熊野街道の起点を歩く(6) 谷町九丁目~夕陽丘
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- ∇浪花ほとがら散歩 - ├大阪市旧南区エリア
前回からのつづき
・・・街道を少し西に外れて高津宮(こうづのみや)に向かう。

大きな本堂や庫裏のつづく中寺地区に隣接して高津宮がある。

ここが熊野街道の第3の王子「郡戸(こほづ)王子」のあったところといわれている。
高津は、昔は郡戸と書いており、藤原定家の「熊野縁起」にも郡戸王子は、高津宮附近としているが、詳細は不明。石碑もない。

石灯籠には、安永4年の文字が・・・1775年である。アメリカの独立戦争の頃か・・・。

街道に戻る途中にある公団のアパートを見て驚いた。

どうやればこんな落書きができるのか・・・よ?く考えるとゾッとする。

千日前筋を越えて、さらに南に進む。

市立生魂小学校・・・明治8年からの歴史を持つ伝統学校である。
でも神社と同じ「生国魂」ではなくて「生魂」なんだろう?
本館の入り口が半ドーム型になっているのと左右に全く窓が配置されていないのが、他では見ないデザインだ。
この生魂小学校の南を東に折れて、上町筋を東進すると上宮中高があるが、そこの斜め前にあるマンション「上之宮台ハイツ」の入口にこのような石碑がある。

上宮之址(うえのみやのあと)とあるが、これが第4の王子「上野王子」ということらしい。
摂津名所図絵に「上野王子は、いまの上ノ宮なるべし」とある。
街道に戻ると、このあたりは道幅も随分広く、すっかりビル街になってしまっているので、さほど面白いものは見出せない。

天王寺郵便局を過ぎて勝山通りに出るとまた古い建物が散見できる。

古い民家の間を縫うようにしてマンションが林立している。

天王寺警察のところで西に曲がって一旦谷町筋に出る。
この勝山通りは交通量の多い幅の広い道路であるが、どういう訳か昔から歩道がないので危なくて仕方がない。

星光学院の北側に案内標が建っているが、あれこれ矢印が賑やかだ。
訪れたときが、ちょうど愛染まつりの二日前だったので、愛染堂に立ち寄ってみよう。
後ろに見える「愛染まつり」の提灯の方へ進む。

愛染明王がご本尊の勝鬘院が6月30日から大阪で最も早い夏祭りである愛染まつりの舞台となる。

お祭りへの協賛者の名前がずらりと並ぶ。

また境内の多宝塔(重要文化財)は、慶長2年(1597年)築で、大阪市内最古の建物である。

境内には、寶恵駕籠(ホエカゴ)の骨組も準備され、静かな雰囲気の中にも祭りへの高揚感が漂う。

ご本尊の愛染明王は、中央の厨子の中におわす。

アジサイに足元を囲まれて、一年で最も彩り溢れる多宝塔


朝顔のつるが絡む夏らしい風情の寶恵カゴが一台、多宝塔の上に飾ってあった。
落飾した多宝塔に生気溢れる寶恵カゴの対照がなんとも新鮮で、さすが愛染明王のお祭らしく仄かな色香が漂よう。

また多宝塔の背後には、なにやら近未来的な建物が・・・この二つの建物に挟まれると、なにやら時空のねじれを感じるようでヘンな気分だった。
山門を出るとすぐに西には大江神社の境内に続き・・・

そしてその玉垣の横には、風情ある下り坂が繋がる。

「天王寺七坂」のひとつ愛染坂である。

(つづく)
・・・街道を少し西に外れて高津宮(こうづのみや)に向かう。

大きな本堂や庫裏のつづく中寺地区に隣接して高津宮がある。

ここが熊野街道の第3の王子「郡戸(こほづ)王子」のあったところといわれている。
高津は、昔は郡戸と書いており、藤原定家の「熊野縁起」にも郡戸王子は、高津宮附近としているが、詳細は不明。石碑もない。

石灯籠には、安永4年の文字が・・・1775年である。アメリカの独立戦争の頃か・・・。

街道に戻る途中にある公団のアパートを見て驚いた。

どうやればこんな落書きができるのか・・・よ?く考えるとゾッとする。

千日前筋を越えて、さらに南に進む。

市立生魂小学校・・・明治8年からの歴史を持つ伝統学校である。
でも神社と同じ「生国魂」ではなくて「生魂」なんだろう?
本館の入り口が半ドーム型になっているのと左右に全く窓が配置されていないのが、他では見ないデザインだ。
この生魂小学校の南を東に折れて、上町筋を東進すると上宮中高があるが、そこの斜め前にあるマンション「上之宮台ハイツ」の入口にこのような石碑がある。

上宮之址(うえのみやのあと)とあるが、これが第4の王子「上野王子」ということらしい。
摂津名所図絵に「上野王子は、いまの上ノ宮なるべし」とある。
街道に戻ると、このあたりは道幅も随分広く、すっかりビル街になってしまっているので、さほど面白いものは見出せない。

天王寺郵便局を過ぎて勝山通りに出るとまた古い建物が散見できる。

古い民家の間を縫うようにしてマンションが林立している。

天王寺警察のところで西に曲がって一旦谷町筋に出る。
この勝山通りは交通量の多い幅の広い道路であるが、どういう訳か昔から歩道がないので危なくて仕方がない。

星光学院の北側に案内標が建っているが、あれこれ矢印が賑やかだ。
訪れたときが、ちょうど愛染まつりの二日前だったので、愛染堂に立ち寄ってみよう。
後ろに見える「愛染まつり」の提灯の方へ進む。

愛染明王がご本尊の勝鬘院が6月30日から大阪で最も早い夏祭りである愛染まつりの舞台となる。

お祭りへの協賛者の名前がずらりと並ぶ。

また境内の多宝塔(重要文化財)は、慶長2年(1597年)築で、大阪市内最古の建物である。

境内には、寶恵駕籠(ホエカゴ)の骨組も準備され、静かな雰囲気の中にも祭りへの高揚感が漂う。

ご本尊の愛染明王は、中央の厨子の中におわす。

アジサイに足元を囲まれて、一年で最も彩り溢れる多宝塔


朝顔のつるが絡む夏らしい風情の寶恵カゴが一台、多宝塔の上に飾ってあった。
落飾した多宝塔に生気溢れる寶恵カゴの対照がなんとも新鮮で、さすが愛染明王のお祭らしく仄かな色香が漂よう。

また多宝塔の背後には、なにやら近未来的な建物が・・・この二つの建物に挟まれると、なにやら時空のねじれを感じるようでヘンな気分だった。
山門を出るとすぐに西には大江神社の境内に続き・・・

そしてその玉垣の横には、風情ある下り坂が繋がる。

「天王寺七坂」のひとつ愛染坂である。

(つづく)
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Comment
2009.07.06 Mon 22:17 | 愛染さん
大阪の夏祭りは、「愛染さん」で始まり「住吉さん」で終わる、といわれています。我々にも馴染み深い「愛染さん」ですが、実際にはなかなか訪れる機会はないですね。
2009.07.06 Mon 23:21 | のりさん こんばんは
確かに愛染さんは夏祭りのトップバッターなので、いつもマスメディアに取り上げられますね。
宝恵カゴには昔から南地や今里の芸妓さんが乗るものと決まっていましたが、今では一般募集した愛染娘なるモノが乗るとか・・・粋な風情という訳にはいかなくなりました。
2009.10.26 Mon 19:59 | 天王寺区
空襲で派手に焼けているのですが、郵便局のあたりは焼けずに残ったようです。
そのために道幅も狭いままで、そこを3001や2601が駆け抜けていったのです。
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- なにわ
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