特急「新雪」でスキーに行こう!
- Sat
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- ∇阿房列車 旅日誌 - ├阿房列車・関東甲信越
今は昔・・・昭和54年1月30日朝、上野から臨時特急「新雪3号」で一路、上越線・越後中里に向かった。
ウイークディなのでゆったりとした特急の車内では、苗場プリンスホテルの一泊券やリフトの一日券の籤引きが行われた。
残念ながら当籤には至らなかったが、官営の日本国有鉄道にしては本当にユニークな企画だった。
長いループの新清水トンネルを抜けると、最初の停車駅は越後中里である。

ここの駅名板の左下の隣接駅を表示している場所には、なにやらボードがぶら下がっている。

これは、スキーシーズンのみに営業する「岩原(いわっぱら)スキー場前」と書かれた駅名板である。
この駅は、読みの長いことでファンには知られていた臨時駅であるが、この写真では字が多いためか、拡大してもよく読めない。
越後中里の東側改札口は、聞いていた通りゲレンデの中にあるのだ。ゲレンデまで徒歩0分である。
スキーをつけたままでも改札口を出られそうな感じである。実際スキーをかかえ、スキー靴を履いたまま改札口を通る乗客が何人もいる。あたかもスキー場のリフトやロープウェイを利用するときのように・・・。
宿屋となる茂倉スキーロッヂからお迎えの自動車がやって来た。
何と真っ赤な雪上車である。驚きながら背の高い雪上車に乗ると、キャタピラをガタガタいわせながら宿屋へ。
また嬉しいことに、宿屋が上越線のスグ隣ときている。食事中や入浴中でも窓の外にEF16や特急ときの往来する姿が目の当たりに望める。 う?満足!
ウイークディなのでゆったりとした特急の車内では、苗場プリンスホテルの一泊券やリフトの一日券の籤引きが行われた。
残念ながら当籤には至らなかったが、官営の日本国有鉄道にしては本当にユニークな企画だった。
長いループの新清水トンネルを抜けると、最初の停車駅は越後中里である。

ここの駅名板の左下の隣接駅を表示している場所には、なにやらボードがぶら下がっている。

これは、スキーシーズンのみに営業する「岩原(いわっぱら)スキー場前」と書かれた駅名板である。
この駅は、読みの長いことでファンには知られていた臨時駅であるが、この写真では字が多いためか、拡大してもよく読めない。
越後中里の東側改札口は、聞いていた通りゲレンデの中にあるのだ。ゲレンデまで徒歩0分である。
スキーをつけたままでも改札口を出られそうな感じである。実際スキーをかかえ、スキー靴を履いたまま改札口を通る乗客が何人もいる。あたかもスキー場のリフトやロープウェイを利用するときのように・・・。
宿屋となる茂倉スキーロッヂからお迎えの自動車がやって来た。
何と真っ赤な雪上車である。驚きながら背の高い雪上車に乗ると、キャタピラをガタガタいわせながら宿屋へ。
また嬉しいことに、宿屋が上越線のスグ隣ときている。食事中や入浴中でも窓の外にEF16や特急ときの往来する姿が目の当たりに望める。 う?満足!
午後からゲレンデに立つが、人気の苗場ほどではないためかゲレンデはガラガラ、よって休む暇もなく滑りまくる。

ゲレンデ頂上からの鳥瞰図・・・越後中里の南方を望む・・・上りと下りの路線が別々になって谷川岳の清水トンネル(左側 上り)および新清水トンネル(右側 下り)へ吸い込まれていく様子がうかがえるダイナミックな構図である。
スキーの途中でも珍しい編成の列車が視野に入ると、これ幸いに・・・線路際までスキーを操り、懐中からカメラを取り出してパチリ!とやる。

(EF16+EF15の上り貨物列車)
ココ中里ならではのアプローチの仕方である。



宿屋附近の夕暮れの風景・・・場所がら、鈍い前照灯の電気機関車が引く客車には駒子が乗っているように思えてくる・・・「駅長さ?ん!」
中里では昨日思う存分滑ったので、二日目は、苗場に行くことにした。
越後湯沢駅までは、宿屋の人に送ってもらった。ラッキー!

越後湯沢は、名前が売れている割には小さな駅で驚いた。

駅からスキー場までは、バスで40分ほどの距離であるが、途中いくつものスキー場が現れ、このあたりがスキー場銀座であることが知れた。
苗場スキー場に到着してまず感じたことは、中央に構えるプリンスホテルの威容とリフト台数の多さ。

その規模の大きさに目を瞠る。中里とは大いなる違いを感じた。

一日リフト券を買って昨日以上に滑りまくった。

ただ頂上付近は濃霧のためリフトもロープウェイも運休だったのが残念なところか・・・。
(※西武王国の苗場だったが、スキー人口激減の洗礼を受け、苗場スキー場の2008年度の利用者数は127万人。ピークだった1992年度の318万人の3分の1に。2009年のクリスマスシーズンでも、ゲレンデにシュプールを描くスキー客はまばらで中高年の姿が目立った。そしてイブの24日に苗場プリンスホテルに予約が入ったのは全室の4分の1にすぎなかったという大変なことになっているらしい。)
中里の宿屋に戻ると、テレビでは、本日江川卓は一度阪神と入団契約を交わし、即日小林繁との交換トレードをして、江川は巨人軍に入った旨を報じていた・・・ややこしい話である。
(※2009.1.17小林繁氏(57)の突然の訃報に接し、驚くとともにご冥福をお祈りします。)
翌2月1日は生憎の雨・・・二日間張り切りすぎた事もあって、本日はスキーを止めて雪遊び

名駅弁である高崎の「だるま弁当」の赤いケースを使って正真正銘の「雪だるま」を量産中の図
それと線路際でカメラを構えてひと時を過ごす。

「新雪」を見ると・・・紫けむる 新雪の?♪(灰田勝彦 昭和17年)と、つい歌ってしまう私はだあれ?

特急「とき」もボンネット形ではなくなっていた。

特急「はくたか」・・・上野から上越線経由で金沢方面と結んでいたが、昭和57年11月上越新幹線開業により廃止された。そののち平成9年3月北越急行ほくほく線の開通によって、越後湯沢?北陸地方に15年ぶりとなる同名の特急が復活することとなるのだが・・・このときはそんなことはご承知ない。

ここを走り抜ける特急車輛には個性は感じられなかったが、トレインマークだけは多彩だった。

これは、特急「いなほ」かな?上野から上越線経由で秋田・青森を結んでいた。

こういう重厚な貨物列車は、必ず撮影しておかなければ・・・

中里駅の西側駅舎はこんな具合だ。雨が降るくらいだから積雪は少ない。



帰りは水上まで普通列車で行き、そこから特急「とき」で上野に戻った。


ゲレンデ頂上からの鳥瞰図・・・越後中里の南方を望む・・・上りと下りの路線が別々になって谷川岳の清水トンネル(左側 上り)および新清水トンネル(右側 下り)へ吸い込まれていく様子がうかがえるダイナミックな構図である。
スキーの途中でも珍しい編成の列車が視野に入ると、これ幸いに・・・線路際までスキーを操り、懐中からカメラを取り出してパチリ!とやる。

(EF16+EF15の上り貨物列車)
ココ中里ならではのアプローチの仕方である。



宿屋附近の夕暮れの風景・・・場所がら、鈍い前照灯の電気機関車が引く客車には駒子が乗っているように思えてくる・・・「駅長さ?ん!」
中里では昨日思う存分滑ったので、二日目は、苗場に行くことにした。
越後湯沢駅までは、宿屋の人に送ってもらった。ラッキー!

越後湯沢は、名前が売れている割には小さな駅で驚いた。

駅からスキー場までは、バスで40分ほどの距離であるが、途中いくつものスキー場が現れ、このあたりがスキー場銀座であることが知れた。
苗場スキー場に到着してまず感じたことは、中央に構えるプリンスホテルの威容とリフト台数の多さ。

その規模の大きさに目を瞠る。中里とは大いなる違いを感じた。

一日リフト券を買って昨日以上に滑りまくった。

ただ頂上付近は濃霧のためリフトもロープウェイも運休だったのが残念なところか・・・。
(※西武王国の苗場だったが、スキー人口激減の洗礼を受け、苗場スキー場の2008年度の利用者数は127万人。ピークだった1992年度の318万人の3分の1に。2009年のクリスマスシーズンでも、ゲレンデにシュプールを描くスキー客はまばらで中高年の姿が目立った。そしてイブの24日に苗場プリンスホテルに予約が入ったのは全室の4分の1にすぎなかったという大変なことになっているらしい。)
中里の宿屋に戻ると、テレビでは、本日江川卓は一度阪神と入団契約を交わし、即日小林繁との交換トレードをして、江川は巨人軍に入った旨を報じていた・・・ややこしい話である。
(※2009.1.17小林繁氏(57)の突然の訃報に接し、驚くとともにご冥福をお祈りします。)
翌2月1日は生憎の雨・・・二日間張り切りすぎた事もあって、本日はスキーを止めて雪遊び

名駅弁である高崎の「だるま弁当」の赤いケースを使って正真正銘の「雪だるま」を量産中の図
それと線路際でカメラを構えてひと時を過ごす。

「新雪」を見ると・・・紫けむる 新雪の?♪(灰田勝彦 昭和17年)と、つい歌ってしまう私はだあれ?

特急「とき」もボンネット形ではなくなっていた。

特急「はくたか」・・・上野から上越線経由で金沢方面と結んでいたが、昭和57年11月上越新幹線開業により廃止された。そののち平成9年3月北越急行ほくほく線の開通によって、越後湯沢?北陸地方に15年ぶりとなる同名の特急が復活することとなるのだが・・・このときはそんなことはご承知ない。

ここを走り抜ける特急車輛には個性は感じられなかったが、トレインマークだけは多彩だった。

これは、特急「いなほ」かな?上野から上越線経由で秋田・青森を結んでいた。

こういう重厚な貨物列車は、必ず撮影しておかなければ・・・

中里駅の西側駅舎はこんな具合だ。雨が降るくらいだから積雪は少ない。



帰りは水上まで普通列車で行き、そこから特急「とき」で上野に戻った。

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Comment
2010.01.30 Sat 11:15 | この女性はだ~れ?
もう一年前だったら、「とき」の181系ももう少しあり、サシ181も営業していましたし、長駆向日町からやってくる「はくたか」にも食堂車があったのですが。
それに、この年は無茶苦茶な暖冬でしたから。
イブはホテルで(う・ふ・ふ)という習慣も、すたれてきたのでしょうか。それよりスキーに行かないのでしょうけれどね。
2010.01.31 Sun 22:12 |
うちは1990年頃に、良くスキーに行きました。
当時はスキーブームで苗場はかなり混雑していたので、別の所で滑った覚えがあります。
列車でスキーに行ったのは3回位しかないのですが、シュプール号や急行津軽なんかにも乗りました。あの頃は、若かったなぁ~(^_^;)
- #-
- うたに
- URL
2010.02.01 Mon 12:31 | うたにさん こんにちは
このときも苗場は人気のスポットでしたので混雑していました。
私も自家用車の上にスキーを取り付けてあちこち行きましたが、今となってはそんなしんどいことは、したくありませんねぇ♪
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