昭和55年 東北地方ぶらり旅(3)
昨日泊まった田老町は、過去何度も津波の被害を受けているところである。
特に明治29年の三陸大地震では、田老町には14.6mの津波が押し寄せている。
海岸線には水面から10メートルの高さを越える異様なまでに大きな防潮堤が築かれ、崖に記された大津波の高さに驚愕する。
一旦宮古市に戻り国道106号線で盛岡に向かう。この国道沿いの紅葉は、今が盛りと謂わんばかりの美しさ。
この地方は広葉樹が多いためか、紅葉の美しさも一段と素晴らしいものであった。

トンネルと鉄橋を繰り返すこのあたりの風景は写欲を頗る催す。

山田線の下り急行「そとやま」1614D (山田線・松草附近にて)

盛岡の近代建築の雄 辰野金吾設計のいわぎん(岩手銀行)本店
盛岡といえば、わんこそば この日の昼食にトライする。(一人前1400円)
薬味として、ネギ、カツオなどが並べられ、付け合わせとしてマグロのぶつ切りやワカメ、エノキ、大根おろしなどがあるが、ゆっくり食べられたものではない。
傍らから息もつかせぬ速さで蕎麦を次々に手許のお椀に放り込まれる。
30杯くらいまでは難なく入ったが、それからはもう自分の胃袋に対する挑戦である。
半時間ほどで60杯を越え、もう口が受け付けない状態になりギブアップ!
結局64杯食べたが、わんこそば10杯でかけそば1杯に該当するので、かけそばを約6杯食べた勘定になる。
店の人に聞くと平均は30杯くらいなので通常人の二倍食べたことになる。
また胃拡張になりそうである。
大きなお腹をさすりながら不来方(こずかた)城址を散策する。
不来方の お城の草に 寝ころびて 空に吸われし 十五の心 啄木
盛岡を後にして、八幡平に向かう。
雲の帽子をかぶった岩木山を左手に見ながら八幡平のヘアピンカーブを登っていく。

紅葉が常緑樹との間に点在し、面白いアクセントを見せていた。

この後、秋田の田沢湖を眼下に見下ろす、田沢湖高原温泉の国民宿舎「駒草荘」に泊まり、今回の旅行最後の夜をすごす。
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Comment
2009.11.17 Tue 10:35 | 急行そとやま
そとやまのキハ58は冷房準備工事車のように見えますから、この頃って急行といえども冷房化率100%に達していなかったわけですね。そとやまは確か循環ルートを走っていたかと。さすがに日本のチベットらしい車窓です。
- #-
- サットン
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2009.11.17 Tue 12:58 |
わんこそばに挑戦されたんですか!
うちはやったことないのですが、30杯も食べられないだろうなぁ。。
紅葉の中の気動車がいいですね。
当時の山田線の宮古~盛岡は、今よりも本数多かったのでしょうか?
現在は車で走っていて偶然出会うのがかなり難しいくらい、本数が少ないので。。(>_<)
- #-
- うたに
- URL
2009.11.17 Tue 13:11 |
三陸は足を踏みいれたことがないのでやっと書き込めます。
八幡平も足を踏み入れたはずなのですが、前夜の寝不足ゆえか、小岩井牧場しか記憶がないのです。
ところで、キハ58-1500が写っていますが、冷房改造されたのはわずか5両だけです。
勾配線区が多く、冷房電源を装備した車両が連結できなかったからです。
キハ65も九州・四国・長野中心で、東北までは手が回らぬうちに製造打ち切りになってしまいました。
- #JyN/eAqk
- なにわ
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2009.11.17 Tue 15:45 | *サットンさん こんにちは
このあたりのキハ58の情報については、小生は詳しくないので、ナニワさんのコメントを参考にしてくださいね。
しかし、このときの紅葉の具合は極めてよかったですね。広葉樹のお蔭もあるのでしょうが、昨今これだけの紅葉は見たことはないです。
2009.11.17 Tue 15:51 | *うたにさん こんにちは
旅上手のうたにさんでも「わんこそば」は未挑戦ですか?意外でした。
次回の旅行は新幹線で是非盛岡へ・・・。
当時の山田線は割りと本数があったような気がします。この時も道路わきに車を止めて10分くらいでやってきましたので。
2009.11.17 Tue 15:53 |
国道106号線沿いの美しさは、ぼんくらの目にも焼き付いています。掲載のお写真で再確認できた思いです。度重なる飢饉に見舞われた暗い過去もあるのですが。
- #-
- ぼんくらオヤジ
- URL
2009.11.17 Tue 15:57 | *なにわさん こんにちは
キハ58に関する詳細な情報ありがとうございます。冷房化は南の地域から進んでいったことと、勾配の加減から重い装置は不可ということですね。
しかし彼の地域では夏でも窓を大きく開けて外の空気を是非味わいたいです
2009.11.17 Tue 17:19 | *ぼんくらオヤジさん こんにちは
そうですね。彼の地の紅葉の美しさと裏腹に大凶作に苛まれた過去があったことを忘れてはいけませんね。
若い頃民芸品の「こけし」の語源は「子消し」であることを知って愕然としたことを思い出しました。
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