昭和52年夏YMCA受験生村への往き帰り
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和50年-昭和52年
昭和52年の夏休み、通っていた大学予備校のYMCAが夏季受験生村という合宿形式の集中講義を開催するというので申し込みをなしたところ、どういう訳かその参加を認められたため、勇躍単身にて妙高高原に乗り込んだ。
総勢120名のうちほとんどが浪人生で構成されていた合宿であるが、小生を含む10人だけが高3の現役生として参加したのだった。
参加して得たものは、「浪人生、恐るに足らず!」の思いと、浪人すると国立大学が一期校と二期校との区別がなくなりそれぞれの大学を受験する機会を失うとともに、共通一次試験という訳の分からない試験がスタートするので、「何としても来年現役で合格せねば!」という危機感であった。
まあ、合宿の内容についてはそれなりに有意義なものでありましたが、苦しい受験勉強が続く中でもそれはそれで、やはりその往復の道中にナニガシかの楽しみが潜んでいるものだ。
ただ、漫遊旅行ではないので、大きなNikon Fを肩から提げて行くわけにはいかず、家にあった110カメラをそっとボストンバッグに忍ばせた。
・・・しかしこれが失敗だった。

(上:35mmフイルム 下:110フイルム)
35mmフイルムよりかなり小さいサイズである上に、カメラ自体もメーカーが真剣に取組んでいるとは思えないようなチープな構造だったので、満足な写りが少ないのが残念なところである。
しかし、今となっては当時を偲ぶヨスガとなればと、小さなネガのスキャンもすごくやり辛く難儀したが、敢えてアップする次第である。
昭和52年8月8日 特急北越2号で大阪から直江津へ向けて出発した。
この一人旅の行程の中でどうしてもやりたかったことがひとつあった。
「食堂車でひとり静かにビールを飲むこと」だった。
北越2号では、食堂車開始の車内アナウンスがあるや否や、待ってましたとばかり自席を立って食堂車に向かった。
ハンバーグ定食とビール大瓶1本を注文したが、ウエイトレスから「未成年じゃないの」とのお咎めは全くなかった。
ガラガラの食堂車でグラスにゆっくりビールを注ぎながら眺める青々とした北陸の山並みは、今となっては忘れられない景色のひとつになっている。
(可愛いもので、当時はこれで足元がふらついたものだった。)

高岡駅のオハユニ6112(北越2号の車窓より)

糸魚川の煉瓦造りの車庫で休むキハユニ26
この伝統の煉瓦造りの車庫も北陸新幹線の敷地内にあるため、近々取壊されるとか・・・残念無念!

直江津駅は薄っぺらなハーフチンバーの山小屋風の駅舎であったが、これとて今ではその姿を見ることは適わない。

(長岡行き普通列車)
このクハ76の新潟色は、ココまで来ないと見られないものだったので、初めてみたときはとても新鮮な感じを受けたものだった。

EF15113もコキなどを引いてバリバリの現役だった。

長野行き普通列車にはスカ色の旧型国電が運用中。
同じ旧型国電でも阪和・片町色のものよりスカ色の方が垢抜けて見えた。
スイッチバックの関山駅を過ぎると目的地の妙高高原駅到着

上り急行妙高2号

コンクリート製の無骨な駅舎をあとに合宿場所に向かった。
───────(その後の1週間は、まじめに勉強三昧)───────
8月14日 合宿を終えて仲良くなった現役生達とも妙高高原でお別れ。

みんなこの列車に乗って長野方面へ行ったが、私だけは北に向かった。
もう逢うこともないだろうと思って、互いに健闘を祈りながら別れた現役生達であった。
しかしながら、人生というものは面白いもので、奇しくもそのうちの一人と翌春、T大学入学式で再会する事になるのだった。

上り急行とがくし1号 グリーン車の淡緑色の帯も今となっては懐かしい限りだ。


思へば・・・この当時の国鉄運賃は安かったなぁ

この特急白山2号で金沢に向かう予定だったが・・・
しかしこのまますんなり帰るのは面白くないので、咄嗟に富山で途中下車する。

富山の駅前は大きく開けているものの、なにか懐かしさというか昭和30年代の雰囲気をまだ色濃く留めているような風景だった。

富山地方鉄道・富山市内軌道線・富山駅前
右後に見える「朝5時より営業」の桝常食堂は今でもやっているのかなあ?

この当時、富山港線は旧型国電が活躍していると聞いていたので、是非写真を撮りたかったが、
このお顔では・・・なんとも戦意が喪失する・・・


北陸本線の普通列車のとして活躍していたオハ352395(名マイ)
この車輌は昭和17年大井工場で作られたもので、外板にリベットがなく溶接で止めてあり当時の前衛的な試作車である。

窓の上のRのほかに出入り口デッキの上部にもRが施され、戦前の電車のような優雅なスタイルになっている。
富山からは特急雷鳥で一気に大阪へ・・・このときもすぐに食堂車に行った様だが、何を注文したのか記録にない。
しかし、ビールはしっかり注文していただろう。
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Comment
2009.08.26 Wed 00:47 | 幸か不幸か
高3で白昼堂々ビールですか!咎められなかったのは喜ぶべきかはたして・・・・・。
しかし、受験のための合宿の往復をこれだけ満喫されるとは!気持ちの切り替えがきっちり出来るってことですね。羨ましい。
- #-
- サットン
- URL
2009.08.26 Wed 05:44 | *サットンさん おはようございます
この頃、自宅では父親の晩酌の相手をしていましたのでビールくらいは、たしなめました。おかげで大学のコンパでは上級生をなぎ倒してました(笑)
しかし思えば今ではすっかりノンベになってしまいました。(サットンさんの金沢のお友達・オヤジ2号さんのように・・・)
2009.08.26 Wed 12:56 |
おお! 糸魚川のレンガ車庫だ。壊されちゃうなんて・・・ホントもったいない。。
そうそう。富山港線ではこういう旧型国電が走ってました。京浜東北線の電車が走ってる~・・・なんて思っていたっけ。懐かしい。。
ばあちゃんの家が岩瀬浜にあって、毎年夏に遊びに行っていたので、よく覚えています。
- #-
- うたに
- URL
2009.08.26 Wed 19:03 |
新幹線建設を中止するとマニフェストに書いてくれれば、どこの党だって投票しますよ。
シビアなことはさておき、富山港線の73、数年前まで本線緩行を走っていた73ですもの。
当時なら、長野経由で行くのが普通でしょうが、直江津(一昨年通った時はしょぼい橋上駅になってました)経由とは、食堂車目当てだったのですね。
- #JyN/eAqk
- なにわ
- URL
- Edit
2009.08.26 Wed 21:14 |
昭和52年ですか、ぼんくらが高2の時だ! ひゃあ懐かしい~
それにしてもファジー先輩、イケませんねぇ、受験生が飲酒とは(笑)
ワンテンにしちゃ立派に撮れてるじゃないですか! カメラは何ですか?
2009.08.27 Thu 22:39 | *うたにさん こんばんは
富山にご縁がある方なんですね。海の幸・山の幸にめぐまれた富山は、日本で最も住みやすい場所とか・・・うらやましいです。
2009.08.27 Thu 22:44 | *なにわさん こんばんは
新幹線建設は、利用者にとっては便利なことなんでしょうが、それによって在来線の特急は廃止されるし、路線そのものの存亡に係わる大問題になりますよね。鉄道趣味の観点からは大いなるマイナスになることは間違いありません。でもどこからも新幹線建設反対の声は聞こえてこないのが、残念です。
2009.08.27 Thu 22:48 | *ぼんくらオヤジさん こんばんは
この110カメラ・・・たしかミノルタ製だったと記憶しているんですが、手許にないので何とも申せません。
2009.08.28 Fri 20:32 | さらに厳しくてすいません。
新幹線を造って、在来線を貨物とローカル輸送に転用する。昔なら正しかったのですが、一部の大幹線を除いて貨物列車が存在しなくなったうえに、財政難から建設不能になり、それでも造りたがる連中(政府、JR、地方)は建設費を地方に押し付け、ローカル輸送を絶対に採算の取れない第三セクターに押し付けるようでは、地方は疲弊してゆくばかりです。
まさに、地方格差です。
秋田新幹線方式はうまく考えられていると思います。金の無い昨今、まず、標準軌に変更(一時的に雇用も確保できる)し、遠い遠い将来(ここに書き込む住人は生きてはいないでしょう)、予算に余裕ができれば新幹線に振り替えてゆけばいいのです。
裏ブログ(こんなネタばかりです)のURLも貼り付けておきます。
2011.01.05 Wed 00:56 |
はじめまして。
楽しく拝見させて頂きました。
一眼レフを持って行くわけに行かなかったという事情も何となくわかります(笑)
でも、どんなカメラでもやはり撮った者勝ちですね。
受験生にとっては、「勉強できない」大義名分がある道中はさぞかし楽しかったのではないでしょうか。
私も以前、東京から富山に出張する際は、鉄道で前日移動にして、ここぞとばかり車中でビールを飲んでいました(笑)
2011.01.05 Wed 07:21 | *ακιοさん おはようございます
古い記事にもかかわらずコメントをいただきありがとうございます。
不自由な日程の中でいかに楽しもうか。ということばかり考えてましたね。
また、カメラについては、いまでは小型デジタルカメラがあるのでこんな苦労はしませんが・・・(笑)