昭和48年・初めての東北旅行
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和48年
新幹線を降りた後、山手線で東京から上野までやってきた。

やはり上野は東北への出発地としての雰囲気を漂わせていたが、一方では目の前の「はつかり」「ひばり」という愛称列車は、鉄道雑誌「鉄道ファン」から飛び出してきたような錯覚に陥る。


上野から青森までは臨時急行十和田52号に乗車 16時16分の出発である。
夜行ということでに座席指定車だったが、座席指定車は6両ともグリーン車というイデタチ。
憧れのグリーン車なのでもちろんテンションは上がるが、車輌はスロ62なので普通の学生にとっては単に古い車輌に過ぎなかったかもしれない。
中にはリクライニングが故障していると苦情をもらす同級生もいたと記憶している。
車内で出発を待っていると、前方から鉄道研究部のメンバーが大声を張り上げている。
EF57が来たぞ!!

思わず窓を全開にして慌ててカメラを向けた。

なんとパンタグラフが飛び出していないEF57の1号機であったが、あっという間に目の前を過ぎていった。
(ピントも露出もいい加減なままだったので、写っているかどうかプリントが出来上がるまで不安であった。)
大変なものを見てしまったような気持ちで、興奮ただならぬものだったが、もちろん一部の人間にとっては・・・の話である。

16時16分いよいよ列車が動き出した
・・・ひばり・やまびこ・・・関西では見ることのできない列車なので写真に撮っておかねば・・・


途中これまた貴重な配給車とすれ違った。 東京の唯一のクモル23001か?

常磐線も東北本線もこれまた初体験なので、初めて見る車輌を飽かずに見ていた。
正面に入ったJNRのマークをお洒落だねぇ。と思ったものだ。
窓の外ばかり見ていたので、車内で学友とじっくりと語らうということはなかった。

常磐線のエメラルドグリーンの色目も珍しかったし・・・

ローズピンク色の401系交直流電車の大窓もまた初めて見る車輌であった。

常磐線の平駅 19時35分 バス窓のディーゼル列車は常磐線の普通列車であろう。
電化前の平機関区の殷賑ぶりは如何なものだったのか・・・などとひとり思いを馳せていた。

仙台は22時08分の到着だった。

盛岡は午前1時18分発車・・・深夜にも拘らず、果敢にカメラを向けているところは我ながらアッパレである。

さすがに・・・これ以降の写真はない・・・Zzzz
翌日からはバスで移動・・・奥入瀬から十和田湖観光をしたのち・・・

この時刻表にはブルーのマジック(当時「マーカー」なるものは存在しなかった。)で経路が塗りつぶしてあった・・36年ぶりに再会。

観光バスが、花輪線を横切る。
これは1926D盛岡行 (陸中花輪?陸中大里)
こののち平泉と松島観光へ

(つづく)
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Comment
2009.09.27 Sun 11:11 |
JNRマークが入った常磐線の電車は、103-1000かなぁ。数年前まで快速線をすっ飛ばして走っていたので、ちょっぴり懐かしいです。
どれもファジー少年が興奮気味に撮っている姿が浮かんで来そうな写真ですね!
今の私もお酒を飲まなければ夜行列車で似たような感じになりそうです(^_^;)
- #-
- うたに
- URL
2009.09.27 Sun 15:49 | こんなところで・・・
高揚する気持ち、痛いほどわかります!一部の人限定でしょうが(笑)
常磐線の103系1000代、関西では見られなかっただけに格別の車両でした。ところが後年105系に改造され奈良や和歌山でお目にかかろうとは。しかも2連のワンマン仕様。電車の運命もわかりませんね。
- #-
- サットン
- URL
2009.09.27 Sun 16:03 | *うたにさん こんにちは
103系1000番台なんてつい最近までいたように感じるのですが、東京の都心では103系すら見なくなってしまいましたね。
2009.09.27 Sun 16:08 | *サットンさん こんにちは
103系族を調べると大変なボリウムになりますね。その種別の多さと改造車輌の多彩なことには驚かされます。それだけ丈夫で使い易い車輌なんでしょう。けっして面白い車輌ではありませんが・・・。
2009.09.27 Sun 17:37 |
ありましたねぇ『十和田』!
ぼんくらは『八甲田』をよく利用していました。
夜行ならではの光景が、しかも記憶の底から
浮かび上がって感無量です。毎度のことながら
感謝です!
- #-
- ぼんくらオヤジ
- URL
2009.09.27 Sun 20:20 |
寝台車とグリーン車しかない列車なんて、団体用ってことですね。
団体の無い日にどうぞということでしょうか。
松戸の56番編成ですから、この先頭車はクハ103-1012、クハ105-6に改造されいますから、3扉の105系生え抜きと入れ替わっていない限り、和歌山か奈良で見れるでしょう。
そしてこの時刻表の表紙は法隆寺付近と見ましたが。
2009.09.28 Mon 06:37 | *ぼんくらオヤジさん おはようございます
急行八甲田をご利用でしたか・・・当時の上野は旅情豊かな列車が数多く出発し、知らない遠くの町へ行くという気分を盛り上げてくれてましたね。夜汽車であればなおさらで、漆黒の闇に響くレールのジョイント音と時折聞こえる汽笛に憧れを募らせてました。昨今のスピードばかりを追及する風潮にはげんなりします。
2009.09.28 Mon 06:44 | *なにわさん おはようございます
いつもながら詳しい情報ありがとうございます。今でも奈良・和歌山で出会える可能性があるんですね。少し注意してみてみます。
時刻表の表紙・・・複線にしたばかりという白い道床が目に付きますね。大和小泉附近は金魚池と一緒に写すでしょうし、郡山附近であればもう少し家並みが見えるでしょうから法隆寺附近かな?手許に現物がないので推察の域をでません。
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