昭和48年・東北から北関東へ
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和48年

五色沼や会津若松の観光を終えて、日光に向かう・・・

こ○ごえ・・・・東武・鬼怒川線の小佐越(こさごえ)駅だろう


東武特急を是非写真に残したいと頑張ったが、中学生の拙い技術では、バスの車窓からはどうしても上手く撮れなかった。(もちろんモータードライブはないし、巻き上げも手巻きだし・・・)
爾後・・・この列車と再会するのは、約10年後となる。

万座・鹿沢口から白根山に向かった後、軽井沢に戻り、そこからは鉄路で帰阪。

国鉄・信越本線軽井沢駅

急行妙高や特急白山の行きかう中、特急あさま4号に乗車する。
(「妙高」や「白山」にはこの4年後、妙高高原で再び出会うこととなる。)


そして、初めての碓井峠・・・
EF63を先頭に66.7‰の急勾配を下っていくのは、なんともいえない体験であった。
アプト式でないのがなんとも残念・・・ED42に逢いたかった・・・なんて鉄友と見てきたような事を語りながら東京へと近づいていく。

だるま弁当で有名な高崎では上信電鉄に出会う。
鮎川団地第二次分譲の宣伝が見えるが、今はどうなっているのだろうか?

熊谷では秩父鉄道の姿を愉しむ

秩父鉄道デキ203の姿も見えた・・・現在はブルーの色調だが、入線当時はこんなブラウンの塗装を身に纏っていた。

この内燃車輌は、ひょっとして昭和58年に廃止となった東武・熊谷線【通称:妻沼線(めぬません)】かな?

そうであれば、これはキハ2000形 【通称:カメ号】?

大宮工場では、さまざまな機関車が・・・DD13の奥にいる栗色の凸電が気になるなあ。

D51324の休車体に出会えたことも注記すべきことだった。

このあたりは、通路デッキの窓ガラスを通して撮影したものだ。
この車輌は、昭和47年1月の電化を機にカマの火を落として新津からやってきた機関車だ。
長野工場式のデフがスマートなD51であるが、この当時は、このまま解体されるものとばかり思っていたが、その後、千葉・習志野で保存されることになった。
それでヤレヤレと思っていたら、保存状態が悪かったのか?腐食が進み、平成13年には解体されてしまったらしい。
機関車の晩年も人間同様そうそう安寧ではないということか!

定刻15時52分上野駅到着予定だったが、随分延着したようだ。
新幹線の発車時刻を気にして引率教員が声を荒げている!

夕闇が広がる上野駅における、165系の急行車両とともに東海道時代を髣髴とさせる通称「髭ナシ」181系のフォルムがなんとも懐かしい。
関西ではもう見ることができなくなった、そのツルンとした飾り気の少ないボンネット部分に堪らなくなって、叱責覚悟で隊列を離脱した。そうして撮った一枚である。
【後日談ではあるが、この昭和48年の冬は新潟地方が記録的な豪雪に見舞われ、この旧型の車輛は、電気関係機器に雪が舞い込み故障が相次いだ。修理しても翌日には同じ車輛がまた故障するといった有様で、特急「とき」はまともに運転できない状態が続いた。
温暖な山陽地区から来た車輛ゆえか、甲信越地方の雪や寒さには脆弱であり、また老朽化も加わり、国鉄は上越新幹線開通まで使用しようとしたこれらの車輛の全車入れ替えを決断した。
ということで、図らずも181系のおだやかな姿を見る最後の秋となった。】

正面プレートの「とき」の二文字の間に「朱鷺」と小さく書かれているのがなんとも憎い!
このときから36年を経ても、特急「とき」は健在である。
しかし・・・現在の新幹線ホームで出会う「とき」とは明らかに異なり、こちらの「とき」は濃密な旅情空間を提供していた。
(完)
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Comment
2009.09.29 Tue 10:15 |
前回と今回の記事に触れているうちに奇妙な感覚に囚われています。客観的には数十年が経過しているというのに、時間が伸び縮みして、今昔の区別がつかなくなってきました。時間感覚を喪失したのか、時間感覚が錯覚であることに気付いたのか。古い写真はいくらでもあるのに普通はこんな気分にならないのに。やっぱりファジーさんと同じ時間軸を歩んできたからなんでしょうか。単なるノスタルジーではない、貴重な感覚を体験することができました。おりをみてまたご紹介ください。ありがとうございました。
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- ぼんくらオヤジ
- URL
2009.09.29 Tue 12:00 | *ぼんくらオヤジさん こんにちは
貴重なコメントありがとうございます。
これらの写真は手許にある写真アルバムに整理されたものを抜粋していますので、小生にとってはなじみある写真ばかりです。よって一瞬にして36年前に立ち戻ることができます。そういったことを考えれば、私は意識的には時空を瞬間移動できるともいえるでしょう。
しかし貴兄のコメントをいただき、閲覧者が何故そういう感覚にとらわれるのか?と考えて見ますとやはりその時代を同世代として体験しているに他ならないからではないでしょうか。いくらなじみのあるといっても我々が体験していない戦前の写真ではこんな感覚にはなりませんしね。映画「三丁目の夕日」の光景が琴線に触れるのもそのあたりでしょうか。駄菓子のマンボの思い出も同じですよね(笑)
2009.09.30 Wed 00:17 | とき
181系の末期は実に悲惨でしたね。毎冬トラブル続出で。
それでも帰省シーズンの「とき」の混雑は凄まじく子供が押されて圧死したなんて話も聞きました。その「とき」に初めて乗ったのは新幹線の一番列車とき301号でした。
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- サットン
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2009.09.30 Wed 06:35 | *サットンさん おはようございます
在来線の「とき」で子供の圧死事件なんてあったんですか・・・すさまじい混雑振りですね。
そうなると在来線の特急・急行を駆逐した上越新幹線も、市民にひとつの恩恵を与えたと考えていいのでしょうね。
開通当初の上越新幹線・・・たいへんな話題でした。
2009.10.01 Thu 13:02 |
熊谷も秩父鉄道ホームにやや面影があるものの。ずいぶん変わりましたね。。駅の灰皿が懐かしいです。
秩父鉄道の電機、昔はこういう色だったのですね。あと、妻沼線の気動車もかつてはセージクリーム一色ではなく、東武8000系に似た塗色だったのか! 初めて見ました!
- #-
- うたに
- URL
2009.10.01 Thu 14:09 | *うたにさん 見ていただけましたか
うたにさんのブログにも登場していた秩父の電機の昔の姿です。
妻沼線については、全くの素人で今回のアップに際して少し調べたぐらいです。
たまたま撮っただけなんですが、やはり珍しい写真なんでしょうか?
2018.04.16 Mon 11:15 | 妻沼線の色
東武熊谷線のこの写真の色は珍しいですね。地元で生まれ育った者ですがこれはほとんど記憶にありません。末期のレモンイエローの前、東武の他線の電車がこの色だった時代の妻沼線で記憶に残っているのは青とベージュの塗装で、昭和40年代はほとんどの時期その色だったはずですが、なぜかネット上の写真ではそっちを全く見ません。
上越新幹線開業前の高崎線、日中の普通電車は特急・急行待ちが頻繁にありましたね。大宮―上野間ともなると東北線の列車も加わり、すれ違う特急・急行の多かったこと。
- #ItxbjV56
- 急行天邪鬼
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2018.04.16 Mon 14:39 | 急行天邪鬼さんこんにちは
古い記事にもかかわらず、ご覧いただいた上にコメントをいただきありがとうございます。
当時はそんな珍しいものとは思わずに、特急あさまの車窓から見える鉄道車輌を片っ端から写していたような気がします。中学二年生でしたから好奇心旺盛だったんでしょうね(笑)
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- ファジー
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