戎橋南詰めのネオンサイン・・・この当時から「メタボ」なる言葉が使われていたとは驚きである。

中央のネオンに道頓堀の三文字が読め、その向こうに浪花座が見えるので、戎橋南詰から道頓堀商店街の方向(東側)を撮影したものだろう。現在カニ道楽の大カニがある広場である。
アルバイトセンターさふらん・・・のネオンが輝く建物は、かなりの骨董品だったが、今では立て替わってしまった。
1階にはLeicaを取扱う写真機店として有名なドウトンカメラがあった。

浪花座の跡にできた道頓堀極楽商店街も、またその姿を変ぜようとしている。
ところで・・・この撮影の後は、何処に行ったのか・・・昭和28年当時、20歳であった青年の足跡は杳として知れず・・・。
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Comment
2009.05.31 Sun 12:35 | 大阪駅
先代大阪駅舎は建築途上に鉄材供出でこの姿になったそうですが、その名残が屋上に突き出た鉄骨に見て取れますね。
第一生命ビル、当時は大阪一の高層ビルだったそうですね。現在のビルは平成2年の竣工だそうです。
貴重な画像の数々興味深く拝見しました。
- #-
- サットン
- URL
2009.06.01 Mon 07:14 | *サットンさん。おはようございます。
三代目大阪駅の4階以上の上層階は、当初ホテルになる予定だったと聞いています。
しかし戦局の悪化によって実現できなかったとのことですが、デザイン的にはこのままの方がランドマークとしては優れたものではなかったでしょうか。
幻の完成鉄骨模型が大阪鉄道科学博物館にありますが、平面的であまり好感はもてませんでした。(今のアクティ大阪の小型版のようでした。)
第一生命のビルの建替えは平成2年でしたか・・・もう20年にもなるんですね。
昔の写真と同じ撮影場所に立つと、その景色の余りの変わり様に愕然としていまいました。
2009.06.01 Mon 12:56 |
行ったことの無い私でも、テレビなどで目にする機会の多い道頓堀。ここも昔と比べると、ずいぶん変わったんですね。
毒々しく思えるネオン看板も、モノクロで見ると違った印象を受けるから不思議です。
- #-
- うたに
- URL
2009.06.01 Mon 16:35 | *うたにさん。こんにちは。
日本各地隈なく旅行されているうたにさんでも道頓堀が未踏地だったとは意外な感じがします。
しかし大阪人から見ても昔に比べ、立ち並ぶ店舗に風情が感じられず、大人向きの場所ではなくなってしまったのが残念です。
夜は北の新地のほうが断然面白いと思います。(鉄道模型バーの恋道路が閉店したのは残念でしたが・・・)
2009.06.04 Thu 21:12 |
いや~、勉強になります。
西梅田の「船溜」、たしかに私の記憶でもそっちの方には「何もなかった」ような気がしていました。今や高級ホテルやら新聞社やら・・・の一帯ですね。
またお伺い申します。
- #-
- yutakami
- URL
2009.06.05 Fri 00:38 | *yutakamiさん。こんばんは
中央郵便局から西側ってホント影がうすいんですよね。
長らくコンテナヤードとして使われていましたが、季節的にはスキーバスの溜まり場のような感じになっていました。
今や・・・隔世の感一入です。