徳國製寫眞機 Ikonta 異聞
本日はクラシック・カメラの一大勢力であるツアイス・イコンの話題をひとつ。
1926年にドイツのカメラメーカーであるツアイス・イコンが誕生した経緯から始めてみよう。
第一次世界大戦後の敗戦国ドイツに於ける、目を蔽うような大インフレは、歴史の教科書にも載るくらいの大きな出来事だった。
1923年6月30日現在は1$=100万マルクだったが・・・
同じ年の8月13日には、1億マルクになり10月9日に10億マルク、11月15日には4兆2000億マルクになった。
このような状況のものとでは、一日も早く通貨を品物に替えておく必要があった。
そこでドイツ国民は、こぞってカメラを買い求めた。
一家に1台あれば贅沢と言われた頃のカメラである。それを何台も何台も買い求めた。このインフレに対応し、後で換金し易く、貯蔵性に優れていて、かさばらないものとしてカメラに人気が集中した。
従って、このインフレにもかかわらずドイツのカメラメーカーは超多忙を極めた。大メーカーはもとより弱小メーカーでも製造するその端から品物が売れたのだった。
しかし、インフレが収束すると、国民はこぞって手許のカメラを手放しだした。一気に数多くのカメラが市場に溢れたため、値崩れを起こした。そして国民の家庭には一生使っても使い切れないほどの台数のカメラがあったものだから、カメラメーカーのカメラが全く売れなくなった。
こうしてドイツのカメラ界に壊滅的な大不況が訪れた。
生産を増大していた頃の生産体制の肥大・借金の増大などのツケが一気にその会社を苦しめることとなった。
そこでドイツのカメラメーカーは大合併して生き残りを賭けることとした。

そうして1926年にドレスデンで誕生したのが、Zeiss Ikon(ツアイス・イコン)社である。
約10社ほどのメーカーが統合したものと言われるが、大きな流れは、次の4大メーカーになる。
イカ社(ドレスデン)
ハインリヒ・エルネマン社(ドレスデン)
C.P.ゲルツ光学研究所(ベルリン)
コンテッサ・ネッテル社(シュツットガルト)
日本で言うと4大カメラメーカーが一度に合併したようなものだった。

こうして、巨大企業となったZIESS・IKONが最初の自社ブランドとして1929年に製造販売したのが、Ikonta(イコンタ)と呼称されるこれらのカメラである。

イコンが作ったカメラなのでイコンタらしいが、なにやら「いがみのゴンタ」を連想させる和風の名前に聞こえるのが楽しいカメラである。
もちろん今でもブローニ判フイルムを用いると普通に使える現役写真機だ。


1932年(昭和7年)に作られたこのシリーズ最初期の機種でIkonta520の正式名称より、日本ではセミ・イコンタと愛称で呼称されることのほうが断然多い。
同様の仕上がりだが、フイルム面が6×9判であるイコンタと比べ、撮影フイルムが半分の面積である6×4.5判を使うので「セミ」と冠して呼ばれるようになった。

この最初期のモデルは、レンズは三枚玉のノバー75mmf6.3でシャッターはデルバルのエバーレディ型となっている。
レンズのシリアルナンバーは126万代なので1931年製であり、時代的にも適合している。
このシャッター(上の写真左上の銀色の勾玉形のレバー)は一々チャージしなくてもシャッターを切ることができ便利ではあるが、押し切る時の振動が著しく、手持ちではブレを生じ易いのが難点である。

こんなときは、このような12cmほどのショートレリーズをシャッターソケットに嵌め込んで使ったほうが具合がいい。
コレを使うとシャッターブレを軽減できるので、手持ちでも何ら問題なく使用できるが、付けたままだと前蓋を閉じることができないのが難点である。

(撮影例 FUJI PN400N)
もう一台は、同じくIkonta520(愛称:セミイコンタ)と呼称される機種であるが、1936年(昭和11年)に生産された次世代モデルである。

シャッターボタンがレンズ周りからボディ上部に移動して随分使い易くなった。
軍艦部の折りたたみファインダーの左側の大きな肉厚なボタンがシャッターボタンである。


レンズはテッサー75mmf3.5でシャッターは1/500secまであるコンパーラピッドの高級品である。
レンズのシリアルナンバーが190万代なので1937年に製造されたものであることが判る。
名玉のテッサーなので、今でもその写りには遜色がない。


(撮影例 FUJI PN400N)
ところでこの2台のカメラであるが、裏蓋を開けたところにそれぞれ少し変わった刻印がある。

最初期のイコンタでは、For China とある。
この当時のChinaは蒋介石率いる中華民国(南京国民政府)である。
このカメラが中華民国向けの輸出品であったことが分かる。

もちろんドイツ製カメラは高価なものだったので、Chinaの一般市民が手にできるような代物ではなかった。
列強諸国の租界内で、我が物顔で闊歩していたであろう外国人を主なるターゲットとして輸出されたものではなかろうか・・・。
中国向けのドイツ製カメラには「徳國製」(ドイツ製)と生産国名が刻まれることが多かったが、「中国向け」との表示は珍しい。
もう一台の次世代イコンタにも同様の刻印がある。

こちらは、for Manchoukuo とある。
これは、あの満洲国のことだ!

昭和8年に国際連盟を脱退した日本は、その後ドイツと急速に親密を深めていったので、日本が作った傀儡国家に対しても敬意を表していたということだろうか。
もちろん満洲国の高官や関東軍や満鉄関係者、在満の日本人実業家に向けての製品だろう。
このIkonta520ならば、康徳帝(愛新覚羅溥儀)は別格としても、カメラ好きの甘粕大尉ならば、ひょっとして手にしたことがあるのかも・・・そんなことをあれこれと想像させてくれるカメラである。
しかし、こういう刻印があるのは他のカメラではないか?と探してみたら・・・
e-bayで一点見つけた。

1938年に作られたZeissIkonのNettax 538/24(ネタックスI型)である。

この商品の説明書きにもあったが、この刻印はやはり珍しいものではあるらしい。
なお、推定落札価格が500?600ユーロ(67,000?80,000円)とあり、刻印のない物より100ユーロ(13,300円)ほど高めの設定となっていた。
e-bayでこのくらいの価格設定であれば、国内の中古カメラ店では、少なくともこの1.5倍の価格になるだろう。
とにかく手許のManchoukuoイコンタには、ひとこと問うてみたい・・・
・・・「おまえは、満洲の曠野を疾走する特急“あじあ号”を撮影したことがあるのかい?」と。
ポチっとね♪
1926年にドイツのカメラメーカーであるツアイス・イコンが誕生した経緯から始めてみよう。
第一次世界大戦後の敗戦国ドイツに於ける、目を蔽うような大インフレは、歴史の教科書にも載るくらいの大きな出来事だった。
1923年6月30日現在は1$=100万マルクだったが・・・
同じ年の8月13日には、1億マルクになり10月9日に10億マルク、11月15日には4兆2000億マルクになった。
このような状況のものとでは、一日も早く通貨を品物に替えておく必要があった。
そこでドイツ国民は、こぞってカメラを買い求めた。
一家に1台あれば贅沢と言われた頃のカメラである。それを何台も何台も買い求めた。このインフレに対応し、後で換金し易く、貯蔵性に優れていて、かさばらないものとしてカメラに人気が集中した。
従って、このインフレにもかかわらずドイツのカメラメーカーは超多忙を極めた。大メーカーはもとより弱小メーカーでも製造するその端から品物が売れたのだった。
しかし、インフレが収束すると、国民はこぞって手許のカメラを手放しだした。一気に数多くのカメラが市場に溢れたため、値崩れを起こした。そして国民の家庭には一生使っても使い切れないほどの台数のカメラがあったものだから、カメラメーカーのカメラが全く売れなくなった。
こうしてドイツのカメラ界に壊滅的な大不況が訪れた。
生産を増大していた頃の生産体制の肥大・借金の増大などのツケが一気にその会社を苦しめることとなった。
そこでドイツのカメラメーカーは大合併して生き残りを賭けることとした。

そうして1926年にドレスデンで誕生したのが、Zeiss Ikon(ツアイス・イコン)社である。
約10社ほどのメーカーが統合したものと言われるが、大きな流れは、次の4大メーカーになる。
イカ社(ドレスデン)
ハインリヒ・エルネマン社(ドレスデン)
C.P.ゲルツ光学研究所(ベルリン)
コンテッサ・ネッテル社(シュツットガルト)
日本で言うと4大カメラメーカーが一度に合併したようなものだった。

こうして、巨大企業となったZIESS・IKONが最初の自社ブランドとして1929年に製造販売したのが、Ikonta(イコンタ)と呼称されるこれらのカメラである。

イコンが作ったカメラなのでイコンタらしいが、なにやら「いがみのゴンタ」を連想させる和風の名前に聞こえるのが楽しいカメラである。
もちろん今でもブローニ判フイルムを用いると普通に使える現役写真機だ。


1932年(昭和7年)に作られたこのシリーズ最初期の機種でIkonta520の正式名称より、日本ではセミ・イコンタと愛称で呼称されることのほうが断然多い。
同様の仕上がりだが、フイルム面が6×9判であるイコンタと比べ、撮影フイルムが半分の面積である6×4.5判を使うので「セミ」と冠して呼ばれるようになった。

この最初期のモデルは、レンズは三枚玉のノバー75mmf6.3でシャッターはデルバルのエバーレディ型となっている。
レンズのシリアルナンバーは126万代なので1931年製であり、時代的にも適合している。
このシャッター(上の写真左上の銀色の勾玉形のレバー)は一々チャージしなくてもシャッターを切ることができ便利ではあるが、押し切る時の振動が著しく、手持ちではブレを生じ易いのが難点である。

こんなときは、このような12cmほどのショートレリーズをシャッターソケットに嵌め込んで使ったほうが具合がいい。
コレを使うとシャッターブレを軽減できるので、手持ちでも何ら問題なく使用できるが、付けたままだと前蓋を閉じることができないのが難点である。

(撮影例 FUJI PN400N)
もう一台は、同じくIkonta520(愛称:セミイコンタ)と呼称される機種であるが、1936年(昭和11年)に生産された次世代モデルである。

シャッターボタンがレンズ周りからボディ上部に移動して随分使い易くなった。
軍艦部の折りたたみファインダーの左側の大きな肉厚なボタンがシャッターボタンである。


レンズはテッサー75mmf3.5でシャッターは1/500secまであるコンパーラピッドの高級品である。
レンズのシリアルナンバーが190万代なので1937年に製造されたものであることが判る。
名玉のテッサーなので、今でもその写りには遜色がない。


(撮影例 FUJI PN400N)
ところでこの2台のカメラであるが、裏蓋を開けたところにそれぞれ少し変わった刻印がある。

最初期のイコンタでは、For China とある。
この当時のChinaは蒋介石率いる中華民国(南京国民政府)である。
このカメラが中華民国向けの輸出品であったことが分かる。

もちろんドイツ製カメラは高価なものだったので、Chinaの一般市民が手にできるような代物ではなかった。
列強諸国の租界内で、我が物顔で闊歩していたであろう外国人を主なるターゲットとして輸出されたものではなかろうか・・・。
中国向けのドイツ製カメラには「徳國製」(ドイツ製)と生産国名が刻まれることが多かったが、「中国向け」との表示は珍しい。
もう一台の次世代イコンタにも同様の刻印がある。

こちらは、for Manchoukuo とある。
これは、あの満洲国のことだ!

昭和8年に国際連盟を脱退した日本は、その後ドイツと急速に親密を深めていったので、日本が作った傀儡国家に対しても敬意を表していたということだろうか。
もちろん満洲国の高官や関東軍や満鉄関係者、在満の日本人実業家に向けての製品だろう。
このIkonta520ならば、康徳帝(愛新覚羅溥儀)は別格としても、カメラ好きの甘粕大尉ならば、ひょっとして手にしたことがあるのかも・・・そんなことをあれこれと想像させてくれるカメラである。
しかし、こういう刻印があるのは他のカメラではないか?と探してみたら・・・
e-bayで一点見つけた。

1938年に作られたZeissIkonのNettax 538/24(ネタックスI型)である。

この商品の説明書きにもあったが、この刻印はやはり珍しいものではあるらしい。
なお、推定落札価格が500?600ユーロ(67,000?80,000円)とあり、刻印のない物より100ユーロ(13,300円)ほど高めの設定となっていた。
e-bayでこのくらいの価格設定であれば、国内の中古カメラ店では、少なくともこの1.5倍の価格になるだろう。
とにかく手許のManchoukuoイコンタには、ひとこと問うてみたい・・・
・・・「おまえは、満洲の曠野を疾走する特急“あじあ号”を撮影したことがあるのかい?」と。

- 関連記事
スポンサーサイト
Comment
2009.11.19 Thu 17:50 |
本当にそうですね。ぼんくらもクラシックカメラを手にとってファインダーを覗く度に、「このカメラは何を観てきたんだろう」っていつも思います。
- #-
- ぼんくらオヤジ
- URL
2009.11.19 Thu 23:00 | ぼんくらオヤジさん こんばんは
写し手にもそれぞれの歴史があるのですが、それ以上の歴史をもつカメラたちには畏敬の念をもって取り扱うべきなんでしょうね。
2009.12.13 Sun 20:55 | このマーク
どこかで見たなと思ったら、戦前の日本工学のマークに似てるんですよね。
こちらはレンズとプリズムの組み合わせですが。
というか、ニコンが真似をしたのでしょうが。
2009.12.14 Mon 07:06 | *なにわさん こんにちは
nikonの旧マークは、レンズと富士山を合体させたものですから、ツアイスのパクリというわけではないんでしょうが、大いに参考になったことは確かでしょうね。
日本光学にとってはツアイスは尊敬すべき大先輩ですから。
Trackback
- URL
- http://fuzzyphoto.blog120.fc2.com/tb.php/892-bd65ab8f
- この記事にトラックバック(FC2Blog User)